7、怖いより、楽しい


「こいちゃん、ないない?」

「こいですか?んー・・・あ!あそこにおよいでますよ!」

「あー!こいちゃん!かわいーねー!」

「そうですねー」


池のふちにしゃがみ込んで、並んで鯉の背中を目で追い続ける。
べに様の語彙は本当に豊かになって、こうして意図した会話が成り立つようになった。
「あれーどこいったー?」とか、「あっちもいるねー」とか。たわいもない言葉が交わせることが、とても、とても嬉しい。
戦で昂った神経が、ゆらゆらと凪いでいく。
武器として、戦の中で本分を全うするのも本望なのだけど・・・


「「あっ!!」」


ぼんやりと池全体を見る視界の中に、白に赤いまだら模様の鯉がパシャンと一瞬だけ姿を表す。
二人同時に声を上げて、二人同時に顔を見合わせた。


「はねましたね!」

「はねた!」

「すごいですね。あんなたかくとんだの、はじめてみました!」

「すごい!ね!」


きゃあきゃあと二人で興奮して声を上げて、さっきの場所をもう一度見る。
そこにはもう鯉の姿は見えなかったけど、残した波紋が余韻を奏でていた。


「(・・・なんて、しあわせなひび)」


最近特に、そう思う。
肉を断つ感覚は快感だ。ぼくが刀である以上、それはきっと切り離せない。
けれど、それだけじゃない。
たった一つの楽しみだけで生きていけるほど、人間と言うのは、浅い生き物では、ない。


「こっちのこいちゃ・・・」


ぼんやりと池を眺めながら、そんなことを考えていたものだから。
何かを言いかけたべに様に何の気なしに目を戻して、ひっ、と息を引きつらせた。


「っべにさ・・・っ!?」


多分池を覗き込みすぎたのだ。まだ頭が大きく、重心が高い身体が、前に向かって倒れ掛かっている。
その先は池・・・ならまだしも、水面のすぐ下には岩がその姿を見せていて。


「っ!」


とっさにその襟首をつかんで、自身の身体と反転させるように地面に向かって放り投げる。
勢いの付いた身体はべに様が地面につく音を聞く前に水面に叩きつけられていて、受け身を取って何とか岩への直撃は回避したものの、べに様の安否が確認できない。


「(べにさま・・・!!)」


慌てて水をかき分けて水面から顔を出せば、しかし。


「あ・・・れ?」


見えるはずのない位置、すぐそこの中空にべに様の顔が見えて、ポカンと馬鹿みたいに口を開けてしまった。
前髪から流れてくる水が目に入って視界が濁るのを、パシパシと何度も瞬きをする。
顔をぬぐいながら何度も何度も確認して、その首元から、太い腕が池のふちに向かって伸びていることに、ようやく気付いた。
その根元に向けて視線をずらせば。

「よくもまぁその細腕でここまでべにを投げ飛ばせるな!」

「いわとおし!・・・・・・あぁ〜・・・よかったぁ・・・!」


多分、目測を誤ったのだ。
地面に向けて投げたつもりだったべに様の身体はおそらく、ほぼ真上に向けて投げ出された。
そのままだったらもう一度危惧した場所に落ちてくるはずだったべに様を、たまたま通りがかった岩融が上手く受け止めてくれたのだろう。


「ありがとう、いわとおし・・・じゅみょうがちぢまっちゃった・・・」

「がはは!そんなもの我らにはありはせんだろう!」

「そりゃあそうだけど・・・べにさま、だいじょうぶでしたか?」


岩融が受け止めてくれたとはいえ、自分が襟首を掴んで放り投げ、さらに岩融に襟首を掴んで吊られている現状。
和装で良かった・・・でなければ、首が締まってしまっていただろう。
ようやく地面に降りたべに様は、さっきの自分と同じようにポカンと口を開けている。
怖がらせてしまったかな・・・無理もない、悪いことをしてしまった、としっかり見守ることのできなかった自分に反省しながら件の岩の上に立ち、服の水を絞りながらべに様の様子をうかがう。
こわかったでしょう、ごめんなさい、と謝ろうと、濡れた手を持ち上げて。


「・・・きゃーっ♪もっかい!もっかい!」

「えっ?わぁっ!?」


その瞬間飛びかかってきたべに様に抱き着かれ、堪える暇もなく今度こそ一緒に盛大な水しぶきを上げることになった。
慌てて水面に顔を出せば、抱き着いたままのべに様が同じように「ぷぅ!」と息を吐く。


「ちょっとべにさま・・・!」

「えへへー。たのしーね!」


べに様が、純粋無垢な笑顔でこちらを見上げてくる。
・・・そこまで考えているわけではないだろう。ただ、本当に楽しそうだと思っただけだろう。
でも、それは怪我をするわけがない、危険なわけがない、という全幅の信頼の元での行動だと思えば・・・


「・・・もぉ〜・・・!べにさまぁ、あぶないんですからね?」

「はぁ〜い!」

「がっはっはっはっは!べには豪胆な女子になるな!」


負けた。この笑顔に勝てる気がしない。
頭を振って水を払うのを、風邪を引かないうちに、と抱き上げて岩融に引き受けてもらう。
ずぶ濡れのべにを気にすることなく抱き上げる岩融は、ぼくにも手を貸してくれながら大笑いを続けた。


「やはり、強くなったな」

「え?」

「出会った頃のお主ならば、べにを放り投げることも、今ほど軽々とべにをこちらに渡すこともできなんだろう。修行と言うのはそんなに特別なことか?」

「・・・そんなんじゃないですよ」


修行は、少なくともぼくにとっては精神的な意味が大きかった。
修行に出た刀の少ないここでは、こうして修行のことを聞かれることは、少なくない。
強くなりたいのは、みな、同じなのだ。
勿論修行に出たからと言ってすぐさま強くなれるわけではない。
それでも、もし岩融が、ぼくの変化が修行を境にして変わったと思っているのならば。


「まぁ・・・もしかしたら、いっしゅのとうりゅうもん・・・なのかも、しれないかな」

「それはぜひ、俺もその門、登らせてもらいたいものだ」


何故か短刀にばかり声をかける紺野の意図は、つい探ってしまうけれど。
強くなる機会は、決して逃さないように。
背後で、水面の落ち着いた池からパシャン、と再び、波紋を大きく広げていく。
穏やかに泳ぐ鯉は、常に飛翔の機会を覗がっているのだから。


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