10、純粋な感情と、相手を想う心


「あのね、ケォケォ、ゆってゆの」

「ケロケロ?あぁ、あれは“蛙”と言うのですよ」

「かえう?」

「はい、かえる、です。雨が好きで、こうして雨が降り出すと、みんな一斉に鳴きだすのです」

「ないちゃう?いたいいたい?」

「いいえ、嬉しくて、泣くのですよ」


べにとの会話が、幸せだ。
前に誰だったかが、「べにと会話が通じることが嬉しい」と言っていたが、その通りだと思う。
あんなに柔らかく、一人では寝返りもうてなかった主が、庭を走り回る。
ミルクしか飲めなかった主が、自分でスプーンを使って食事を摂る。
泣くか、笑うかしかできなかった主が、こうして意図をもって言葉を交わすことができる。
日々の一つ一つが宝物で、着々と動画編集能力のついていく太郎太刀の気持ちもよく分かるというものだ。

―――だが、ふとした時に思い出す。


「(・・・あの頃の、有無を言わさぬ“歓喜”の霊力・・・)」


以前は霊力が拡散してしまい、手当部屋でなければ行えなかったそれも、今では願う相手に対してのみ力を向けることができるようになった。
相手の様子を見ながら、べには“願い”をもって力を使う。


『いたいのいたいの、とーでけっ』


“歓喜”ではない。“心配”と“不安”からの、“治れ”という命令に近い力。
決して不快なものではない。温かいそれは、じわり、ふわりと身体を包み、確実に傷を癒していく。
何と頼りになることか。何と、成長したことか。
思わず熱くなる目頭を押さえつつ、それでも脳裏をよぎるのは、自分が顕現されたときのあの霊力。
今のべにの力の使い方が間違っているわけではない。・・・間違っているわけが、ないのだが。
それでも時折、物欲しいような気分になってしまって何とも・・・


「いちにぃ?だいじょうぶ?」

「・・・っあ、ええ。すみません、少し気を抜いてしまいました」

「んー・・・?・・・かえう!」

「え?」

「かえう、みる!」

「か、蛙を、ですか・・・」


女子はそういったものを好まない傾向にあると思うのですが・・・
一般よりも多少お転婆な感性に若干苦笑しつつ、未だ雨の降り続く庭に目を向ける。
そういえば雨も好きな方だったな・・・とまた薬研辺りにチクリと言われることを考えて菩薩のような心持ちになった。
けれど、べにのキラキラとした目にかなうはずもなく。


「少し待っていてくださいね」

「いやっ!」

「・・・ですが、雨に濡れて風邪を引いてはいけませんから」


庭ではなく、部屋の方に向かう自分の背中にべにの視線が突き刺さるのを感じつつ、玄関から目的のものを手に取って足早にべにの元へと戻る。
ぱりっとしたそれをべにに手早く着せて、庭に降りる石の上に長靴を置けば。


「はい。これで雨でも庭に出ていいですよ」

「・・・!あいがとう!」

「はい、どういたしまして」


顔を輝かせて庭に降りる後姿を見守りながら、自分もレインコートを着、長靴を履いてべにに続く。
「かえうさん?」ときょろきょろするべにに「そちらを探してみてください」と指さした。
けれど雨の音が楽しいのか、すぐに目的も忘れてバシャバシャと水たまりを跳ねまわるべに。
そんな愛らしい姿に目を細めて、さて、と茂みに目を落とした。
あまり大きいものはよしたほうがいいだろう。流石に。
ゆっくりと茂みの中に視線を流しつつ、ぼんやりと先のやり取りを思い出す。
べにのいやいや攻撃にも、慣れたものだ。
最初の頃こそどうしたらいいのかわからずに本丸中で辟易したそれも、原因さえわかれば対応できるようになった。
ただすべてを察して対応していたら、歌仙に以前、釘を刺されたが。
確か、「何が“いや”なのか、説明する力もつけさせないと。“いや”ですべてこちらが察していては、いつまでも反抗期は終わらないよ」だったろうか。
だが、思う。
一人くらい―――


「・・・・・・おや」


思いのほかすぐに見つかった鳴き声の主に、そっと息を殺して近付き、ゆっくりと手を伸ばす。
標的がこちらの気配を察したことを察した瞬間、パッと手を伸ばしてその身体を手の中に閉じ込めた。


「捕まえましたよ、べに殿」


一人くらい、こうして全力で我儘を言える相手がいても、いいと思うのだ。
本丸の者は皆、とても教育熱心だから。
でも、一人くらい。
貴女の存在のすべてを受け入れる人が、必要だと。
近付いてきたべにに手のひらをそっと開けば、大人しくそこに鎮座する薄緑色のアマガエル。


「ぅわぁ・・・!!」


目を輝かせるべにに、ピクリ、と身体が反応してしまった。
それに追い立てられるように、蛙は手のひらからピョンと飛び出していき。
あっという間に茂みの中に姿を消したそれを暫し茫然と見送ったべには、思い出したようにこちらに“感動”の色に染まった目を向けた。


「・・・かぁいい!」

「はい、可愛いですね」


君の可愛い我儘なんて、その笑顔一つで全て許せる。
もし色々と言われて疲れてしまった時は、私のところへ来てください。全力で、甘やかして差し上げましょう。
他の方と在り方は違っても、これもまた、愛の形。
・・・鶴丸殿ではありませんが、教育の中では得られない“感動”の霊力は、中々に美味しいですし、ね。


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