13、喜んでもらおうとする


「は?こんな幼子に僕の主が務まるわけないでしょう」


その瞬間、鍛刀の火が一瞬消えたような気がしたけれど、そんなことはどうでもいいんです。




馬鹿にするにもほどがある。

本丸の案内を終えて、割り当ての自室だという場所に腰を下ろして深く、長くため息をつく。

楽し気な力に引っ張られて起きたはいいものの、ほんの多少の期待を胸に開けた目の前に現れたのは、目を輝かせるだけの小さな子ども。
これが主?冗談じゃない。刀を振れないどころか、僕の価値すらも理解できない小童。

・・・その上、こんな暑苦しい季節に呼ばれるなんて。

そう大して大きくもない本丸の中を一周しただけなのに、汗ばむ背中に舌打ちをする。
温いような風も。慣れない身体も。肌に張り付く髪も。すべてがすべて、鬱陶しい。

―――鬱陶しいと言えば。


「・・・あっちいってもらえます?近くに居るだけでも五月蠅いんですよ」


障子に映る影のサイズは分かりやすく一人の人間を表していて、一歩前に出たり、戸惑うように戻ったりと、視界の端をチラチラと羽虫のように動き回る。
アレが主?・・・冗談じゃない。


「(宗三左文字だよ)」

「そー・・・じゃ?しゃも・・・じ?」

「ブフッ」

「これはぜひともこめをすくってもらいたいですね」

「だめだよ、左文字は他にも二振りいるみたいだから・・・」

「・・・なんなんですか」


想定した以上に、声がした。
恐らく短刀だろうが、全然気配を感じられなかった自分に少し嫌気がさす。
眉間のしわがまた一つ増えたところで「あの・・・」と幼子のさらに後ろから、今度はもう少し大きな影がおどおどと開いたところまで歩いてきて、ひょこりと顔を覗かせた。
白い、影。確か・・・五虎退、と言ったか。


「べに様は、宗三さんと、その・・・仲良くなりたいんです・・・」

「・・・馬鹿らしい。“仲良く”?そうやって僕に取り入って・・・」

「こんな子どもが人に取り入るなんてこと思い付くわけなかと」

「・・・・・・暑さで頭がやられているみたいですね」


普段なら嫌味で言う言葉を自分に向けて言うのは癪に障るが、全くもってその通りなので返す言葉もない。
ぞろぞろと五虎退に続いて顔を出すのは、似た誂えの服を身に纏った藤四郎の短刀たち。
それに三条の短刀も混じっているとなれば、恐らくこの本丸の短刀がほぼそろったことになるのだろう。
・・・そこに自分の弟がないことに、落胆した感は否めない。
ふい、とそこから視線を逸らしたときに、首にまとわりつく髪が鬱陶しい。
手で払っても、湿気を含んだ髪はすぐに落ちてきて何の気休めにもならなかった。
嫌味のつもりでも暑いのは事実で、こんなとき、この服装や髪はひどく煩わしいものになる。
いっそのことバッサリ切ってやってもいいが、手入れをしてしまえばそれも意味がない。
・・・まぁ、出陣をしていない以上、手入れをされる謂れもないのだけれど。


「・・・!」

「ん?どうしたの、べに?」

「みやえちゃん、あのね、あれ!」

「あれ?・・・あ!わかった!」


幼子の意図を察した乱藤四郎が、ちょっと待っててね!と言って素早くその場を後にする。
・・・全員帰ればいいのに・・・
そんな願いも虚しく、思いのほかすぐ帰ってきた乱藤四郎が、幼子に何かを手渡しているのが障子に影を映して伝えてきた。
・・・他所でやってもらいたい。
口に出すのも億劫なその思いが伝わるはずもなく。何かを受け取った幼子が、さっきの声の通り楽しそうな・・・と言うか、何かを企んだ表情でこちらに軽い足取りで近付いてきた。
後ろ手に何かを隠し持っているし、これで身構えるなと言う方が無理な話だ。
こちらの警戒を感じ取ったのか、幼子もある程度の距離を保ったまま円を描くように横から後ろへと回り込んでくる。


「・・・なんですか」


その問いに、答えはない。ただ、企みの表情と、その照準をこちらに合わせるだけ。
睨み付けるようにその動向を横目で確認すれば、後ろまで回り込んだ幼子はそのまま反対側へ回り込もうとする。
首が一回転するわけでもなし。反対へ首を回すために、一瞬、目を離した。


「!?ちょっと・・・何のつもりです!?」

「だーめ!じ!」

「はぁ!?」


隙をついて一瞬で距離を詰めてきた幼子に、意外と侮れないと感心する暇なんてない。
“動くな”と子どもながらに遠慮のない力で叩かれても、突然髪を鷲掴みにされて、身を引くなと言う方が無理な話だ。
叩かれる背中も、鷲掴みにされた髪も、地味に痛い。
御免被る、と逃げようと腰を浮かしかけたところで、不意に左右から押さえつける力が加わった。


「!?」

「まーまー。せっかく主直々に構おうとしてくれてんだから、有り難く受け取っとけ?」

「贅沢はよくないですよ?」


先ほどと同じく気配を察させない動きで左右から近付いてきていたらしい短刀たちが、両脇をがっちりと捕まえている。
我ながら細身であるとはいえ。鍛刀されたてで、身体をうまく扱えていないとはいえ・・・!


「贅沢って・・・や・・・ちょ・・・ま、待って・・・!」

「かぁいーかぁいーしましょーね♪」

「ひ・・・」


記念すべき、第一回目の悲鳴が、本丸中に響き渡った。










「うーん・・・」

「何と言いますか・・・」

「・・・芸術的?」

「上達したねーべに!」

「・・・一体何がしたいんですか・・・!」


抵抗も虚しく。
隠し持っていたものはどうやら、櫛と髪留めのゴムだったようで。
好き勝手に括られた髪はあちこちが引きつって痛いし、ほどこうとすると「だめー!」とバシバシと叩かれるし。
悪夢だ・・・!
ガンガンと外因ではない頭痛を感じて、思うように動かせない頭を抱えてしまう。
何なんですか・・・!こんなことにして、僕をどうしようと・・・!?


「あつい?」

「・・・は?この場合、痛いかどうかをせめて聞くべきなんじゃないんですか?」

「・・・?」


畳だけだった視界にひょっこりと顔を出してきたのは、件の幼子。
せめてもの嫌味は理解できなかったのか、首を傾げて再び「あつい?」と聞いてくる。
暑いに決まってる。むしろ今の騒動のせいで余計暑くなった。
イライラのままにそう言い放ってやろうと息を吸い込んだ瞬間、クツクツという笑い声が聞こえてきた。


「・・・何なんですか」


そちらを見れば、薬研が楽しそうに目を細めて笑っている。
随分楽しそうですね、なんて、嫌味にもならない感想が浮かんできた。


「宗三の旦那。そこは“涼しくなった”って言っておいた方がいいぞ」

「は?誰がそんな心にもないことを」

「じゃないと今以上に芸術的な髪形になるぜ」

「・・・どういうことですか?」


涼しいことと、このわけのわからない髪形に、何の関係が?
あまりにも理解できない因果関係に尋ねた問いは、幼子と一緒になって髪を括りにかかっていた乱藤四郎が、クルクルと指に髪を巻きつけながら答えた。


「暑いときは髪を纏めればいいって、少し前に教えたばっかりなんだよねー」

「・・・・・・」



『・・・・・・暑さで頭がやられているみたいですね』



僕は確かに、“暑い”と文句を言ったことになる。
じゃあ、この所業は、僕が“暑い”と言ったから?
幼子が―――僕の、ために・・・


「・・・だからと言って、下手くそなことには変わりありませんよ」


ガクン、と全員の肩が一つ落ちた。


「あ、あのですねぇ・・・」

「いいですか、貴女」

「?」


見かねて諫めようとした今剣の言葉は聞こえないふりで、幼子に言い含めるように人差し指を立てる。
今でも頭はあちこちが引きつれて痛いし、髪を纏めたからと言って暑さが消えたわけでもない。
・・・でも、その心根は買ってあげましょう。


「僕をもっと上手に扱えるようになりなさい。そうしたら、貴女に世話をさせてあげます」

「なんば言っと・・・!」

「まぁまぁ」

「薬研!いいの!?」

「・・・ま、今のアイツじゃあれが精いっぱいってとこだな」


したり顔の薬研は視界に入れないようにして。
少しでも楽になるように、少しだけ髪の束を持ち上げた。


「とりあえず今はこれで我慢してあげます。・・・四半刻程度ですよ」

「あい!」


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