16、身支度ができるようになってくる


「山へ修行に行ってくる!」

「!べにも!」

「!?ちょっと待て!」


意気揚々と玄関の扉を開けたが、ガクンと止められてしまった。
振り返れば、兄弟が必死な顔で見上げてきていたが、一体なんだろうか?


「どうした、兄弟?」

「べにが着いていこうとしている・・・!それは駄目だ!」

「?」


首を捻ったが、原因はどうやら兄弟ではなく、その足元にあったようだ。


「べにも!べにも!」


鼻息荒くこちらを見上げる少女は、この本丸の主。そして当然、拙僧の主である。
べに殿は玄関先に座って靴を履き始めていて、外に出るつもりのようだ。
もしや、拙僧の修行に着いて来ようと言うのだろうか?


「兄弟の修行は過酷だ。ついて行くなど・・・」

「カッカッカ!これもまた修行!」

「きゃーっ♪」

「兄弟!?」


靴を履いたべに殿をひょいと抱えれば、兄弟が見たこともないほど眼を見開いて大声を出した。
そんな声も出るのか!見事だぞ!


「カカカカカカ!拙僧に任せられい!」

「水辺には気をつけてくれ頼むから!」


兄弟の叫びを背中に受けつつ、肩車にしたべに殿の黄色い悲鳴を聞きながら、山へ入っていく。
この本丸で、べに殿に鍛刀された拙僧には、他の本丸の記憶などない。
だが、本丸の中の土地が広いという事が、その本丸の審神者の霊力を表しているということは、生まれたときに入った記憶で承知済みである。


「こんな素晴らしいところがあるとは、べに殿の霊力は素晴らしいな!」

「べにすごい?」

「その通りである!」

「ふふーん♪」


拙僧の肩の上で小さな胸を張る姿は愛らしく、自信に満ち溢れている。
愛されているものの自信であるな、とすがすがしい気分で山の中腹にある滝壺まで向かった。


山は涼しい。木々に遮られて日光が直接当たらず、冷えた空気が頬を撫でる。
その中で滝に打たれることは、通常より低い温度に晒され、雑念がかき消される絶好の修行となるのだ。
装束を脱ぎ、白装束で膝まで水に浸かったところで、べに殿を振り返る。


「さて、拙僧は修行に入るが・・・」

「べにも!」

「む。それはできぬ。拙僧と同じ修行を行うには、べに殿の身体はあまりに未熟」

「・・・むー」

「何、水で遊ぶことは地上よりも体力を使うのだ。拙僧が修行に取り組んでいる間、水で遊んでいれば自ずとそれがべに殿の力となろう」

「がんばる!」

「ああ、共に励もうぞ!」


既に靴、靴下と脱いでいたべに殿に、拳を向けて互いの意思を確認しあう。
同じように小さな拳を向けて笑うべに殿にひとつ微笑んで、ざぶざぶと滝の中へと向かっていった。

・・・しかし、とは言ったが・・・

滝に打たれながらも、時折目を開けてべに殿の姿を確認する。
幼子一人が水辺で遊ぶのは、危険ではないだろうか?
先に兄弟に言われたように、水辺は危険だ。これだけ近くに居ても、子どもは10秒で溺れるとてれびが言っていた。
滝に打たせるわけにはいかぬと浅瀬で遊ぶように提案したが、やはりそもそも水に入らせるべきではなかったか・・・
目を閉じても、やはり気になってそちらに視線を向けてしまう。
無事に居る姿を確認してほっと息をついて目を閉じても、10秒、と思うと集中もできず。
滝行は、雑念を払い、精神統一をし、己を高めるためのもの。
・・・このように意識が散らされてしまっては、どうにもならぬ。


「・・・べに殿、今日はそろそろ帰るとするか」

「おしまい?」

「うむ。拙僧も修行が足りぬ」


首を傾げつつも、満足していたのか大人しく手ぬぐいで手足を拭き始めるべに殿に倣い、自身も身支度を整える。
べに殿を見守りながらでは、自身の内とじっくり向き合うなどできそうにない。
やはり次からは遠慮していただいて、一人で来るべきか・・・
行きの快活さとは正反対に、鬱々とした気分で山道を下る。
前を行くべに殿の足取りは軽く、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように―――こけた。


「!?」

「・・・、・・・・・・・・・ふぇ・・・っああーん!!」

「す、すまぬ!」


慌てて駆け寄り、べに殿を抱き起こす。
山道は、通れるようにある程度道は作ってあったが、決して平坦ではない。
土のついたべに殿の膝は、赤く、すりむいて血が滲んでいた。


「すまぬ・・・こんなに近くにいておきながら、べに殿に怪我を・・・!!」

「ああーん!!あーん!!」

「とにかく、本丸へ!」


べに殿を急ぎ抱え、残りの山道を走り下りる。
血相を変えて帰ってきた拙僧らを見て兄弟は事情を察し、すぐに薬研を呼び立ててくれた。
連れて行かれたべに殿はもう泣き止んではいたが、重要なのはそこではないのだ。


「すまぬ・・・任せよと言ったのに、べに殿に怪我をさせてしまった・・・!」

「・・・そういうこともある。だがやはり、気をつけてくれ」

ふぅ、とため息をついて被っている布を引き下ろす兄弟に、本丸を出る前の言葉を思い出す。
水辺は気をつけていた。だが実際、怪我をしたのは水とは無縁の山道。


「そうか・・・危険な場所は水辺だけではないのだ。常に周囲への警戒を怠らないことが、べに殿の身を守ることになるのか」


ではやはり、べに殿が山へ入るのはよしたほうがいいだろうか。
山は危険が多い。べに殿も、本丸の中のようには動けまい。


「・・・難しいところだ」


残念なことだ、と頭を下げたところに、兄弟の唸り声が耳に入った。
顔を上げれば、兄弟の、苦しむ顔。


「行き過ぎれば、過保護になる。過保護は・・・べにを、何もできない子にする」


それではいけない、と首を振る。
確かに、それではいけない。
拙僧らはあくまで刀剣男士。人ならざるもの。
拙僧らがいなくなったとき、最悪、一人でも。
生きねば。生きて、もらわねば。


「試されるのは、裁量だ。・・・古株の俺たちは、どうも甘やかしてしまいがちで・・・どうか、べにを強い女子にしてやってほしい」


兄弟の真摯な目に、深く、下げられる頭に。
突き出された小さな拳を、思い出した。










「べに殿、拙僧はべに殿を強い女子にしよう」


これは、拙僧への誓い。
拙僧の“強さ”への、宣誓。


「べに殿が怪我をすることも、あるかもしれない。だが、決して命に関わるような怪我、跡の残るような怪我はさせない」


鍛えよう、厳しく。だが、護ろう。
それはべに殿が、まだ自身の身も護れぬほど、幼いからか。
だがこの誓いは、主が幼子でなくなっても、きっと。


「山へ行こうぞ!共に野山を駆け回り、強き身体と心を、その身に宿す。是即ち、主の心身の成長也!」


拙僧は、器用なほうではない。真っ直ぐにしか、進めない。
だが、もし、主がそれでもいいと、言ってくれるのであれば。


「共に励もうぞ」


突き出した拳に、―――小さな拳が、コツンと当てられた。


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