怖い話


暑い、夏の夜。本丸の中でも広めの一室で。
暗い行灯の光が、何かに揺らめく。
身を寄せ合って息を飲む短刀たちの向かい、一人正座をする長髪の男。
ゴクリと生唾を飲み込む音が誰かから響くのが聞こえるほどの静寂の中、彼はそっと声を出した。

「―――そして、彼はゆっくりと振り向いた。“何もいない、何もいない”。心の中で、何度も言い聞かせながら。けれど、そんな願いも虚しく―――そこには、山姥切が不思議そうな顔をして立っていたんだ」

「っ…な、なぁんだ…」


ほっとしたような乱の声が、部屋にぽつりと落とされる。
同時に部屋の中からいくつも聞こえてくる安堵のため息に、語り部であるにっかり青江はほんのかすかに笑みを浮かべ―――そして、再び口をあけた。


「“どうした?こんな夜中に”。彼に話しかけながら、山姥切はスタスタと部屋のほうへ歩いていく。なんだ、やっぱり気にしすぎか。ほっと息をついた彼を振り返って、“早く寝たほうがいいぞ、”と声をかける山姥切。―――その顔を見て、息を止めた」

「……ぇ」

「その布の中。決して入れる隙間などないはずのフードの中に。……無数の、にたりと弧を描く眼が…!」

「ひっ…っ!?」

「っきゃああああぁぁ!!!」


ドタドタドタドタドタバンっ!!!


「「うわああぁっ!?」」


パチッ


「どうした、お前たちっ!」


突如明るくなった室内に目が慣れず、思わず目を伏せる短刀たち。
乱の悲鳴が止むより早く本丸内に響き渡った足音は、彼らの兄にあたる一期一振のものだった。
雰囲気作りのために消してあった電気はあっさりと点けられ、切羽詰った兄の声に弟達は目を瞬かせながら顔を上げる。


「よっ…よー、いち兄。夜中に廊下を走るもんじゃねぇぜ?」

「あーびっくりした!いち兄、そんな騒がしくすると怖いだろー?」

「は…?」

「ふふ、心配して駆けつけたというのに、皆酷いねぇ」

「!青江殿…貴方の仕業でしたか」


危険はないと悟り、ほっと肩の力を抜く。
どうやら怪談話をしていたらしいが、青江の反応を見るに、短刀たちの悲鳴に一期がこうして駆けつけてくることまで仕込みの中に入っていたらしい。
弟達を驚かせることに図らずとも一役買ってしまったことに、気が抜けるのと同時に若干の腹立たしさを覚える。
しかしそんな機微もお見通しといわんばかりに、青江はやれやれとため息をついて見せるのだ。


「仕業とはお言葉だねぇ。話を振ってきたのはこの子達だよ?」

「何?」

「っご、ごめんなさぃい…!暑いから、涼しくなりたいね、って言って、皆で…ぇっ!」

「五虎退…まったく…その、後ろの丸いのは何ですか」


全く隠れきれていないが、五虎退の後ろで身を縮めている誰か。
完全に顔も見えず、襦袢のため服装での見分けもつかないが、大の男が自分よりはるかに小さい子どもの後ろでああも身を縮めて耳も目も塞いでいるというのは、なんとも…
身体を丸めているせいで身体的特徴も掴みづらく、黒髪ということしかわからないが…はて、誰だと首をかしげていると、不意に後ろから「よう!」と明るく声が掛けられた。


「!鶴丸殿」

「なんだ?面白そうなことやってるじゃないか!」

「…貴方も弟達の悲鳴に釣られてきたのですか?前々から弟達を餌にするのはやめてくださいとあれほど…」


何度頼んだかわからない言葉を思わずお小言のように言えば、普段は「まぁまぁ♪」となし崩しにするそれに首を傾げる鶴丸。
そして続いた言葉に、思わず目が点になるのを感じた。

「まぁそれもあるが…主の声が聞こえたからな!今後の悪戯の参考になればと思って」

「だから、主にも手を出すのは…は?主の?」

「鶴丸君は今日も感度抜群だね。…耳がいい、という意味だよ?」


青江の意味深な言葉には無視を決め込んで、もう一度五虎退の後ろに目を向ける。
丸めてはいるものの、五虎退よりも数段大きい身体つき。
黒い髪は、短く動きやすいように切りそろえられていて。
襦袢の隙間から見え隠れする手足は、程よく筋肉のついた…


「あ…主!?」

「っっっっっ……!!???!!?」


ビクン!と身体を飛び上がらせたそれに、間違いなく主だ、と確信する。
けれどそれと同時、何故彼が此処に居るのかという疑問が脳内を駆け巡った。
ここは粟田口の短刀たちにと宛がわれた部屋。
特に隔離されているわけではないが、主の部屋はそれなりに遠い。
基本男士たちの私生活までは干渉しようとしない主が、何故。


「ぼ、僕がお願いしたんですぅ…っ!皆と一緒に肝試ししたいけど、怖いからって…!」


主様は悪くないです!僕が悪いんです…!と必死になって主を背に庇う五虎退は、主が責められると思っているのだろうか。
…その背で庇いきれない主が微動だにもせず縮こまっているのは、逆に一層情けなく、不憫でもあるが。


「意外〜!主って怖い話ダメなんだ」


真っ先に自分が悲鳴を上げたことを棚に上げて、乱が笑う。
確かに、常にびくびくしている主ではあるが、ここまで分かりやすく頼りない姿を見せるのは珍しい。
特に短刀たちの前では、模範になろうとしているかのような言動も多かったはずだが…
つい首をかしげると、同じタイミング・同じ向きで前田と平野も首をコテリと傾ける。


「途中までは、こんなこともなかったのですが…」

「やはり、身近な話になると恐怖も増すのでしょうか?」


前田と平野の言葉を聞いて、一体いつからやっていたのかと頭が痛くなる。
まぁ、こんな時間にまだ起きているのだ。いつ始めていようが、お説教はその分だけ長くなるだろうが。


「ほぉ〜?主は怪談話がダメなのか!こいつはいいことを聞いたぜ!」

「…鶴丸殿。何度も言いますが」

「話だけのときは、平気そうだったんだけどねぇ」


なかなかどうして、となにやら頷いている青江をよそに、部屋の空気がピシリと音を立てて固まる。
鶴丸を追及しようとしていたのも忘れて、怪しく笑う青江へと首を向けた。


「…青江殿」

「…おい、やめろ一期。その質問は誰のためにもならん」

「しかし…」

「おや、いいのかい?溜め込むのは身体に良くないよ。…色々と、ね」


普段なら、「またそういう言い回しをして、」と弟達の教育によくない言葉をたしなめようとするだろう。
なのに何故だ。今はまた、別の意味に聞こえてならない。


「っ…ぁ、…?い、いちご、ひとふり、殿…?」


ほんの少しだけ顔を上げた主が、おそらく足を見てようやく声を上げる。
膝を付くべきか少し悩んだが、少し考えて立ったまま声をかけた。
ひとまず青江のことは脇に避けて、主にご助言すべきだ。


「…、はい、主殿。一期一振、ここに。…もう夜も更けました。今日はもう、休まれては?」

「っそ、そうです、よね…っ、おぉ、お見苦しいまねを…っいた、いたしま、して…!」


慌てて立ち上がろうとする主だが、長いこと身体を縮こまらせて緊張させていたせいか、立ち上がったとたんにふらりとよろめく。
「あっ」と慌てて体勢を整えようとするも、近くには短刀たち。
蹴飛ばしてはならない、と考えたのだろう。
身体をひねって誰も居ない方向へ倒れようとするのを―――とっさに抱きとめることができたのは、この一連の流れがすべて予想の範囲内だったからだった。
衝撃に備えてぎゅっと目を瞑っている主に少し笑いそうになり、表情を引き締める。


「―――お気をつけください。御身に障ります」

「ひっ…!?あああぁあぁ、すすすす…すっみ、すみませ…んっ!」


はっと目を開けた主が一瞬で真っ青になるのはもう見慣れたものだが、やはり、そう何度も見たいものでもない。
いつかは慣れてくれるといいが、と儚くも難しい願いを胸にその身体を起こせば、何度も頭を下げた主はふと何かに気付いたように顔を上げた。
その視線の先は、鶴丸。


「…あ、あれ…?」

「ん?どうした主?」

「い、いえ、その…鶴丸国永殿、だけ…?」


質問の意味がわからず、そろって首を傾ける。

だけ、とは、一体。


「主」


ぴん、と声が通る。
青江の声が、妙に空気を張り詰めさせる。
思わず全員で青江を見ても、彼は伏せた目を上げることなく。


「“彼”は放っておいて平気だよ。気にすることないさ」

「…っそ、……そう、ですか…」

「……おい。何だそれは。おい!?俺の後ろに何かいるのか!?」


唐突に飛び火した恐怖に、鶴丸が笑顔のまま顔を青くする。
目はきょろきょろと忙しなく動くも後ろを振り返らないあたり、効果は抜群、といったところだろう。
冷静にそう考える一期も、振り返って鶴丸を見ることが出来ないので、人のことを言えたものでもないのだが。


「さ、もう遅い。夜は短刀たちの舞台とはいえ、明日もあることだし、今日はもう寝ようか」

「そ、そうですね…太刀のお二人も、起こしてしまったことですし…よ、よろしいですか…?」


誘われて付き合っている手前、さっさと帰ることはできない、といったところか。
短刀たちの顔色を伺った主がそう聞いたのとほぼ同時。
無数の小さな手が、その身体に縋りついた。

―――いや、霊的なそれではなく。


「あ、主殿ぉ…!か、帰っちゃうんですかぁ…?」

「き、今日は一緒に寝ようぜ!たまにはいいだろ、な!?」

「お前たち…」


ひし、としがみつく手は、もう少しで主の襦袢を肌蹴させてしまいそうなほどに力強い。
そうなるならそもそも怖い話などしなければよかったのに、という言葉は、きっと意味を成さないのだろう。
そしてこうなってしまっては、主が否定の言葉など吐けるわけもなく。


「えっ……あっ、そ、ぅえっ…!」

「なら、主の部屋から布団を持ってこねぇとな。いち兄、付き合ってくれるか?」

「お、俺も一緒に寝るぞ!もちろんお前もだ青江!」

「僕もかい?まぁ、僕を置いておけば魔除けくらいにはなるけどねぇ」


変なコトしないでくれよ?とにっかり笑う青江を、お前がな!と引きずりながら部屋を出て行く鶴丸。
きっと布団を取りにいったんだろうが…道中、彼は悲鳴を上げずに済むのだろうか。
あれよあれよという間にことは進み、この熱帯夜に、ひどい人口密度になりそうな部屋の温度を考えてため息をつく。
それでも「いち兄早くいくぞ」とせかしながら部屋を出て行く薬研の背中を追いかけるあたり、自分も大分この本丸に染まってきたな、と誰にも気付かれないよう、小さく笑った。




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