その後の彼


「せんせーはどっちが勝つと思う?」


烏野高校、会議室。
バレー部の部員が見守る先には、スクリーンに映し出された黒いユニフォームと白いユニフォームが対立するコート。
タイムアウトに入ったタイミングで口を開いたのは、レギュラーで活躍する選手ではあるが、生徒の一人。
教師に対する言葉にしては軽いものだったが、”せんせー”と呼ばれた男はそれを気にする風でもなくゆっくりと首を傾げた。


「そう、だねぇ…」


そう応えながらも、視線はスクリーンから外れない。
それもまたいつものこと、とそのうち返ってくるであろう返事を待っていたが、”せんせー”の顔が徐々に歪み、頬に涙が伝い始めたあたりで隣にいた部長がぎょっとして腰を上げた。


「ちょ!?は?え!?なんで泣いてるんです!?」

「ふぇっ…ご、ごめん…っく、こ、この二人、最期まで勝った負けたで競ってそうだなと思ったら…」


ぐしぐしと子供のように袖で涙をぬぐう姿は正直そこそこ見たことあるが、慣れたいものでもない。
原因を作った(にしては大した質問でもなかったが)生徒に睨みを効かせても、「いや俺悪くないでしょ」とパタパタと手を振るばかりで。


「なんか、“勝ち逃げすんじゃねぇ”とか、“負けたままでいいのかよ”とか、今際の際までそんなこと言ってる二人を思い浮かべちゃって…」


どっちかというとさっきの質問一つでそこまで想像を膨らませてしまうこの先生の方に問題があるんじゃ、とはなんとなく思ってしまうのだ。


「…先生ってこのチームの…ていうかこの二人のことよく知ってますよね」

「えっ!?あ…うーん…そ、そうかなぁ…?」

「え?せんせーこの二人とチームメイトでしょ」

「えっ」

「は…えぇ!?そ、そうだったんですか!?」

「そ、そうだけど…秋口君、なんで知って…?」


今度こそ椅子をがたりと音を立てて立ち上がった部長の他にも、「マジ?」「いや知らんけど…」とざわざわと会議室の中に興奮が広がっていく。


「だってせんせーめちゃくちゃボール出し上手いじゃん。絶対経験者。ここの卒業生だって言ってたし。歳も同じでしょ?」

「…秋口君、探偵になれるよ…」


呆れとも感心とも言えないため息をついた”せんせー”は、タイムアウトが終わってコートに戻っていく選手たちの姿に目を移す。
こうなると”せんせー”はいいプレーについての解説しかしてくれない。それをわかっている生徒たちは、チャンスは次のタイムアウトだ、と一旦気持ちを落ち着かせて席に着く。
そんな生徒たちの気も知らず、”せんせー”こと大野は、彼らのプレーに目を輝かせるのだ。






ボールが叩きつけられる。ホイッスルが鳴る。選手たちの頭が上がり、下がる。
長編の大作映画を見た後のようにほぅ…と息をついて、一度目を閉じた大野は、さて、何か参考になったかな、と生徒たちを振り返り。
全員の視線がこちらを見ていることに気付いて、ヒュッと息を呑んだ。


「先生、あの二人と同じチームだったんですか。めちゃくちゃすごいじゃないですか!」

「えっ!?え、えぇ…あ、いや、凄いのはみんなであって、僕は全然…ほら、ボール出ししてただけだし、ねっ?」

「…先生ってしなさそうだけど絶対浮気できないよな」

「わかる」

「!?そっ…えぇ!?」

「連絡取ったりしないんですか?」

「いっ!?いや、そんな、谷地さん以外に懇意にしてるような女性は…!」

「いや、バレーの方で」

「先生彼女いたんだー!?」

「マジかよ!?いやそりゃいい歳だしいるよなぁー!」

「い、いい歳…」

「ちょっと本筋。で?連絡取ってあわよくば練習見てもらったらできないんですか?」

「…それは、できない、かな」


わいわいがやがや。
そんな形容詞がぴったりの状況は、「あ、これガチトーンだ」という誰かの小さな声を最後にピタリと止む。
普段はため口でも構わないくらいの関係性を作らせてくれるのに、大事なところはピシャリと締める。
結構しっかり”先生”なんだよなぁ、と、誰ともなくそう思った。

「まず、相手はプロだよ。バレーで生活してるんだから、それを呼ぶとなれば相応の対価は必要で、彼らが練習に費やす筈だった時間を貰うことになるんだから、究極の話彼らの将来に手を出すと思わなければならない。関係性があるからこそ、彼らのことが大切だから、邪魔したくないんだ」

「…とか言ってせんせー、卒業してから連絡取ってなかったりしない?」

「えっ!?な、何で…!?」


さっきまでの”先生”はどこへやら、あっという間にオロオロとした”へなちょこ”に戻ってしまった大野に、「せんせーの行動わかりやすっ」とケタケタと笑いだす秋口。


「相手怒ってそうだなー。いつでもいいから連絡しろって言われなかったの?ていうか連絡来なかったの?」

「れ、連絡…入ってたこともあったけど、忙しかったらと思って…ら、LI〇Eは返してるよ!」

「じゃあ会う予定なんか勿論?」

「…し、してない…」


タジタジの大野を見ながら、このまま学校に呼ぶ流れに持っていってくれないかな、と秋口に期待を寄せる他の生徒たち。
特に最初に口火を切った部長からの熱のこもった視線はすごかったが、秋口の気分は秋の空のように変わりやすいのだ。


「せんせー、彼女の写真とかあるー?」

「えっ!?いや、あの…!あ、ちょ…!」

「えっ!せんせー若っ!てかこのジャージ…」

「こ、こっ…!…っこ、こらっ!返しなさい!」


ひょい、とプロジェクターの隣に置いてあったスマホを拾い上げ、くるりと表に返せば時間と共に表示される一枚の写真。
いったいどんな写真だったのか、そもそもめったに生徒の前でスマホを出さない大野の待ち受けを知っている者などほとんどいない。
秋口の目に留まったそれも、あっという間に元の持ち主の下へ帰ってしまい、それ以上追及もできず。


「せんせーマジこの世代だったんだ…てかこんな仲良さそうな写真撮ったのに連絡取ってないとか薄情じゃね?」

「えっ…は、はく…じょ…」

「まっ、まぁまぁ先生!とりあえず一回電話するだけしてみませんか?無理にとは言いませんから」

「う…うん…」


どんな写真かも気にはなるが、過去の写真より今のプロ。
折角手元に電話もあることだし、と促したが、そっとポケットに仕舞おうとする動きに思わず敬語も忘れて大声を出した。


「今!今!先生どうせ有耶無耶にするつもりでしょ!」

「ぅ…い、いや、でも、練習中だったり、休んでたりしたら…」

「そしたら折り返してくれますよ!ほら!」

「あっ!?」


流石若者、と言うべきか。
ホームボタンに大野の右手の親指を押し当てロックを解除したかと思えば、即座に電話のアイコンを見つけ出して電話帳を開く。
流れるように”影山”の名前を見つけ出し、迷うことなく発信ボタンを押したかと思えばスピーカーモードにするまでも、本当にあっという間だった。


『大野か!?』

「ヒィッ…!?」


そして、電話の相手の反応の速さも。
慌てて受話器の赤いボタンを押そうとしていた大野の手が大きく震え、スマホが床にゴトンと落ちる。
…直前に受け止める辺り、流石バレー部というかなんというか。


『お前…!…ぁー…その…………元気か』

「は、はい…あ、あの…ご、ごめんなさい…突然電話なんかして…」

『いや、いい。…どうした?』

「あの!初めまして!影山選手ですか!?」

「あっ!?ちょ、ちょっと…!」


スマホを受け止めた部長に持たせて、そのまま通話していた大野。
受け取るという発想が出る前に姿勢を正してしまった大野に、ここぞとばかりに割って入った部長を止めろと言うのも無理な話。


「大野先生に教えてもらってます、烏野高校のバレー部です!もしオフの日とかあれば、ちょっと遊びに来てもらえると嬉しいです!!」

『……』

「こ、こっ…!…もう!だ、駄目だよ!勝手に…」

『…日向には』

「ご、ごめん…え?」

『…日向にはもう連絡したのか?』

「う、ううん。影山君が初めてだよ」

『…そうか。いいぞ、次のオフに行く』

「へっ、あっ」

『決まったら連絡する。…今度はちゃんといろよ』


フツ、と微かな音と共に、暗かった画面が電話帳の明るい画面に移り変わる。
早鐘を打つ心臓を落ち着ける間もなく決まってしまった予定。
呆然とする大野をよそに、会議室は生徒たちの歓声に包まれた。






そして、後日。
宣言通りやってきた影山と、喧嘩しながら一緒に来た日向に体育館が再びの歓声で震えたり。
久しぶりの再会に怒られたり笑顔が溢れたりといった、幸せな時間が流れたり。
式はいつだなんて話も聞こえてきたりなんかしたけれど。
バレー部員たちが最終的にもった感想は、一つ。

「…彼らに教えてもらうのができないって、言った理由、もう一つあってね」


「だからそこはこう、ガッと前に出て…スッとやればできる」


「ボールが動く前にボールの下にいく感じ?こっから…こう!」


「彼ら、教えるのに向いてないから…」

「先生、すみませんでした。先生の教え方すごく丁寧でわかりやすくて適切でした。こんなこともうお願いしないので今後ともどうぞよろしくお願いします」


大野が先生でよかった、という思いだけだった。


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