谷地推理


その日、彼は自分の席の椅子を引いたときから、様子がおかしかった。
普段通りの朝、周りの友達と言葉を交わしつつ鞄からノート類を出していると、隣の席に手がかけられる。
いつもより早い登校に、今日は朝練早めに切り上げたのかな?と思いながらその手の持ち主に挨拶しようと顔を上げた。


「大野君おは・・・」


ガガッ!

けれどそれは、突然耳をつんざいた騒音に遮られる。
思わず音の出所・・・椅子に目を向けて、いつもならほとんど音がしないくらい静かに座るのに、と少し珍しく思う。
床で何か引っかかったのかな、と思いながら、うるさくしたことに申し訳なさそうな表情を見せるであろう大野君を想像して、もう一度視線を上げ。


「・・・あ、あの・・・大野君・・・?お、おはよ・・・」

「・・・・・・うん・・・」


その座りきった目つきに、それ以上言葉を続けることができなかった。
どうしたんだろう、と思っている間にも大野君ははぁ、とため息をついてどかりと椅子に腰かける。
鞄から教科書類を出すのもおっくうそうで、・・・何か、ものすごく機嫌が悪いということはよくわかった。


「(ど、どうしたんだろう。私、何か大野君の気に障るようなことを・・・!?)」


必死になって考えてみるも、今来たばかりの大野君に自分ができることも限られている。
でももしかして昨日のことで?それとも片付けがしっかりできていなくて・・・!?とぐるぐる考えているうちにチャイムが鳴り、一体何が悪かったのかも聞けずに授業が始まってしまった。


そして、その異変は一時間目が終わっても、二時間目が終わっても、改善されるどころか悪化の一途をたどっていく。
普段なら背筋を伸ばしてしっかりとノートをとっている大野君が、猫背でつまらなさそうに授業を聞いているのだ。
頬杖をついて、時折苛立ちを抑えるようにグリグリと眉間を揉む様子は、正直声をかけられるレベルじゃない。


「(ねぇ・・・今日大野君変じゃない?)」

「(う、うん・・・わ、私何かしてしまったのかな・・・)」

「(何かって・・・大野君がこんだけ苛立つとか異常だよ?)」


昼休みに入って、友達とお弁当を広げても、隣から漂ってくる重い空気に中々食が進まない。
大野君は手に持ったパンをまるで親の仇かのようににらみつけるだけで、食べる気配もないし。
二人でコソコソと様子をうかがっていると、一つ溜息をついた大野君が不意にこちらに視線を向けてきた。


「・・・谷地さん、」

「はいっ!?」


思わず大きな声で返事をしてしまったことに自分が気付くより早く、大野君の眉間に皺が寄る。
慌てて口をふさいで目で問いかければ、また音もなくため息をついた大野君がパンを机に置きながらゆっくりと口を動かした。


「・・・ごめん、今日・・・部活休むって、伝えておいてもらっていい・・・」

「わ、わかった・・・」


ありがとう、と小さく呟いてガタリと席を立った大野君は、フラフラと教室を後にして―――結局、午後の授業が始まっても戻ってくることはなかった。











「(ど、どうやって言えばいいんだろう・・・!?大野君が突然不良になってしまったなんて、部の皆にどう伝えれば・・・!?)」


体育館に向かいながら、ぐるぐると頭の中を駆け巡るのは昼に聞いた大野君からの伝言。
それを伝えれば、「どうして?」と聞かれるのは目に見えていて。そしてその答えは、とても正直に告白できるものではない。
どうしよう・・・どうしよう・・・!と出口のない思考に追い詰められていれば、体育館までの道のりなんてあっという間で。


「あれー谷地さん、今日は大野一緒じゃないの?」

「っ・・・!!日向あ゛あぁぁあ゛!」

「うわっ、どうしたの!?」


体育館に入った瞬間投げかけられた日向の素朴な疑問に、とにかく誤魔化す、という我ながらお粗末な計画はあっさりと陥落したのであった。
決壊したダムのようにボロボロと目から涙がこぼれてきて、焦った日向が影山君とのパス練を放り出して駆け寄ってきてくれる。
相手のいなくなった影山君も続いてこちらにくれば、丁度体育館に入ってきた月島君と山口君も何事かと遠巻きに様子を見てきて。
一年生がそろい踏みだ―――ここに大野君さえ、居れば。


「私はダメなやつです、私では大野君を間違った道から引き戻すこともできず・・・!」

「・・・どういうこと?」


真剣な日向の声に、大野君の午前中の様子、昼に部活を休むと伝言を頼まれたこと、そして午後からの授業を一つも受けなかったことをつっかえつっかえ何とか伝える。
話を聞くうちに、日向も影山君も表情がどんどん険しくなっていって、やっぱり馬鹿正直に言うべきじゃなかったかも、と遅すぎる後悔に心を蝕まれる。
でも、同じチームの仲間である彼らが知らないなんて、絶対に駄目な気がした。


「なんだよそれ!俺も午後の授業頑張ったのに!」

「え、怒るところそこなの」

「部活休むとか、ナメてんのか・・・!」

「影山はそうだろうって思ったよ」


・・・怒るポイントはまぁ、人それぞれかもしれないけど。
器用にも突っ込みながら苦笑する山口君だけど、日向と影山は今にも体育館を飛び出して大野君を探しに走って行ってしまいそうだ。
でも、自分で言っておいてなんだけど、大野君がなんの事情もなく間違った道に走るとも考えられない。
何か事情があるかもしれないって!と山口君と二人で何とかそれを止めていると、「お前ら何騒いでんの?」と菅原先輩と澤村先輩が体育館に入ってきた。


「主将!止めないでください・・・!大野が・・・大野が、ワルになっちゃったかもしれないんです!」

「アイツがバレー辞めるなんて許さねえ・・・!」

「大野?あぁ、あいつなら今日部活休みだぞ」


ギリリと歯を食いしばる変人コンビに、澤村先輩が何でもないことのように告げる。
でもそれは、谷地が伝えるようにと言付かってきたことで。


「!?主将、もしかして、大野がこうなることを知って・・・!?」

「は?大地が大野が今日休むこと知ってるのは、大野とさっき保健室で会ったからだよ」

「保健室!?」

「ま、まさかケンカにも手を出して、治療を・・・!?」


どんどんと飛躍していく止まらない想像に、とうとう澤村先輩が「あのな・・・」と困ったようにため息をつく。
思わず三人そろってピシッと姿勢を正せば、腰に手を当てた澤村先輩が「よく考えろ」と呆れ顔で続けた。


「大野にそんな度胸があるわけないだろ」

「で、でも・・・」

「風邪だってさ」


ぽろり、と落とされたのは、澤村先輩の後ろで皆の様子を見ていた菅原先輩から。
一瞬右から左に通り過ぎそうになったその言葉を、慌てて耳に引き戻した。


「・・・風邪?」

「朝は頭痛いだけだったから何とかなるかと思ったけど、食欲もないし熱も出てきたしで、昼から保健室で寝てたんだって。保健室の先生はこんな高熱で帰したらどこで倒れるかわからないから、迎えが来れるまで寝かせるって言ってたべ?」

「か、風邪・・・そうだったんですか・・・わ、私、気付けず・・・!」


そういわれてみれば、確かにそうだ。
朝から機嫌が悪かったのも、お昼ご飯を食べなかったのも、午後の授業に姿が見えなかったのも。
全部、体調が悪かったなら説明がつく。
逆に何で気付かなかったんだろう、ずっと隣に居たのに・・・!
不甲斐なさに穴を掘って埋まりたい気分に駆られていると、澤村先輩が不意に「あ〜・・・ンンッ、」と喉の調子を整えるように咳ばらいをした。
顔を上げれば、妙に笑顔の澤村先輩が体育館の入り口を指さしていて。


「・・・鞄片付けなきゃって気にしてたから、谷っちゃん、もしよかったら鞄片付けてきてあげてよ」

「・・・!ハッ、はいっ!」


その言葉に、それ以上深く考えることなく体育館から飛び出した。











バタバタと体育館から走り去っていった谷地さんの背中を目で追った菅原が、いたずらっぽい笑みを浮かべて澤村を振り返る。


「”鞄片付けなきゃって気にしてた”って?俺たちが行ったとき大野ずっと寝てたのに、よくそんなことわかったね〜」

「・・・ま!それくらいやってあげてもバチはあたらんでしょう」


にやにやとした視線に多少居心地悪く感じながらも、的外れなお節介ではないだろうとちょっとした確信があった。


「ちゃちゃっと治して、また活躍してもらわんとだしな」


大野はしっかり休める。谷地は少しでも罪悪感が紛れる。
これで大野が明日から復活すれば万々歳だな、と頷いて、「さ、始めるぞー!」と体育館の中に向かって声を張り上げた。


=〇=〇=〇=〇=〇=
リクエスト:このみ様 ありがとうございました!
back