先輩と後輩の癒しあい


「赤葦ィ!トスくれトス!ヘイヘーイ!!」

「休憩中です、木兎さん」

「自主練行くぞー!黒尾ー!」

「えー」

「まだ何も言ってねえよ!?」

「俺には聞きもしないんですか・・・」

「枕投げするぞ赤葦ィ!チーム組んで黒尾のヤローをぶっ潰す!」

「おやすみなさい」


合宿というものはこのように、四六時中木兎さんの面倒をみなければならないものである。
去年の経験から学んだ俺は、周りに迷惑をかけない程度に適度な放置を挟みつつ、それでも授業という休憩がない合宿に体力と精神力をガリガリと削られていっていた。


「ふぅ・・・」


ジャバジャバと水しぶきを飛ばす給水器から顔を起こし、肺に溜まった空気を吐き出す。
多分眉間に皺が寄っていたんだろう。三年の先輩たちが気を遣って「ちょっと休んでこい」と木兎さんを引き受けてくれて、数十時間ぶりに一人の時間をつくることができた。
木兎さんの世話にはもうだいぶ慣れたけど、それでもおはようからおやすみまでずっとは流石に疲れる。
特にこうして慣れない集団生活に身を置きながらのそれは中々肩の力を抜ける時がなくて、合宿後はゆっくり休もう、なんて思いながら首を回した。
コキ、と鳴った首を元の位置に戻して、さて、と体育館へ踵を返す。
休憩をもらえるのはありがたいが、下手に目を離すと何をするかわからない木兎さんだ。
正直、こうしている間にも何かやらかしているんじゃないかと気が気じゃなくて、余計心労が溜まっている気がする。
一回気分も切り替えられたし、とまた気を引き締めて体育館に向かった。


「、っと」

「っ・・・!す、すみません!」


と、体育館に向かう廊下の曲がり角で、誰かにぶつかりそうになってしまった。
いけない。気を張りすぎて、周りが見えてなかった。
「ごめん、」と反射的に謝って、それからようやく相手の顔を見る。
声でなんとなく察しはついていたけれど、そのへにゃりと下がった眉を見て、よくこの辺りで会うな、と前会った時のことを思い出した。


「烏野の・・・えっと・・・大野」

「あっ・・・あかぁし先輩、お、お疲れ様です!」

「うん、お疲れさま」


また給水器かな、と予想して少し身体をずらして道を譲る。
けれど、大野はその横を通り過ぎる様子はなく、その場で立ち尽くしてしまっていた。
おや、と手元を見れば、水道に持ってくる必要がなさそうな未開封のスポドリに、反対の手に握りしめられた何か。
どうしたのかな、と様子を見ていれば、視線に気付いてわたわたと挙動不審な動きをした大野は、少ししたあと何かを決心したようにゴクリと唾を飲みこんでこちらを見上げてきた。


「せっ・・・先輩は、甘いものお好きですか・・・っ?」

「え・・・?」

「あっ、いえっ、そ、そこまで・・・生クリームみたいに甘いわけじゃないですけど、いや、甘いんですけど・・・っ!」

「ちょ、ちょっと落ち着こうか」

「す、すみません・・・」


何やらパニックになりかけている様子にどうどうと一旦気を落ち着かせて、嫌いじゃないよ、と質問に答える。
正直“生クリームみたいにあまいわけじゃないけど甘い物”というのが何なのかわからないのがちょっと心配だけど、大野ならまぁ、黒尾さんみたいに突拍子もないこと仕掛けてこないだろうし。
何があるのかな、とほんの少し次の言葉に身構えていると、俺の答えを聞いてやはり少し迷うように視線を惑わせる大野。
辛抱強く次の言葉を待っていれば、「・・・その、あったもので、申し訳ないんですけど」と拳を突きだされ、落ちてきた何かを思わず受け取ってしまった。
コロリと手のひらに転がる、黄色くて小さなそれ。
クラスの女子がたまに交換してたり、おすそ分けしてくれたりする・・・


「・・・はちみつ飴?」

「もしかして、お疲れなんじゃないかと思って・・・はっ、はちみつは吸収がいいので、すぐにエネルギーになりますし・・・!あっ、ただ、ちょっと口に甘みが残るかもしれないので、これも・・・!」


一緒に差し出されたスポドリに、大野の優しさを感じて、じわりと胸が温かくなる。
荒んでいた心に染み渡るように広がったそれに、俺も結構ちょろいな、なんて自嘲するも、それも仕方ないだろう、と心のどこかが納得する。
タイミングがよかったこともあるだろうが、こんな見事な“心遣い”を受けて、抗う方が無理な話だ。


「・・・ありがとう。元気出た」

「え・・・?」


まだ飴を食べたわけでもないのに、と不思議そうな顔をする大野だけど、大野からもらったのは飴やスポドリだけじゃない。
むしろ大野の心遣いが一番効いたかも、なんて思いながら、さっそく飴の包みを開けて口に放り込んだ。


「・・・それにしても、よく見てるね。俺、そんな疲れた顔してた?」

「いっ、いえ・・・!あかぁし先輩、すごく頑張っていらしたので・・・。本当は、ぼ、ぼくなんかが・・・おこがましいかな・・・って、思ったんですけど・・・」


本気ではちみつの塊のような甘い飴をころころと転がしながら何となく聞けば、やっぱり低姿勢すぎる返事。
いつかもうちょっと砕けた話し方になってくれたらなぁ、とぼんやり考えて、はっと前気になっていたことを思い出した。
そう言えば、あるじゃないか。手っ取り早く距離を縮める方法。


「そうだ。俺の名前、呼びにくかったら“京治”でいいよ」

「ふあっ!?」

「赤葦、って言いにくいでしょ。年上とか、気にしなくていいからさ」

「ぅえ、あ、えと・・・!で、でも・・・っ!?」


狼狽える大野に、ちょっとした意地が芽生える。
どうにかして名前で呼ばせてやりたいな、と思って言葉を探せば、口から出てきたのは何とも言い難い台詞だった。


「・・・京治先輩、なんて呼ばれたら、俺の疲れなんてどっかいっちゃうかも」

「え、えぇえ・・・っ」


我ながら、下手なナンパ野郎みたいだ。
それはどうなんだ、と流石に気まずくなり、「なんてね、」と誤魔化そうかと口を開く。
けれどそれよりも、かすかな音が耳に届く方が早かった。


「せ、先輩が元気になれるなら・・・」


本気にしたのか、と大野の予想以上の純粋さに驚きつつも、次の言葉を期待して口をつぐむ。
拳を握って何やら決意したらしい大野が顔を上げれば、そこは見事なまでに赤く染まっていた。


「ぼ、ぼくっ、が、がんばります、ね・・・!京治先輩・・・!」

「・・・・・・」


にやけそうになる口元を、思わず手でしっかりと隠す。
以前“あかぁし先輩”と呼ばれた時もいいものだと思ったけど、これは・・・
頬の筋肉をしっかりと制御してできる限りさわやかな笑みを浮かべ、“良い先輩”を演じた。


「・・・うん、よろしく」


我ながら若干変態っぽいなとは思うけど、嬉しいものは仕方ない。
甘く溶けた飴を飲み込んで、改めて「ありがとうね、」とスポドリを軽く持ち上げてからふたを開ける。
ノンシュガータイプのそれは口の中を洗うように流れていって、また大野の心遣いを感じられる、というわけだ。
おもわず嘆息すれば、雰囲気を感じて幸せそうに笑みを見せる大野。
そんな様子を見て、梟谷に転校してきてくれないかな・・・なんて、わりと本気で考えた。


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リクエスト:壱様 ありがとうございました!
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