へなちょこの日常・・・?


PM 01:20


「ただいまー」

「おう、お帰り」


昼食も終わり、買い物も全て終わらせた大野親子は、約3時間半の外出を終わらせて家に帰った。
そしてそこで出迎えた声に、いくつもの買い物袋を両手に持っていた大野の肩が大きく跳ねる。


「あれ、帰ってたんだ」

「昼にな。何もなかったから昼飯まだなんだ」

「はいはい、ちょっと待ってて」


母は特に気にした様子もなく大野から買い物袋を二つ受け取ると、それを持って台所へと向かう。
そしてそれに続くでもなく、リビングに足を踏み入れることすらできない大野が息を潜め。
リビングのソファに腰掛けたまま母の背中を目で追っていた男―――大野の父が、その目を一度伏せた。


「さて・・・圭吾」

「っ・・・はい・・・」


掛けられた声に大野が大げさなほど大きく肩を揺らせば、父の視線が大野を見据える。
そこには父としてではなく、一人の男としての顔が、あった。


「今日は腕相撲でいくか」

「・・・・・・・・・はい・・・」


抱えた荷物をまるで爆弾でも入っているかのようにそっと床に置いた大野は、腕相撲の体勢で肘をテーブルについている父の前に重い足取りで向かう。
大野にとって、父への返事ははいかYesしかない。
まるで処刑台へ向かうかのような絶望の面持ちで、大野は右腕に別れを告げて、そっと断頭台の前に腰を落とした。
あとはただ、母が手早く料理を完成させてくれることを祈るばかりである。





PM 04:00


「ロード行ってきます」


あのあと、大野の祈りが通じたのか、「ご飯できたよー」の声は10分ほどで聞こえてきた。
しかしそれまで散々テーブルに叩きつけられた腕は、とてもじゃないが何かできる状態ではなく。
宿題先に終わらせておいてよかった、と安堵の息を吐いた大野が部屋に逃げ込んで右腕に湿布を貼ったのが二時間前。
右腕のしびれもようやく取れてきた頃、大野はリビングに顔を覗かせてそう伝えた。


「ん、気をつけてね」

「うん、」

「おーじゃあ二時間は帰ってくるなよ」

「・・・はい・・・・・・」


具体的な時間指定に、青少年は一瞬邪推するも慌ててその考えを押し込める。
きっと腕相撲があんまり情けない出来だったから、きっちり鍛えて来いっていう意味なんだ。
そう自分に言い聞かせた大野がじゃあ、と玄関に向かえば、父母の会話が後ろから追いかけてきた。


「ふーん、じゃあ二時間かけて美味しい夕飯を作らなきゃね」

「えっ、おい!」

「ん?なぁに?」

「・・・・・・その」

「主人が帰ってきたのに、料理も振舞わないなんて奥さん失格だよね?」

「・・・・・・」

「・・・いってきます・・・」


この家のヒエラルキーは、大抵勘違いされる。
逞しい父に、優しい母。
そんな見た目どおりにはいかない立場は、大野に世間の厳しさをきっちりと教え込んでいた。






ふっふっ、と短く息を吐きながらリズミカルに足を動かす。
いつものコース、GW合宿中にもずっと走っていた坂道を登れば、ふと前のほうに黒いジャージの背中が見えた。


「・・・あれっ」

「・・・?」


大野が思わず声を上げれば、振り返る鋭い視線。
同じように息を上げた影山が、大野を認めると少しペースを落として横に並んだ。


「大野もロードか?」

「う、うん・・・」


今日はいろんな人と会うなぁ・・・
しみじみと一日を振り返ろうとして、ふと午前中に出会った印象深い二人を思い出した。


「そういえば、昼前にスポーツショップで及川先輩と岩泉先輩に会ったよ」

「・・・及川先輩?」

「・・・?う、ん。青城の三年で、北山第一出身で、影山君の先輩だって・・・」


首を傾げる影山の様子に、大野も首を傾げる。
及川、で名前は間違っていないはずだけど・・・と情報を確認しても、影山はますます首を傾げる一方で。
声のニュアンス的に場所や時間のことを気にしている風でもなさそうだし・・・と大野が混乱し始めていると、影山が納得いかない、といった声を出した。


「おいちゃん、じゃないのか?」

「え、おいちゃん・・・?」

「え、だから、及川さんのこと」

「及川先輩・・・?」

「?」

「えっ、えぇ・・・?」


お互いに、頭上に“?”が飛び交う。
“おいちゃん”=“及川先輩”ではないことに影山が気付き、影山が勘違いしていることに大野が気付くのは、一体いつになるのか。
今回のチャンスもまた、影山が首をかしげつつ「じゃあ、」と自分の家の方角に足を向けてしまったことにより、真実を知るに至らず。
大野も結局、首をかしげながらロードワークを続ける羽目になった。






PM 06:30


「ただいま・・・」


念のためを思って指定された時間より30分長くロードワークを行なってから帰れば、ドアを開けた瞬間漂ってくるおいしそうな香り。
つられるようにリビングに入れば、既にいくつかの料理がテーブルの上に並べられてい
た。


「おかえり、手洗っておいで」

「ん、ちょっと軽くシャワー浴びてくる」

「先食っちまう・・・なんでもない」

「・・・すぐ出るから」


母に微笑まれた父が前言撤回するのを受けて、これは5分で戻らねば、と大野は急いで着替えをとりに部屋へと走った。






「「いただきます」」

「はいどーぞ」


父子で揃って手を合わせれば、母も座って箸に手を伸ばす。
普段より品数の多い食卓に本当に二時間頑張ったんだ、と考えて慌ててその考えを捨てた。
余計なことを考えて、ご飯の味がしなくなるのは勿体無い。


「・・・ん、旨い」

「そ、」


いつもより少し濃い味付けに、母の愛情を感じてむず痒い気持ちになる。
目に見えてラブラブ、というわけではないが、そっとちゃんと夫婦なのだ。
その仲のよさを素直には喜べない青少年特有の悩みを感じつつ、ふと今日あった出来事を思い出す。


「そういえば、さっき影山君に会った」

「影山?」

「圭吾の部活の友達」


母の注釈に、父には話してないことに気付いて慌てるも、「ほーん」と言いながら視線で続きを促す様子におずおずと続ける。


「う、うん・・・で、昼に会った人、影山君の先輩だからそのこと話したんだけど、何でかおいちゃんの話になった」

「剛の?知ってんのか?」

「直接の面識は・・・ないと思うけど・・・」


首を傾げる両親に、やっぱり知らないよね、と同じように首を傾げる大野。
今日は本当にいろんな人とあったなぁ、と一日の出来事を思い浮かべた。
午前中は及川先輩と岩泉先輩、夕方には影山君と。
たった三人とはいえ、偶然で出会うにはずいぶんと多い。
そう思えばたまにしか帰ってこられない父も、偶然出会った一人になるのかな、と向かいで箸を進める父を盗み見る。


「お、これ旨い」

「だろうと思った」

「・・・ごちそうさま」


大野の相手をしているときとはまるで違う顔の父と、普段よりどことなく機嫌がよさ気な母の姿。
二重の意味でおなか一杯になった大野は、そそくさと食べ終わって片づけを済ませると、早々に自分の部屋へと引っ込んでいった。






PM 10:00

部屋に転がっていたボールでレシーブ練をしばらくした大野は、また軽く汗をかいたこともあって今度はゆっくりと風呂に入った。
十分に暖まって身体も解したところで一息ついてベッドに転がり、軽くスマホを操作してから定位置に戻す。
今日はいろんなことがあった。
走馬灯のように今日あったことを思い返して、それから意識して今日よかったことを思い浮かべる。
休みだったけど早起きできたな、・・・宿題、早く終わらせることもできた、・・・買い物のとき、言われずに籠持ってあげられたし・・・サボらずにロードワークに行くことができた・・・、あとは・・・
階下から聞こえてくるかすかな話し声に、ふ、と小さく笑う。
・・・空気を読むこと、できたかな?
5つか、と自分の成績を振り返って、休日はいろんな種類のよかったことがあるなぁとしみじみ思う。
普段はあのレシーブがとか、サーブが何本とか、そういう数え方になりがちなのだ。
けれどそれだって大野が“よかったこと”と思える大事な切欠。
明日も一日頑張ろう、と大野は部屋の電気を消した。


PM 10:30

大野の夜は早い。
明日の予定を思い返すうちにまどろんでいった大野の意識は、ゆっくりと夢の世界へと旅立っていくのであった。


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リクエスト:黒猫様、百華様、月影久遠様、匿名様
「へなちょこが阿吽コンビとエンカウント、へなちょこの一日、及川と仲良くなる」
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