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送信者:不破雷蔵
件名:無題
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月が綺麗ですね。

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-------送信されました---------





「・・・・・・っはぁ」


壊れるんじゃないかってぐらいスマホを握り締めていた手をゆっくりほどき、画面を伏せて机に置く。
送った。
送ってしまった。
異性に。
好きな人に。

『月が綺麗ですね』、と。

なんとなく自分が送った文章をもう一度見ようとして手を持ち上げ、そのままぱたりと落とす。
きっと自分で恥ずかしくなって、のた打ち回ることになるだけだ。
それから、きっと返信が中々来ないことにぐるぐると嫌な考えが渦巻くんだろう。
後ろにあるベッドに背を預けて、ついでに身体も力を抜く。
見上げてもそこにプラネタリウムはない。でも、窓の外には天然モノが広がっている。
今日は中秋の名月。
今年は運よく快晴で、月だけでなく星もそれなりに見える。
月が綺麗なのは、本当だ。
だからもし僕の言葉の意味が分からなくても、彼女に変な思いはさせないだろう。
けれど逆に、深読みせずにそのまま「そうだね。」と返ってくる可能性も高い。
そう・・・―――臆病な僕には、それが精一杯の告白なんだ。


「・・・I love you」


英語の先生に二重丸を貰った発音でそっと呟く。
夏目漱石はこの言葉を見たとき、誰を想ったんだろう。
「月が綺麗ですね」と、誰に伝えようとしたんだろう。
その想いは、届いたのだろうか。


「・・・・・・、」


虫の声から意識を逸らし、室内に耳を集中させてみる。
まだ、音は鳴らない。
ぐるぐると回り始めた嫌な予感に、「まだ見てないだけかも」「返事を考えているのかも」と言い訳をつけながら少しでも違うことに意識を向けようとする。


『雷蔵、“恋”の旧漢字知ってるか?』

「・・・」


ふと、昼間学校で兵助に聞いた話を思い出した。
なんとなく思い出したくて、身体を起こして近くにあった鞄を探る。
確かあれは昼休みの終わりだったから、現国の用意をしていたはず。
ほどほどに使い込まれたピンクのノートを引っ張り出して、ぱらぱらとめくる。
白いページが見えたところで手を止めると、左上の隅にやけに画数の多い漢字がひとつ、残っていた。

―――「戀」―――

『この漢字の成り立ちは諸説あるんだけど、そのうちの一つがまさに今の雷蔵だよ』


今日の夜、晴れていたら告白する、と決めた僕に、兵助が苦笑しながら「頑張れ」と背中を押してくれたとき、一緒にこの漢字も置いていった。
そっと、几帳面に書かれたそれに指を近づける。
左上の漢字に指を乗せて、


「糸しい、」


右上の漢字に指を乗せて、


「いとしいと、」


―――愛しい、と


「言う」


真ん中に指を乗せ、そのまま下に滑らせる。


「心・・・」


君が、愛しい。
脳裏に浮かぶのは、君の笑顔。
声をかけたのが僕だと分かった瞬間、嬉しそうに綻ぶ君の笑顔が愛しい。
僕の悩み癖に付き合って、一緒に考えてくれる君が愛しい。
どんなに大雑把でも、僕が結論を出すと笑って、喜んでくれる君が愛しい―――。


「・・・・・・重症だなぁ・・・」


もう一度、頭をベッドに預ける。
と、その瞬間机の上ですごい音を立ててバイブが響き、驚きで思わず跳ね起きた。
ドキドキと若干意味が違う心臓を宥めつつ、スマホを手に取り、画面をつける。



-------新着メールが1件あります---------



「っ・・・」


今度こそ、心臓がドクンと高鳴った。
ふぅ〜・・・・・・と肺の息を全部吐き出す勢いで深呼吸して、覚悟を決める。
汗ばむ手で画面をタッチすれば、白い背景が広がり、



送信者:鉢屋三郎
件名:無題
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雷蔵、兵助から聞いたぞ!
あいつに告白するだって!?聞いてない!

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ミシリ、とスマホが嫌な音を立てたのがわかった。



送信者:不破雷蔵
件名:re:
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ちょっと一回死んできて。

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音速で返信して、緊張で縮まってしまっていた身体を伸ばしながらスマホをベッドの上で離す。
あーもう。何でこのタイミングかな。
肩透かしをくらったような、気を抜かせてもらったような。
絶対感謝はしないけど、と思いながら再び振動するスマホを後ろ手に拾い上げる。
もう返信してきたのか。
机の上と違って静かなバイブの響きにため息を付きながらフォルダを開けば、すぐに白い画面に切り替わった。



送信者:大野かや
件名:re:
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私、死んでもいいわ。

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え、ほんとに死ぬつもり?
一瞬、さっき自分が送った言葉が度を過ぎたのかと思った。
けれど、すぐ勘違いに気付く。
送信者は、大野さん。
さっき僕が、『月が綺麗ですね』と送った人。
え、と声にならない声が喉の奥で響いて、すぐに唾と一緒に引っ込んでいく。
頭が、さっきまでとは違った意味でめまぐるしく回っていく。
僕が送ったのは、夏目漱石の“I love you”。
そして、それに対する返事は―――・・・

はっ、と気付いて、それから、まさか、ともう一度たった一行の文字を読み返す。
もしかして、これって。


「二葉亭四迷―――・・・?」


だとすると・・・、その、言葉の意味は、




(「愛しています」)

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