夏
「いよっしゃああぁぁあ!!」
雄たけびを上げて滝つぼに飛び込んだ竹谷を、若干冷めた面持ちで見送る。
夏真っ盛りの暑さにやられ、へばっていたところへ急に現れたかと思えば「いいところ知ってるから来いよ!」と問答無用で連れ出され、どこへ行くのかと思えば裏山の一角にある滝。
着いて早々上着を脱ぎ、内心焦る私を放置して現在に至る。
「・・・ほどほどにしときなよー」
プハァ!と顔を出した竹谷に聞こえるか聞こえないかの大きさで声を掛ければ、二カッと太陽の笑みを返される。
さすがは野生児と言うか、なんと言うか。
ずぶぬれになったにも関わらず、自己主張の激しい髪の毛は一度軽く頭を振って水滴を飛ばせばすぐにピンピンと立ち上がる。
犬か。
「かやも来いよ!すっげー気持ちいいぞ!!」
「遠慮しとく。着替え持ってきてないし」
「すぐ乾くって」
そう言いながら岩場を駆け上がり飛び上がり、あっという間に私のいるところまで戻ってきたのはさすがだ。私だったらもう少し掛かる。
当然ながら水浸しの竹谷は、水も滴る、というよりも本当に近所の子どもを見ている気分になってくる。
なってくるったらなってくる。
断じてむき出しの上半身に目なんていってない。
「そういう問題じゃないと思うんだけどな」
平静を装って目を逸らし、せっかく川べりに来たのだから、と霧のようなしぶきを浴びて目を閉じる。
だから、悪巧みを考え付いた悪戯小僧の顔になった竹谷の変化に、気づけなかった。
「そういうな・・・って!」
「っうわ!?」
突然腕をつかまれ、そのまま前に引っ張られれば足元に地面の感覚がなくなり、一瞬の浮遊感。
嘘、という言葉が脳裏をよぎるのと、衝撃と共に盛大な水しぶきを上げるのは同時だった。
本能的に息を止めながらつかの間呆然とした後慌てて水面に上がれば、揺らぐ視界の中竹谷も同じように水面に顔を出した。
そしてまた軽く頭を振って、水滴を飛ばしてからの笑顔。
「・・・」
「な?気持ちいいだろ?」
「・・・えぇそうね。けど、竹谷はもう少し女心を学んだほうがいいと思う」
竹谷が飛ばした水滴を当然受け、若干いらいらしながら絶対色の授業成績悪いでしょ、と呟けば、苦手だけど別に成績は悪くない、という意外な答えが返ってきた。
「最初はグダグダだったんだけど、お前はいつも通りしてればいいんじゃないかって三郎に言われてそうしてみたらなんか成績上がったんだよなー」
「・・・それは、よかったね」
何とも複雑な心境のまま相槌を打ちつつ、あまり水の中に長居しても冷えるだけだし、となるべく落ち着いて岸に向かって泳ぎだす。
この場から逃げ出したいような気持ちもあったのかもしれない。
けれど、その感情の理由が・・・他人事なら、たやすく納得できるそれが、自分のこととなるととことん否定したくなるから不思議だ。
つまり、私はこの感情の理由なんて知らない。わからない。わかってたまるか。
竹谷なんかに・・・っ!
「だから、さ」
しかし二掻きもしないうちにぐい、と突然腰を引かれて、体が傾く。
そのまま引き寄せられれば私の体は当然竹谷の体にあたり、バシャリと水がはねた。
思いもよらない不意打ちに真っ白になった思考に、続く言葉が刻み込まれるように入ってくる。
「かやに対しても、自分らしく接してみることにしたんだ」
耳元に聞こえる声と濡れたせいで普段よりはっきりと感じる体に、冷え始めていた体がかっと熱を燈す。
さらに内容もそれを助長するものでしかなくて、もう隠しようもなく真っ赤になった顔を自覚した。
「なっ・・・」
「へへ、・・・俺も、やるときはやるだろ?」
振り返れば、先ほど見せた太陽のような笑顔でも、さっき見損ねたようないたずらっ子のような笑みでもなく。
あえて言うなら、獲物を目の前にした肉食獣のような、瞳の奥に鋭さを備えた笑みで見つめられて、心拍数が上がっていくのを自覚した。
・・・悔しいけど、認めたほうが楽になるのかな。
あくまで他人事のようにするのは、不慣れな“色”に対する私なりの対処・・・ってとこかしら。
自分の現状を冷静に分析しつつ、対応はまったくできていないと言うことはつまり混乱の真っ只中ということで。
竹谷の手が水中からわずかな水音を立てて現れたときも、何もすることができなかった。
徐々に上がっていく腕を意識しつつも、心臓をなだめるしかできなくて。
あぁ、これが、そういうものなのか、と覚悟を決めた私の頭の上に、竹谷の手がペチン、と乗った。
少し予想とずれた位置に落ち着いた手に、少し目を丸くすれば。
「かや、濡れると頭ぺったんこだなぁ!」
「・・・それが、アンタが最後の最後で“いいお友達”な理由だよ!!」
「ぐはぁ!?」
渾身の力で振るった右ストレートは竹谷の顔面に決まり、再び水へと沈んだ竹谷を放置して私はすぐさまその場を離れた。
水を掻き分けつつ、掬った水で火照った顔を冷やして学園へ急ぐ。
あぁもう、やっかいなんだから!
バシャーン!と大きな水しぶきを上げて倒れこんだ竹谷を、崖の上から覗き込む影が2つ。
「あ・・・綺麗に飛んだね、ハチ」
「見事な飛びっぷりだな」
手で影を作りながら、同じ姿勢で覗き込みつつも片や真面目に、片や面白そうにその表情を変えているから、二人を知っているものからすれば簡単に見分けはつくだろう。
そんな二人をさらに視界に収めながら、後ろから呆れたため息をつく影が一つ。
「三郎・・・お前、わかっててハチに助言しただろ」
「さて、何のことやら」
ふふふ、と明らかに含みを持った笑いで応えられ、お前は・・・とさらに深くため息をつく。
その肩に慰める意味をこめてぽん、と手を置き、笑みを向ける影。
「まぁ、本気になる気がない相手なら、“いいお友達”は絶好のポジションだもんね」
色の授業の相手は大体そんな女の人たちばかりだし、そりゃ好評価を受けるというもの。
眼下では竹谷が再び水面に顔を出していて、何がいけなかったのかわかっていないのか、腕を組んで首を傾げる様子が見える。
素で相手をすることも、いい面と悪い面があるようだ。
「相手が本気だと・・・ああなる、ってことか」
「どうしよう・・・ハチに教えてあげたほうが、進展あるかな?」
「やめとけやめとけ。馬に蹴られるのがオチだ」
「こればっかりは横から口を出すことじゃないだろうしねー」
先ほどの飛びっぷりを思い出してか、若干顔を引きつらせる久々知。竹谷の為を思うとどうしたらよいかわからず、悩み始める雷蔵。そんな相棒を、放っておけばたっぷりの楽しみがあると予感して押し留める三郎。三郎の内心を知ってか知らずかうんうん頷きながら同意する尾浜。
竹谷の恋を応援隊・・・という名のデバガメ隊は、今日の収穫にほくほくしつつ、忍務時並に消した気配を悟られないようその場を後にするのであった。
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