リップ同盟
「ほら、リップ貸したげるから使いなよー。効果あるよ〜」
唇に、重くのしかかる感覚が嫌いだった。
「これ、使ってみたら?すごくいい匂いするんだよ」
むせかえるような匂いが、嫌いだった。
「・・・かや、もう少しはっきり言ってくんないとわかんないよ?」
大きく口を開けるたびに裂ける唇が、大嫌いだった。
馬鹿みたいに荒れやすい唇を生まれもってしまった私が、表情に乏しく、口数の少ない女になったのは必然だったように思う。高校生になった私は、見事なまでの文学少女になっていた。
痛みも気にせず大口を開けて笑っていた時代が懐かしい。
今日も今日とて自分の席で本を読んでいれば、前の席に座って友人たちと話していた男子が、不意に胸ポケットから何か取り出したのが視界の端に映る。
「あれ、お前リップなんて使ってたか?」
特に気にも留めていなかったそれは、耳に飛び込んできた単語によって一気に意識に入り込んできた。
「まぁなー」
「・・・三郎、リップって嫌いじゃなかったっけ?何か、匂いがうっとおしいとか言ってた気がするんだけど」
「いや、それがこれだとほとんど匂いしないんだ」
その言葉に、ピクリと肩が震える。
「唇が重く感じることもないし」
視線が本から外れた。
「でも、効果はしっかりあるから、慣れればかなり楽になるぞ。使ってみるか?」
いつの間にか私の視線はリップに釘付けで。
友人と会話していたはずの鉢屋君が私のほうに顔を向けていたことに気づいたのは、それからだった。
「・・・へ?」
「こら、三郎!女の子に自分のリップを勧めるなんて・・・」
「そうだぞ、俺のは少し香りもついているから、こっちにするといい」
「って違うよ兵助!何便乗してんのさ!?」
急に騒がしくなった周囲に、思わず目を白黒させる。
いや、この人たちはいつも騒がしいんだけど、いつもはその・・・意識外に追い出していたというかなんというか。
「あ、メーカー教えてもらえれば・・・」
「いやいや、もしかしたら合わないということもあるだろう?あまり安いやつでもないし、試してみるといい」
と、目の前に差し出されたリップに、さらに混乱する。
だってそれさ、間接キスじゃん。
え、気にしてないの?と困惑した表情を全面に押し出しながら顔色を伺うと、何かに気づいたように「あぁ、」とひとつ頷いた。
よかった、わかってくれたと胸をなでおろすのもつかの間。
「したことがないから塗り方がわからないか?なら、ちょっとエーってしてみな」
唐突に顎を掴まれ、半強制的に上を向かされ。
「は・・・!?」
「違うって。エー」
「え・・・。・・・エー」
「そうそう」
流されるままあれよあれよという間に私の唇には鉢屋君のリップが押し付けられ、丁寧な手つきでそっと塗りつけられる。
呆然としているうちに、満足そうな鉢屋君が離れていった。
後に残るのは、同じく呆然としている鉢屋君の友人たちと、スーッとしていていつものパリパリ感がなくなった唇。
「は、ちょ、おまっ、三郎!何してんだよ!?」
「何って、治療行為」
「何しれっと言い逃れようとしてんの!?さすがに失礼だって!」
「・・・かやさん、ぶん殴ってやっても文句は言われないぞ。何か言ってやりたいことはないのか」
「え・・・あ、ありがとう」
「「「「違うだろ(でしょ)!!?」」」」
「どういたしまして」
息ぴったりの四人と、それを飄々と交わしてニヤニヤ笑っている鉢屋君。
だってこのリップ、本当に私好みだし、唇痛くないように塗ってくれたし。
「・・・メーカー教えてもらっていい?」
「いいがこれ、外国製でめったに手に入らないやつだぞ」
「は!?そんなの貸してくれたの!?」
思わず少し大きく(といっても、たぶん普通サイズに)口を開けても、ピリッとした痛みが走るわけでもなく。
何これ、どんなハイテク効果?
「気にするな。私はツテがあるからほとんどタダ同然で手に入れてるし」
「でも・・・」
「気に入ったなら、これからも私のを使うといい。それならたいした出費もないだろ?」
・・・そうしようかな、とか思ってしまうあたり、私も正常な判断ができなくなってきた気がする。
いやいや、でも!と口を開こうとすると、ツイ、と細長いきれいな指が近づいてきた。
それはそのまま、リップの塗られた唇へとあたって。
「!?!?!?」
「それとも・・・ここに塗ったやつを、私とシェアするか?」
ここ、と示された先は鉢屋君の唇で、そこにも当然、私と同じリップが塗ってあって。
「ばっ・・・〜〜っ!?」
思わず大きく口を開ければ、さすがにカバーし切れなかったらしく、唇がパクリと裂け。
痛みに口を押さえて突っ伏せば、意地悪そうな笑い声が聞こえてきた。
「ま、これからよろしくな?リップ同盟」
こっちに利がなければ誰がこんな人と組むか!と思いつつ、頷くしかない自分にうなり声を上げた。
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