木陰の人


勉強熱心なのかどうか、それはよく知らないけど、頭がいい人は勉強家なのだろう。
そりゃ、中には”天才”だとか言われるような素材もいるようだけど、彼は”秀才”だろうというのが勝手な印象として根付いていた。
だから、図書室近くの木陰で本を読む久々知を見つけたときも、納得こそすれ、なんの違和感もなかった。
やっぱり本を読むのが似合うな、と。そんな感想を抱いたくらいだ。




きっと私が口を出すまででもなく、彼らは彼を探し当てるだろう。別に私がわざわざ声をかける義務も義理もない。
そう思いつつも、見当違いの場所で声を張り上げていた灰色を思い出すと、足は自然と通い慣れた道を選ぶ。
違う、委員会に行くだけだと否定しても、今日は仕事もない、当番でもない、借りた本も持っていないときたら行く必要もないと頭の片隅では理解していた。
お人好しめ、と自身を叱咤しつつ、友人に言われた「それがかやの長所で短所だからね」という言葉を思い出して結局ため息を吐く。


「久々知先輩」


案の定、いつもの定位置に腰をかけていた彼は、私の声に反応して読んでいた書物から視線を上げて応える。
太陽の光に目を細めたようだが、すぐにそれはもとの表情に戻った。


「竹谷先輩が探しておられました」

「・・・・・・ああ」


思ったよりぼんやりとした声に返事をされて、未だ書の世界から帰ってきていないのかと首をひねる。
どうやらその通りだったようで、久々知は少し考えるようなそぶりを見せたあと、再び視線を書物へと落とした。
しかしこれではわざわざここに来て伝えた意味がない。
このまま引き下がるのも癪な気がして、一歩近づいてもう一度声をかけた。


「あの・・・?」

「・・・どうせ大した用じゃない。そのうち見つけるさ」

「そうなんですか・・・?」

「本気で探すならアイツは鳥を飛ばすからな」


なるほど、暗黙の了解があったらしい。これは本当に無駄なことをしたかな、と肩透かしを食らった気分で踵を返した。


「なぁ」

「・・・はい?」

「・・・・・・図書委員だろう、何かいい書はないか?」


ら、唐突に声をかけられた。と思ったら、内容もまた、唐突だった。
私が図書委員だと知っていたのは、まぁいい。貸出返却の時、何度か顔を合わせているから。
けど、いい書、って。


「あ、・・・えと、」

「・・・傾向は、忍術関連の指南書でよろしいでしょうか。それとも、料理書?」


今まで久々知先輩が借りていった本の傾向を考えて焦点を絞ると、何やら狼狽えていた彼はぴたりと動きを止めてその大きな目を数度瞬かせた。


「・・・よく、知っているな」


力が抜けたのか、息を吐きながらゆったりと木にもたれ掛かる。
会話が続きそうだな、と判断し、肩越しに振り返るだけだったのを体ごと向き直った。


「図書委員ですから。それに、先輩ほどの本の虫はこの学園内でもそれほどおりませんからね」

「・・・本の虫?」

「?ええ。よくこちらの木陰で書を読んでおられますから、図書委員の中では有名ですよ」

「・・・俺は別に、本の虫のつもりはないんだけど」


少し低くなったような声に、ふと沈黙が降りる。
どうやら何かが彼の琴線に触ってしまったようだけど、それが何かが今ひとつわからなかった。
いや、会話の流れからすると先輩のことを本の虫と呼んだことがまずかったのだろうけれど。


「・・・三禁だって、わかってるさ。けど、姿を見るくらい、いいだろ」


一体何故、と自問自答していると、久々知先輩がぼそりと吐き捨てるように言った声がかすかに耳に届いた。
おそらく、聞かせるつもりはなかったんだろう。けれど、図書委員の耳は、総じて抜群に優れている。
考え、反芻し、飲み込むこと数秒。
ようやく頭に入ったその意味は、つまり。


「・・・・・・」

「・・・?、かや、」

「おーい、兵助ー。そろそろ行くぞー」


唐突に聞こえてきた声に思わず体が跳ねた、・・・ように、見えただろうか。
今、名前を呼ばれた。しかも、下の。
ちらりと久々知先輩の表情を伺えば、何やら先ほど以上に不機嫌な雰囲気を醸し出しており、とてもそんなことを聞ける様子ではなかったけど。
建物の角から姿を現した竹谷に、ようやく彼が久々知先輩を探していたのだということを思い出した。


「・・・ハチ」

「やっぱここかー。いい加減始まる・・・ってあちゃー」


竹谷先輩はかやに気づくなり、「しまった」という表情を隠しもせずに久々知先輩に目を向けた。
そこには親の敵でも見るような目の久々知先輩がおり、竹谷先輩は自分が最悪のタイミングできてしまったことを知ったようだった。


「・・・悪い、兵助。時間切れだ」

「・・・わかってる」


片手を上げて謝るようにしながらも譲る様子を見せない竹谷先輩に、久々知先輩もため息を吐いて踵を返す。
そのまま振り返りもせずに去っていこうとする背中に、声が出たのは無意識だった。


「あ、あの!」

「・・・?」

「え、えと・・・あ、お、お勧めの書、取り揃えておきますので!」


呼び止めた手前何かしゃべらなくては、と咄嗟に搾り出した言葉はみっともなく噛んでいたし、おそらく顔も赤いのだろうけれど。
驚いたように見開いて、それから嬉しそうに細まった瞳は返事ということでいいんだろう。
角に消えていった背中を見送って、詰めていた息を大きく吐き出した。



(「(どうしろってのよ、こんなの・・・)」)
(「勘ちゃん、俺、今日初めてあの子と話ができたんだ」「おー。よかったじゃん!」「ハチに邪魔されなければ、もっとできたんだけど」「じゃあ報復だね!」「うん」)
(「やべぇ悪寒がする・・・!三郎、雷蔵、助けてくれ!」「うーん、無理かな」「厄介事を持ってくるんじゃない」)



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