深海で息をする


苦しい。

ゴポリ、とまたひとつ、肺から酸素の塊が逃げていく。

足りない。

肺を埋めるのは、暗く冷たい深海の水。
酷く辛くて、それよりは随分濃度の低い塩水が目からジワリと周囲へ溶け込んでいった。

辛い。苦しい。暗い。

なにも見えなくてただもがく両手に、触れるものはただ水だけ。
どんなにあがいてもその水の温度が変わることはなく、ただただ体温を奪っていく。
胸が締め付けられる。
水で埋まった浮き袋は、この身体を水面に浮かばせてもくれない。
もがく手足の力が、徐々に薄れていくのを感じた。


―――このまま


このまま、沈んでしまおうか。
何事もなかったかのように、ゆっくりと身を委ねて。
光も、酸素も。初めからなかったのだと言い聞かせて。

ふっと体の力を抜く。


・・・なんだ、この方がよっぽど、楽じゃないか。


締め付けられる胸の痛みには、そっと蓋をして。
暗くて何も見えない世界には、意味がないと目を閉じて。
何も感じない、ただ緩やかな水の流れに身を任せて―――


「―――・・・?」


ふいに動いた海流に、するりと頬をなでられる感覚。
どこかつられるようにして、ふと目を開けた。
開けても閉じても変わらない暗闇に、一体何が、と考えている間に海流を作り出した“それ”は離れて。
導かれるように動いた海流に、目を凝らせば。


―――不意に差した光が、柔らかく海底を照らした。


「―――・・・!!」


それは、一瞬。

けれど網膜に焼きついた光景は、記憶の全てを奪うように。


―――溺れていく。


そういえばこの海底に来たのも、君に惹かれてだった、と思い出して。

溺れていく。

吸った水から、かすかな酸素を搾り出して。

―――溺れていく。

締め付けられる胸、冷たく、暗い闇。
苦しい、辛い、そんな気持ちばかりなのに。
その中に見えた光景を、忘れることが、できなくて。


たった一筋の光、それを求めて―――溺れて、往く。



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