人を助けるのに理由などいらぬ!


なるべく自然に見えるように、店から少し離れるまでは普通に歩いた。
けど、もう店の中から見えない、兵助が追ってきてない、と分かった瞬間、足が全速力でその場から遠ざかろうと動き出す。
絶対誰にも聞かれたくないようなことばかりが頭の中をぐるぐるとまわって、自己嫌悪で吐きそうだ。

なに、アイツ。
おれのときと全然違う表情だし。
結局お客さんの一人でしかなかったわけで。
馬鹿なの?なんなの?
学園だけじゃなくて、町にも入り込もうとしてるの?
これ以上おれの居場所荒らさないで欲しいんだけど!


「っ…っ…って…!」


突然足から響いた痛みに、咄嗟に反対の足に体重をかけて速度を落とす。
どうやら小石を踏んだようで、じんじんとしびれる足にふと我に返った。


「……、」


馬鹿みたい、とため息をついて、足を庇いながらまた歩を進める。
行き先なんてどこでもいい、とにかく、立ち止まっていたくなかった。
…あーあ、動く前に振られちゃったや。
ま、下手に恥かくことなくてよかったかな?
言い訳のようにそんなことを考えながら、ふらふらと宛てもなく歩く。


「……っ」


そんなことをしていれば、人とぶつかるのはまぁなくはないことだった。


「ってぇな!どこに目ぇつけてんだよ!」

「…はぁ…?」


ただ、当たった相手は間が悪かったみたいだけど。
大げさにぶつかったところを庇ってみせる男に、一気にイライラが募る。
いつもなら適当にあしらってさっさとその場を後にできるのに、簡単なはずのそれができない。
あーあ。こんなんじゃまた鉄丸せんせーに怒られちゃうなぁ。


「何?アンタあの程度の衝撃で腕がどーにかなっちゃうの?それもうやばいよね。ぶつかったせいとかじゃなくてもはや存在自体が危ういよね。もう家の中だけで過ごしたら?そうすれば誰の迷惑にもならないからそうしたらいいようんそれがいい。そのまま誰にも知られずに一生を終えてしまえばいいのになんて思ってないから安心して余生を過ごしてねそれじゃあサヨウナラ」


八つ当たりも甚だしい言葉の数々。
ぶつかった相手もここまで暴走すると思っていなかったのか、驚いている空気が伝わってくる。
けど、今はなんかもう、どうでもいいんだ。
…あーぁ、ここまで本気だなんて、思ってなかったんだけどなぁ。


「…な、なんだとこのクソガキ!舐めてんのか!」

「やだなぁ舐めるわけないだろ汚いし」


あーだめだ、止まんない。
どうしよう、とりあえず人目につかないところまで


「其処までにしておきたまえ」


ぽん、と、肩に手が、置かれた。


「!!!」


あまりに自然な気配の増え方。
ほぼ背後に立たれているのに、全く意識できなかった。
けど、なんで。
この、声。


「あ?…って、ヒロっ!」

「また人にぶつかったのかい?気をつけなければ、君は体が弱いのだから」

「あ、あぁ!そうだな!悪い悪い、つい足が縺れてよ!」

「杖を持つことを薦めるよ。もし転んで大事になってしまってからでは遅いからね!」

「そ、そうだな。考えとくよ」


「それじゃ」とそそくさと去っていった当たり屋と、未だ肩に置かれたままの手。
そうだ。今まで関わってきた手口からいって、近くで揉め事を起こしてたら首を突っ込んでくるなんて火を見るより明らかだったのに。


「さて、君」

「……」


掛けられた声になんと応えていいのかわからず、振り返ることもできずにただ拳を握り締める。
なんなの?背後とか簡単に取っちゃってさ。おれが反射的に殺しちゃうとか考えてないの?それとも殺されs


「向こうの饂飩屋が美味しいんだ!ご馳走しよう!」

「は?え、ちょ!?」


肩に乗っていた手が離れたかと思えば、その手が手首をがしりと掴み。
抵抗する暇もなく、おれはあっという間に連れ去られたのだった。








「…で、何でこんなことになってんの?」


有無も言わさずつれてこられたうどん屋で、「たぬきうどんときつねうどんを一つずつ!」と訳のわからない注文を豪快に頼んだ男は、店主に苦笑されて「座っとれ」と促された。
満足げに「ああ!」と返事をして適当な席につき、何を話すでもなく向かい合って座っていると、運ばれてくるうどん。
油揚げの乗ったそれと大きな天ぷらの乗ったそれを見て、果たしてどっちが「きつね」でどっちが「たぬき」なのか、さっぱり判別がつかなったけど、「好きなほうを食べろ!」と言われてつい大きな天ぷらの乗っているうどんに手を伸ばす。
そこでようやく、さっきの台詞に戻るわけだ。
揚げを一口かじって端に避け、ぞぞぞとうどんをすする男は、おれのどすの利いた声に反応して視線を上げる。
けど驚いてとかそんなんじゃなくて、本当に話しかけられたから顔を上げた、程度の反応だったのにはちょっと腹が立った。
そしてずるっと音を立ててうどんを口内にしまった男は、そのまま咀嚼して飲み込んで、ようやく口を開く。
自分の調子を崩さないといえばいいのか、こちらの怒りを煽っているのか、判断がしづらい。


「なんだ、食べないのか?饂飩はあまり伸びんが、やはりこしは多少なくなってしまうのだぞ?」

「いや、別にうどんとかどうでもいいんだけど。何であんたなんかとこうして顔突き合わせてうどん啜る羽目になってんの?」


そう、問題はそこだ。
まさかそのときの気分でたまたま助けた男を食事に誘う、なんて。あまりにも滑稽な嘘は言えないだろう?
男はやはり何かたくらんでいたようで、下唇をくいと上げて思案顔を作る。


「君の後頭部を見ていたら、どうにも饂飩が食べたくなってしまって」

「……」


美味しそうな髪をしているな!と続けられた言葉には、一切の無反応を返してやった。
ていうか、反応返してやる義理ないよね、これ。
男もにこやかに微笑んでいたが、あまりの温度差に居た堪れなくなったのか困ったように眉を寄せた。
「むむむ、手ごわいな…」と呟いたかと思うと、箸を手に持ったまま腕を組む。
その反応に内心で勝った、と思いつつ無反応を貫いていると、男は一つため息をついてしぶしぶと口を開いた。


「…、実はな、お前にぶつかってきたあの男。どうやら当たり屋らしいのだ。事を穏便に済ませるためには、あれが一番の手だったから、少し強引に割り込ませてもらったぞ」


けど、やっぱりそう甘くはなかったらしい。


「はぁ?そんなこと知ってるって。何でわざわざ手を出してきたのかが知りたいんだけど」


あぁもう、不毛だ。
何でこんなわかりきったことを、わざわざ口に出して問わなきゃいけないんだ。
わざと?わざとなの?
またどんどんイライラが募っていくのを感じながら、とにかくこの質問で求める答えが得られるはずだ、と思ってなんとか堪える。
きっと何か、おれに恩を売っておこうとか、警戒を解こうとかそんな―――


「?人を助けるのに理由がいるか?」

「…は?」


―――そんな、理由。


「私は君の人となりを知らんが、どうにも苛立っているように見える。そんなときにああいうのと関わるのは、ろくなことにならんからな」

「…知ったような口を」

「君よりは人生を知っているよ。十年分程か?」


からからと明朗に笑う男に、濃さが違う、と。
一言。たった一言で一蹴できる…する、つもりだったその言葉が、妙に重く感じて舌が凍りついた。
本当に、この人の人生の重みは、おれのそれ以下か?
いや…、そもそも、この人の人生の重みは、おれなんかに測れるものなんだろうか。
厄介事に首を突っ込んでは解決してまわっているようだけど、解決できたことばかりじゃないだろうなんてこと予想するまでもなく明らかだ。
むしろ自分から首を突っ込んでいる分、並みのそれとは比べ物にならないくらいの揉め事を見てきたはず。
それでもこの人は、―――
そこまで考えて、ふと、自分が“この人”と頭の中で呼んでいることに気付いた。
チッ、と内心舌打ちをする。
絆されかけている。雰囲気に、溶かされていく。
この人と関わった六年生と同じだ。懐柔されてしまう。
それはごめんだなぁ、とぐっと歯を食いしばった。
たくさんの厄介ごとを…人の醜さを見てきた人。
…そんな人が、性善説なんて心から唱えられるはずないじゃないか。
そうだ、やはりこの人は侮れない、と警戒を強める。
…そう、強めるべきなんだ。


「人は、知れば知るほど違うからな。それを否定して回っていてはきりがない。だったら、受け入れて、飲み込んで、溶かしてしまえば全て同じだ」


それはあの、当たり屋への対応の仕方のことだろうか。
本当に痛めたのであれ、わざとであれ、受け入れて心配しておけば波風が立たないと?
それはつまり、他人にまるで興味がないということ?


「…、それで最後は、老廃物として出て行くんですか?」

「いいや」


皮肉気に口の端を上げて聞けば、間髪いれずに返ってくる否定の言葉。
そのやんわりとした勢いに伏せがちになっていためを開けば、ぴしりと箸が突きつけられた。


「私の血肉となり、私を生かすのだよ」

「……、」


正直、何が彼の身になるといっているのかわからない。
あんなやつら、放っておいても害になるだけじゃないの?
かっこつけて言ってるだけな気がするし、もっと深い意味を孕んでいる気もしてしまう。
突きつけていた箸が降りたかと思うと、それはそのままうどんを掴んでその人の口へと運んでいく。
ずぞぞぞ、と啜ったそれをしっかりと咀嚼して飲み込むと、「うまい、」と呟いて再びこちらに目を向けた。


「勿論、同じ考え方をしろとは言わん。これも一つの在り方なだけだ。私は人が愛しい。愛しいから守り、助ける。君も、好きなものが目の前で壊れようとしていたら、全力で守るだろう?」


好きなもの。
そう問われて、一瞬脳裏を掠めた、四人の姿。


「…そーですね。守ろうと、するかもしれません」


それに被るように現れる一回り小さな影や、さらに小柄な二つの影。
意外と欲張りだなぁ、と自分の“好きなもの”の括りに少し笑う。
そしてふと、ちらりと覗いた影の存在に思い立った。


「じゃあ、聞きますけど」

「ん?」

「お菊ちゃんは、誰より一番守りたい人ですか?」

「?何故お菊さんなのだ?」

「異性として見ていないのかって聞いてるんです」

「なっ…!」


本当に分かってない、とこてりと傾いた首に追撃すれば、その顔は驚くくらい一瞬でぽんっと真っ赤に染まった。


「そ、そんな、そのような目であの子のことを見てはいない!そ、そもそも私はまだそんな、人と添い遂げるなどとおこがましく、しかるに人助けこそが私の人生の目的であり…!」

「…っぷ」


しどろもどろに手をわたわたさせて続けられる言葉に、さっきまでとの差異が激しすぎて思わず噴出す。
しかも、「それであるからして、だから、その、」とか、わけわかんないことばっかり言い続けるもんだから。


「あっはっは!!何それー!」


思わず、腹を抱えて笑ってしまった。
ヒロさんはきょとんとしてるし、でも顔は赤いままだし、ていうか首まで赤いし!
あまりの純情さに事の原因であるお菊さんのことがなんとも馬鹿らしく思えて、「はぁ〜あ」と長いため息をつく。
それから仕返しのようにうどんを啜り、ゆっくり咀嚼してから飲み込んだ。
それでもまだもう少し溜めてやりたくて、殊更ゆっくりと頬杖をつく。
でも、きっと今自分の目は、酷く優しい色をしているんだろうな、と他人事のように思った。


「…恋愛は自由だよ。わざわざ縛らなくていいんじゃない?」

「…そ、そうだろうか…」

「そうそう。だから、おれが今ヒロさんのことをかわいーと思うのも自由だよね?」

「う?うむ、思想の自由は確保されるべきだ」

「じゃーまた今度、遊んでよ」

「それは嬉しい誘いだな!是非ご一緒させていただこう!」


焦らされたことに全く気付いていないようなヒロさんに、やっぱり可愛い、と勝手に口が弧を描く。
なんだ、そういうことか。


「おれは尾浜勘右衛門。しっかり覚えてね?」

「尾浜勘右衛門だな!」


ヒロさんの口から出る自分の名前に、ちょっとした優越感が胸を埋める。
多分、五年の中では一番に呼んでもらえたんだろうなぁ。
ふふ、とつい笑いが漏れる。
あーあ。先輩方も、変な言い方せずにはっきり言ってくれたらよかったのに。
この人は純粋すぎておれたちとは違う世界の人間だから、近づかないほうがいいって。


「うん。勘右衛門って呼んで、ヒロさん」

「ん?教えたか?」

「有名人だもん、知ってるよ」

「そうか?」


首を傾げてるヒロさんを自然な笑顔で見つつ、また一口、ふやふやになってしまったうどんを啜る。
知っちゃったら、もう離れられないもんね。
だったらいっそ、皆も道ずれにしちゃおう。
何故か衣だらけな天ぷらをかじりつつ、手始めに、と自分を探しているであろう兵助のことを思い浮かべる。
さっきは悪いことしちゃったし、兵助警戒心強いし。
きっと傷心のところを付け込まれたと思うであろう兵助をどう攻略しようかな、と思考をめぐらせながら汁を飲む。
向かいで何が楽しいのかにこにこと茶を啜っているヒロさんをちらりと盗み見て、とりあえずもう少し独り占めさせてもらおう、と滅多にない機会をうどんと共に味わうことにした。



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