尊敬できる相手には敬意を!


「小松田君、入門表を見せてもらっていいかい?」

「あ、土井先生。はい!どうぞ〜」


門の前を掃除していた小松田君に声を掛けて、さっと取り出されたそれを「ありがとう、」と言いながら受け取る。
学園に出入りする人間を把握しておかないと、何かかあったときに咄嗟の判断ができない。
私がここに勤め始めてから、欠かさずに行なっている習慣の一つだった。
そして最近、よく見る名前が目に入る。


「…今日も来てるんだね、ヒロさん」

「あぁ、って言っても十日ぶりですよ〜。町の人のご好意で、何とか食いつないでたんだとか」

「…へぇ…」


十日ぶりが、まるで久しぶりであるかのように語る小松田君に、そうじゃないだろう、といいそうになるのを飲み込む。
確かに毎度食事を食べに来るという明確な目的はあるようだが…基本的に、忍術学園はほいほいと町から足を運べる場所ではないのだ。
地理的にも、心理的にも。
そうなるように、配慮してある。その対応はヒロさんであっても変わらない。
しかし、その対応を受けても尚町の食事処であるかのように笑顔で足を運ぶヒロさんは図太いのか、果てしなく鈍感なのか…


「あぁでも、なんだかちょっと痩せたみたいでしたね〜」


いつも何食べてるんでしょう?と素朴な疑問を感じる小松田君に、それもそうだな、と町での彼の姿を思い浮かべる。
茶屋や食事処でよく姿を見かける彼だが、その実、一人で食べているところは見たことがない。
大抵誰かと食べていて、その相手に奢っているのがほとんどだ。
たまに、町の男衆に囲まれてやんやと食わされている姿も見かけるけど…
それでも、食事時の彼の周りは人で溢れている。
学園で食べているときはしんべヱを餌付けしている姿もよく見るし…と今までの彼の姿の記憶を掘り返しても、やはり一人で食べている姿は見当たらない。
まぁでもそこまで気にする点でもないし、たまたまかな、と自己完結して、礼を言って入門表を返す。
「お仕事頑張ってくださいね〜」と暢気な声援を背中に受けながら事務室を出て、その内容に苦笑した。
じわじわと仲良くなってきているらしい小松田君は、ヒロさんを監視することも仕事の一つだと知ったらどんな顔をするだろう。
ヒロさんに限ったことではないが、学園と新しく関係を持った者にしばらくの間、間者の疑いが掛けられるのは当然のこと。
そしてその判断を、生徒だけに任せるなど、在り得ないことだ。
張り切る六年生に見つからないよう、プロとして全力で隠密に情報を集める。
結果わかったことは、“ヒロは身元不明の白”ということだけだった。
教室に向かって歩きながら出席簿で次の授業を確認し、頭の中では噂の彼のことを考える。
まだ直接関わったことはない。
しかし、白と判断されたのであれば、教師陣が関わりをもっても問題はない。
楽しそうにヒロさんのことを語るは組のよい子たちの姿を思い浮かべて、今度話しかけてみるのもいいかな、と算段を立てた。


「ところで、ヒロさんってなんであんなところにいたんですか?」


その矢先、まさに考えていた名前がぽんと聞こえてきて、思わず足を止める。
姿は見えないが、どうやら曲がり角の向こうに何人かいるらしい。


「ん?山に入るのは食料調達のときと決まっている!」

「しょ、食料?」


それに応えるようにヒロさんの声も聞こえ、緊張で少し心臓が鳴る。
この冬の始まりに?もう冬眠し始めてるんじゃないですか?等々、は組のよい子達の声も続々と聞こえてきて、おいおい、もう始業まで時間がないんだぞ、と心中で小言を言った。
やれやれ、とため息をついて止めていた足を再び動かせば、みんなの声も自然と近づいてくる。
その嬉しそうな声に、やはり人望は厚いな、と再確認した。


「あぁ!山菜やキノコ、上手くいけば木の実もあるし、雑草は何時でも取り放題だ!」

「ざ、雑草…」


そして続く言葉に、どうやら食生活のことについて話をしているらしい、と検討をつける。
このままここで少し、聞いておいたほうがいいだろうかと足を緩める。
立ち聞きは趣味じゃないけれど、私が行って変に気を遣われてしまっても申し訳ない。
けれどその心配は、間違った方向で杞憂に終わった。


「そろそろ冬になるからね。雪が降る前に、暖かい地方へ行かなくては…」

「えっ!?ヒロさん、どこかに行っちゃうんですか!?」

「学園にいればいいじゃないですか!」

「第一、どうやって冬から逃げる気だい?」

「あ、土井先生!」


つい…というわけでもないが、口を挟んでしまった。
突然現れた声に、良い子たちとヒロさんの視線が一斉にこちらを振り返る。
慣れてない人だったら詰まってしまうようなそれを平然と受け流しつつ、ヒロさんとしっかり目を合わせた。
…実は挨拶ぐらいしか言葉を交わしたことがない私にとって、これはほとんど初対面のやり取りになる。
人となりをほとんど知らない人間からこんなことを言われるのもなんだろうけど、と若干しり込みしつつ、それでも、と息を吸い込んだ。


「日ノ本は西から東まで雪の降らない土地はほとんどありませんよ。暖かい地方でも風が冷たいから作物なんて育ちませんし。旅費だけでもかさむのに、どうやって冬を越すんですか」


ぽんぽんと立て続けに理由を伝えれば、始めは驚いていたようだったヒロさんも次第に納得顔でうんうんと頷いた。
かと思うと、難しい顔になって腕を組む。


「そんな狭い島国だったとは…土井先生、助言、感謝する!」


ヒロさんの口からあっさりと出た自分の名前に、思わず目を見開いた。
いや、土井“先生”というのだから、きっとは組の子達が多少話題に挙げていたのだろう。
笑顔を作って「いえ、」と首を振ると、微笑み返してくれたヒロさんが再び眉間に皺を寄せた。


「だが、そうなると…」

「…子どもたちの言うことを、素直に聞いたらどうですか?」

「…一冬、学園で世話になるということか?しかし、」

「ヒロさん!どこかに行っちゃうなんて寂しいこと言わないで下さい!」

「ヒロさんなら大歓迎です!」

「ぼくたちの部屋に来てもいいんですよー?」


提案してみるも乗り気ではないヒロさんに、すがりつくようには組の良い子たちが畳み掛ける。
目をぱちくりとさせて、驚いていることを隠しもしないヒロさんの表情が…ふわり、と綻んだ。
…特に美男というわけではないけれど、こういった表情は目を引くものがあるな、と漠然と思う。


「…ありがとう。では、世話になる!」


遠くから、ヘムヘムの鳴らす鐘の音が、聞こえてきた。







「…すみません、初対面の相手にこんなことを言われるなんて、受け入れ辛かったでしょう」


ほら、もう授業が始まったぞ!と子どもたちを教室に向かわせて、自分も向かう前に一言、とヒロさんに頭を下げる。
子どもたちを微笑ましげに見送っていたヒロさんは、きょとんとして目を瞬かせた。


「ん?あぁ、そういえばそうだったな!」

「そういえばって…」


あまりに気にしていないその様子に、思わず苦笑が漏れる。
豪胆な性格といえばいいのか、そういう細かいところを気にしない性格だとは思っていたが…
これは、六年ろ組の七松小平太といい勝負なんじゃないか?


「よく集まる十一人から、土井先生のことはよく聞いていたからな!つい、もう知り合いでいる気分でいてしまった」


勘違いしていた、すまないな、と首の後ろを掻くヒロさんを、つい、ぽかんとした顔で見てしまった。
まさか、子どもたちがそこまで私のことを話していたとは…


「胃は大丈夫か?庄左ヱ門が随分気にしていたが」

「は、ははは…」


なんだか情けない気持ちになりながら、笑いに混ぜてため息を吐く。
原因はあいつらにあるというのに…と思いながら前髪をくしゃりと乱す。


「いい教師だな」

「は…?」


突然掛けられた声に、思わず素の声を出してしまった。
慌てて取り繕うように顔を上げれば、まるで子を見る親のような目とかち合う。
…いやいや、私貴方と同じくらいの歳だと思うんですけど…?
そう考えて、ふと気付く。
そうだ、これは親の目じゃない。
敬意を、とても柔らかい形で表している、のか。


「子どもは未来の宝。それを守り、育てる親と、教授する教師!すばらしい、立派な職だ!子どもたちから土井先生の話を聞くたびに是非話してみたいと思っていたのだ。子どもたちの目が、貴方がすばらしい教師だと語っていたからな。今はもう授業の時間だろうから諦めるが、今度是非話を窺わせてくれ!」


きっと私の後学のためにも、須らく貴重な時間になるだろう!と根拠もないことを自信満々に宣言してあっさりと去っていくヒロさん。
その背をぽかんと見送ってしまったが、はっと我に返り「いかん、授業授業」と呟いて教室に足早に向かう。


「(……、くそ)」


口を隠すように、手を添える。
意識しないと、口の端が持ち上がってしまいそうだった。
あんなにまっすぐに、教師であることを褒められたのは初めてで。
どうにも抑えられない熱が顔に上がる。
嬉しいような、泣きたいような気持ちに苛まれながら、逃げるように教室に向かった。
喜車の術なんかじゃない。本心から言っているとわかるからこそ、困る。


「(…こんなの、生徒たちが耐えられるはずないじゃないか)」


ある意味骨抜きにされている一部の生徒たちの姿を思い浮かべて、やはり学園長先生の考えは分からない、と唸った。



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