卑劣な罠にかかっても、最後は勝ってみせるのだ!


「お願いします…!助けてください!!」


作兵衛が教えてくれた、ヒロさんという人が学園で寝起きをするようになってから、数日が経った。
突然の全校集会で紹介されたその人は一言で言えば変な人で、でもどこか安心できるような、不思議な雰囲気をもった人だった。


「勿論だ!」


それはきっと、全てを受けとめてくれるこの力強い言葉が、彼自身を作り上げているからだろうと思う。







「一冬の間、お世話になります!」と元気よく宣言したその人に、同じく元気よく「よろしくおねがいしまーす!」と返事を返したのは一年は組。
当然のように応えた様子にまさか知らないのは自分だけかと焦ったけど、二年生や同級生はもとより上級生も皆唖然としていたから、きっと一年は組だけがまた何かしたんだな、と気付いた。
やべぇ、どうしよう!?と普段の妄想癖とは違う、真っ赤な顔でうろたえる作兵衛にも呆れたけど、以前作兵衛が教えてくれた“ヒロさん”像を鑑みるにそれも仕方ないことなんだろう。
曰く、作兵衛の妄想癖に振り回されて危険な目にあったのに、笑って作兵衛たちの心配をしてくれた人。
話を聞いてすぐは、底抜けに優しい善法寺先輩のような人なのかと思ったけど、山賊を手玉に取る実力を考えると一概にそうとも言えない。
ここは無難に、必要以上は近づかないでおこう、と一人そっと決意した。
まだわたわたと慌てている作兵衛を藤内と一緒に温かい目で見ていると、ふと視界に赤くなった皮膚が目に入る。
あ、と腕を伸ばして動き回る腕を捕まえれば、案の定、作兵衛の手のひらの皮が剥けていた。


「作兵衛、また手が擦り剥けてるよ。後で保健室に来てね?」

「っと、そうだった…へいへい、数馬は目ざといなぁ」


苦笑しながら今思い出したと頭を掻く作兵衛に、「当たり前でしょ、」と軽く胸を張って応える。
これでも保健委員なんだから、同学年の健康状態くらいは把握している。
その中でも特に、作兵衛の手は要注意箇所だった。
用具委員会に所属しているから木材のささくれが刺さったり、用具で誤って怪我をしたり、ということも多いし、しっかり握っても走っていってしまう迷子組を繋ぎ止める手は、たまに縄で擦り切れてしまう。
後ろから赤くなった手を覗き込む迷子組に呆れて、だからずっと作兵衛の傍を離れなかったのか、と合点がいった。
本人たちなりに気にしているようだ。
それでもいつの間にかどこかにいっちゃってるんだからどうしようもないよね。
苦笑しながら、頭の中では真剣に薬草の調合を思い浮かべた。
今日は新野先生もいらっしゃらないし、六年生も野外実習だとかでこれから夕方まで帰ってこない。
今日だけは僕が保健委員で一番上になるんだから、しっかりしないと。

二人を教室に送ってから行く、という作兵衛に手を振って一足先に保健室に向かう。
途中でふと、袂に入れてあった、昨日善法寺先輩に確認しながら作ったやること表の存在を思い出した。
そしてその一番上に書かれていることもぽんと思い出して、思わずあっと声を出した。


「(しまった、トイペが切れかけてるんだった)」


作兵衛が来るのを待ってから補充に回ったら、授業に間に合わない。
けど、授業が終わってからにするともしかしたら困る人が出てくるかも。
少しの間歩きながら考えていたけど、仕方ない、とため息をついて急ぎ足に行き先を変える。
向かうのは、トイペの保管してある部屋だ。
すぐいってすぐ帰ってこれば、何とか間に合うかもしれないし、とぶつぶつ呟きながら部屋に着いて、すぐさま両手一杯にトイペを抱える。
この際、自分も保健委員で不運委員会の一員だとか、こんなに一杯持ったら転んだときに手がつけないとか、そういうことは頭の隅に追いやっておく。
足元に注意しながら向かえば大丈夫だ、と自分に言い聞かせて保健室を出て、廊下を足早に進んだ。






結論、僕はやっぱり、不運委員会の一員だった。
もうすぐ授業が始まることもあってか、忍たまの友を持った生徒と何度もぶつかってそのたびにトイペが手から零れる。仕方なく庭に下りると案の定といわんばかりに綾部先輩の掘った穴が待ち構えていて、いくら足元に注意したところで先輩の穴だ、落ちるものは落ちる。
善法寺先輩ほどの不運の連鎖はないものの、いちいち足が止まるのは事実だった。
くぅ…っと溢れそうな涙を堪えながらとにかく少しでも怪しい地面があったら避けて通る、を繰り返していると、不意に両手が軽くなった。


「手伝おう!」


びっくりして顔を上げれば、避けようと決意したその人が笑顔でこちらを見ていて、もう、自分の不運加減を嘆くしかなかった。
下ばかり見ていたから、近づいていることに気付けなかったんだ。
ここまでの道中と急がなければという気持ちに急かされて幾分ぐったりしていた僕は、もう驚きの声を上げる元気すら残っていなかった。


「あ…、ありがとう、ございます…」


半分以上奪われたトイペは、既にヒロさんの両手にしっかりと抱えられている。
それを取り返して一人で罠を避けながら行くのと、ヒロさんに手伝ってもらって行くのと、どっちが良いかなんて…考えるまでもなかった。


「もうすぐ授業が始まるというのに、大変だな!」

「えぇ、まぁ…学園長先生が突然の全校集会なんて開かなければ、余裕もあったと思うんですけど…」

「むっ!ならば私に原因があるではないか!それはいかん!詫びに君ごと連れて行かせてもらおう!」

「えっ…てぅわぁ!?」


突然ヒロさんが視界から消えたかと思うと、次の瞬間視線が一瞬で大きく持ち上がった。
これ…肩に乗せられてる!?
ていうか、決断早っ!左門並みに即断即決なわけ!?


「ちょ、ちょっと…!」

「ぬあっはっは!疲れているのだろう、安心して乗っているとよい!」


まるで子ども扱いされているようで(確かに子どもなんだろうけど!)思わず真っ赤になって降りようとするけど、しっかり太ももを支えて安定していてそれもし辛い。
あっさりこんなことするなんて、やっぱりこの人は普通じゃないなぁ。


「ところで、どこに運ぶのだ?」

「知らずに歩いてたんですか!?」


うん、相当普通じゃない。


「門から食堂か運動場くらいしか行ってなかったからな!まだまだ未知の領域がいっぱいだ!なんと探検し甲斐のある領域だろう!」

「いや、厠の場所くらいは知っておきましょうよ…」


一年生のように目をキラキラさせるヒロさんに引きつつ、「あっちです」と指をさす。
「うむ、あっちだな!発進!ヒロタイタン!!」とか訳のわからないことを言って足を進めるヒロさんの足元は、庭。
あ、と一瞬背中が寒くなって、慌ててヒロさんの名前を呼んだ。


「ん?」

「ここ、落とし穴があるんです…!落ちたらこんな体勢だし、二人共ただじゃすまないですよ!」


「廊下いきましょう、廊下!」とばたばたと足を揺らしても、ヒロさんの足は止まらない。
それどころかからからと笑って大またにずんずんと突き進んでいくものだから、もう顔を青ざめるしかなかった。


「ヒロさんっ!?」

「廊下はまだ混雑しているからな。大丈夫だ、要は落ちなければいいのだろう?私が落とし穴などという卑劣な罠に落ちるはずもない!」

「いや、どうしてそんな…いやあぁー!ジグザグに歩くとか何考えてんですかー!!?」


思わず恥も外聞もない悲鳴を上げてヒロさんの頭に抱きつく。
それでもぬあっはっはと豪快に笑うヒロさんは、気にも留めずに足を踏み出す。
その一歩が地面を踏みしめる音を聞くたびに呼吸が戻り、体重が移動して反対の足が宙に蹴り出されたところでまた呼吸が止まる。
そのたびに「ひっ…!」だとか「うわわわ」だとか言いながら身体を硬くして、ますますヒロさんの頭にしがみついた。
そのときはもう、必死だったんだ。本当に。
だから、無事に厠にたどり着いて、ほっと胸を撫で下ろしたとき…
ようやく、ヒロさんの目まで僕の腕で覆い隠してしまっていることに気付いた。


「えっ…ヒロさ…っ!!?!?!?」

「ぬあっはっは!どうだ!目隠しをされた状態であっても、姑息な手段では私に傷一つつけることはできんのだ!」


途中通った競合地帯は綾部先輩が好き放題に穴だらけにしているから、僕たち保健委員の間では魔の領域になってるのに…
なんかほんと、普通じゃないなぁ…
色々な不運に見舞われるよりも疲れたように感じながら、とにかく紙を補充しようと降ろしてもらう。
何事もなく地面に降り立ち、手に持ったトイペを順当に補充していく。
ヒロさんの手からも受け取って二人共の手が空になって、ようやく頭を下げることができた。


「ありがとうございました」

「何、大したことではない!」

「いえ、僕にとっては大したことなんです。ここまで怪我もなく来れたのは久しぶりなんですよ」


おかげさまで打ち身も擦り傷もありません、と自然と弾んだ声で言えば、ヒロさんもにっこりと嬉しそうに満面の笑みで返してくれた。


「それは何よりだ!だが、礼はまだ早いぞ。次は教室だ!案内してくれ!」

「ぅわぁっ!?あ、い、いえ!保健室に行きましょう!予定より早く終わったけど、もしかしたら作兵衛がもう来てるかも…!」


口を突いて出た言葉が、ヒロさんに連れて行ってもらうことを前提にしている気がしてすごく気まずくなったのも一瞬。
「わかった、保健室だな!で、それはどこだ?」と全く気にした様子もなくさっきと同じキラキラした目を見せるヒロさんに、そんな考えも吹き飛んだ。
歳はとんでもなくお兄さんなのに、まるで弟を相手にしている気がして、苦笑しながら「あっちです、」と指をさした。
よかった、今日、逢えて。
知らずに避けて、もったいないことをするところだった。
さっきは僕が目を塞いでしまっていたからか、あっちこっちに視線をやる大きな子どもに視線を落とす。


「あの高い建物は?目立っているな!まるでシンボルのようだ!」

「あちらの建物は屋根の上にあれはなんだ?桶か?発想が新しいな!」


本当に探検している、わくわくが溢れているヒロさんに、思わず笑いながら質問にひとつずつ答えていく。
この人なら、きっと大丈夫。
一年は組も懐いてる、六年生も警戒していない。
何事もなく保健室横の廊下に降ろしてもらったとき、さっきよりもずっと自然に微笑んで「ありがとうございます」と言えて。
あぁ、これがこの人の魅力なんだな、と素直に思えた。



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