むっ!出番か!


今日は実技担当の先生が何人か出張に行かれ、授業が座学中心になった。
それはつまり、僕たち保健委員が怪我人に手を取られることなく、薬作りに専念できる日ということになる。
当番の数馬と二人で一心にゴリゴリと薬草を煎じる。
追加分を取ろうと引き出しに手を入れて、手探りで薬草を探す。


「…、あれっ」

「?善法寺先輩、どうされました?」

「うん、薬草が…」


手に触れる引き出しの底に、薬草が残りが少なくなっていることに気付いた。
どうしよう。これが切れると作れない薬、結構あるし…
そろそろ動物たちも冬眠に入っているだろうし、今を逃したら春まで待たなければならない。
今ならまだ、少しは生えているかもしれない。


「仕方ない、採りに行くか…数馬、下級生の誰かに声をかけてもらっていいかい?」

「わかりました」


たまたま近くを通りかかった乱太郎に声を掛けて留守を預ける。
今から行けば、暗くなる前に帰ってこれるだろう。
数馬の足の速さや休憩の時間、ついでに不運に見舞われて遅れる分を考えて、大体の時間の目処をつける。
よし、大丈夫そうだと頷いて、数馬と二人、籠を背負って裏山へと足を運んだ。






この時期山には、基本上級生だけしか入らない。
動物たちが冬眠するか否か、ギリギリのこの時期は、冬眠直前で最も“狩られる”危険が高いからだ。
春の繁殖期と冬の冬眠前、自分で自分を守れることが山に入る条件のようなものだった。
けれど、もし僕が居なくなったら数馬が保健委員会を率いていく立場になる。
そんな数馬が、この時期の山の危険性と薬草の在り処を知らないままというわけにはいかない。
危険は承知の上。もしなにかあったら、僕が絶対に守ろう、と心に決めていた。
カサリ、と乾いた落ち葉を踏みしめて薬草の群生地へ向かう。


「数馬、大丈夫かい?」

「はい、大丈夫です」


首だけで後ろを振り返りながら問えば、しっかりした声で返事が返ってくる。
それに笑顔を返して前を向き、今日は調子がいいな、とここまでの道中を思った。
冬眠前の動物に遭うわけでもなし、山賊に遭うわけでもなし。
それどころか小石に足を取られて転ぶなんて小さい不運もなく、順風円満な道のりに若干の薄ら寒さを覚える。
あぁ、僕は普通が落ち着かないほど不運に侵されているのか…と暗雲を背負えば、後ろから「せ、先輩?大丈夫ですか?」と心配そうな声が掛かる。
はっとして「あ、あぁ、大丈夫だよ」と返事をして、しゃきっと背筋を伸ばした。
余計な心配をこれ以上させるのも悪いし、しっかりしなくちゃ。
負担が掛からない程度に軽く言葉を交わしつつ、何事もなく薬草の群生地にたどり着く。


「…何事も、なかったねぇ」

「…そうですね」


二人して無事着けたことに感動なんだか呆然なんだかしつつ、とにかく、と手分けして薬草を採り始める。
順調だ。不気味なほどに。
一体この後僕たちの身に何が降りかかるんだろう、と不安な気持ちになりながら手は休めずに薬草を摘み続ける。


「…僕、この間から少し幸運なんですよ」


淡々とぷちぷち薬草を摘んでいると、ふと、数馬が口を開いた。
休憩も兼ねて腰を伸ばし、「ん?」と反応すると、同じように腰に手を当てて上体を反らした数馬が「へへ、」と幸せそうに笑っていた。


「この間、トイペの補充をヒロさんに手伝ってもらったんです」

「へぇ…」

「道中、一度も不運に見舞われなくて…それ以来、一度も落とし穴に落ちていないんですよ!」


気付いたのは最近なんですけど、と照れたように頬を掻く数馬に、あぁ、それはと言いそうになるのをぐっと堪える。


「…すごいじゃないか、数馬!日頃不運委員会と呼ばれる我らに、幸運の日の目が当たり始めているということだ!」

「はいぃ!善法寺先輩!」

「よーし、ではその幸運の力、今日も発揮してたくさん薬草を摘んで帰ろう!」

「はいっ!」


張り切って薬草摘みを再開する数馬の背中を見て、自分も再び腰を屈める。
数馬にみせていた笑みが消えていくのを感じた。
穴に落ちなくなったのは、綾部が穴を掘らなくなったからだ。
留さんが「必要以上の穴がなくなるのはいいことだが、どうも気持ち悪い」と呟いていたのを思い出す。
そしてそれが、ヒロさんが来てからというのがどうも引っかかるのだ。

無心に薬草を摘み続け、ふと吹いてきた風が薬草を揺らす。
その冷たさに頭を上げれば、思ったよりも集中して摘んでいたことが日の高さからわかった。
籠は大分溜まったし、数馬の分もある。
これぐらいでいいだろう、と腰を伸ばして「数馬ー、そろそろ帰ろう」と少し離れた場所に居る数馬に声を掛けた。
「あ、はーい」と返事をしてすぐ近寄ってきた数馬の籠を覗けば、二人合わせれば十分冬が越せる量の薬草が溜まっている。
よし、と頷いて労いの言葉をかけ、そのまま帰路につくことにした。

本当に、今日は運がいい。
雨に降られるわけでもなく、ゆっくりと傾いていく太陽の日差しを感じながら数馬と並んで歩く。
数馬の運が上がっていることも、頭ごなしに否定はできないかもな、と少し幸せな気持ちになった。
―――そのときだった。


「…先輩、僕、とっても嫌な予感がするんですけれど…」

「ははは…奇遇だね、僕もだよ…」


後ろから、重たいものが地面を踏みしめる足音と、荒い鼻息。
二人してぴたりと足を止め、恐る恐る後ろを振り返る、と。
ブフゥ…と明らかに攻撃態勢で地面を蹴り、鼻息荒くこちらを睨む猪と、目が合った。
野生動物に遭った時は刺激してはいけない、と何度も言い聞かせた記憶が蘇る。
数馬の脳内にも再生されたのか、じり、じり、と足をゆっくりと動かしているのが目の端に映った。
どうか、やり過ごせますように、
祈ったそれは、目があった時点で諦めたほうがよかったようだった。
キランと猪の目が光ったかと思うと、がしがしと地面を蹴っていた足が本格的に地面をえぐる。
そしてその勢いのまま、猪の体が前へと押し出された。


「「うわあああぁぁぁあっ!!?」」


突撃してきた猪に、思わず悲鳴を上げて反対方向へ走り出す。
走り出した猪に対しては、横に避けたほうがいい。
そんなことはわかっていることだったけれど、追われてつい真っ直ぐ走り出してしまった数馬を置いて、自分だけ避けるわけにもいかなかった。


「ぜ、善法寺せんぱぁい!どどどどうしましょうう!?」

「お、落ち着いて数馬!とにかくどこかで急に曲がれば猪はそのまま真っ直ぐ行ってしまうから!いいかい、1、2の、3で数馬は左へ曲がるんだ!」

「わ、わかりました!」


落ち着いたとは言いがたいけれどとにかく指示が通った数馬に、「じゃあいくよ!」と声をかける。


「1、2の、3っ!…だぁっ!?」

「!?先輩!?」


ぱっと曲がった道のすぐ脇に、穴があるだなんて誰か想像できる人がいたら教えて欲しい。
しかも自然の穴は大した大きさじゃないのにぴったりと僕の足にはまっているし。
転んだ痛みよりもそんな穴に見事はまってしまったことにショックを受けて「(不運だ…)」と嘆いている間に、猪はプギィィィ!と鳴きながら真っ直ぐ走って行ってしまったようだった。


「先輩、大丈夫ですか!?」


がさりと藪を掻き分けて顔を出した数馬は無事だったようで傷一つない。
僕もヒロさんに幸運分けてもらおうかな…と内心本気で思いながら「あぁ…」言いながら立ち上がろうとして…


「!っ…カハッ!」

「!?足を挫かれたんですか!?そ、それに喉も…!?」


穴に落ちたほうの足首が、見事にはれていることに気付いてしまった。
がんがんと響き始める痛みは、固定したからと言ってすぐに歩けるものでもなさそうだ。
さらに喉。
転んだときに何かを吸い込んだとは思ったけど、まさかそんな上手い具合に声帯を傷つけるとは。
仕方ない、とりあえず松葉杖を…と思って回りを見渡しても、杖になりそうな枝がない。
ここから学園までは片足でいけるほど近くもないし、籠があることも考えると、ここは素直に誰かを頼ったほうがよさそうだ。


「(すまない、数馬…誰か呼んできてもらえるかい?)」


口ぱくと地面に文字を書くという方法で人を呼んできてほしいことを伝えると、何とか読み取った数馬はしっかりと頷く。
さすが、三年生とはいえ下級生の多い保健委員会で一年や二年を引っ張っていっているだけはある。


「わかりました!ここで待っていてください!」

「(まだ冬眠前の動物たちがいるかもしれない。気をつけていくんだよ)」

「はい!」


頼りになる返事に安心して腰を下ろした瞬間。
これはもう、次に起こることが予想できない人のほうが少数派なんじゃないだろうか。
数馬が一歩踏み出した瞬間向こう側でガサリと動いた茂みに、またもや二人してピタリと体の動きを止めた。
あぁもう、ツケがこんな風に回ってくるなら、午前中に何回か転んでおけばよかった。


「く、熊…!?」


静かに、と伝える暇もあればこそ。
完全に思わず言ってしまった、といわんばかりの数馬を責めることはできない。
だが、その一言でのそりと顔を出した熊の注意がこちらを向いたのは、確かだった。
数馬が息を呑む音が聞こえる。


「(数馬、頼む、早く逃げてくれ)」


いくら祈ったところで、数馬の足は動かない。
いや、背を向けて逃げてしまうと追いかけられてしまうかもしれないけれど、ここには僕がいる。
熊が僕に的を絞ってくれれば、数馬は逃げられるはずだ。
そもそも大声を出せば元来臆病な熊は逃げてくれるはずだけど、数馬はそこまで頭が回っていないのか、ぴしりと動かない背中からはひとえに混乱だけが伝わってくる。
とにかく、逃げろ。


「(数馬、気付いて!逃げるんだ!)」


鳴らない喉をヒューヒュー言わせても、数馬の視線は熊から外れない。
それどころか最悪なことに、熊はのっそりと後ろ足で立ち上がった。
自分の倍ほどもある高さに振りかぶられる鋭い爪の付いた手。
もう、何かを伝える余裕はなかった。


「助けて、ヒーロー…っ!」

「がぐま゛…っ!」


無理に出た声は滅茶苦茶だったけど、そんなこと気にも留めずに飛び出そうと足に力を込める。
挫いたところがずきり、と痛んで、意に反して力が抜ける。
ガクリと膝をしたたかに打ったが、何とかその場から数馬を遠ざけようと手を伸ばす。
だが、たった一歩の差が、届かない。
そんな、こんな、目の前で!
熊の左腕が数馬めがけて振り下ろされ、
そして。


「助けの声は静かに、だが確かに響く。正義のヒーロー、参☆上!」


覚悟なんかこれっぽっちもできなかった光景は、熊の爪を受け止めたヒロさんの背中に、塗りつぶされた。



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