相談?いつでも聞くぞ!


ことの始まりは、町に出ていたときに見かけた諍いだった。


「駄目だ駄目だ!金がないならさっさと出て行け!」


通りに響き渡る怒声の方に目を向ければ、ピシャリと閉められた戸と、その前にしりもちを付いている男が目に付いた。
思わず人波に乗ろうとしていた足を止め、しりもちをついた男を凝視する。
身なりは悪くない、が、おそらく農家の人間だ。よっぽど手荒くあしらわれたのか、それとも急いできたのか。着物が少し乱れている。
そんな男を遠巻きに、周りの人間も足を止めたり振り返ったりしているが、誰も近づこうとはしない。
それは決して、この町の人間が冷たいからだとか、そういうことじゃなくて。
少し考えたが、人波をすり抜けて男の元に近づき、片膝をついて男の顔を覗き込んだ。


「大丈夫ですか?…何があったんです」


男と戸を遮るように顔を覗かせれば、正面からそれを受けることになる。
町の人間が冷たいわけじゃない。
その男が―――視線だけで殺せそうなくらいに、その戸を睨みつけていたからだ。


「…なんでも、ねぇよ…ほっといてくれ」


男は手を払って立ち上がり、どこかへ行こうとするが…正直、放っておける状態じゃない。


「なんでもなくないでしょう。何かお困りなら、力になりますよ」

「……」


数歩力なく歩いて、ぴたりと止まり。全てに絶望したような目が、こちらを向く。
まるで戦場で見る命つきかけた足軽のようだ、とばれない程度に眉間にしわを寄せた。






男と別れ学園に戻って庭で一人、歩を進めながら首を捻る。
春が近づいてきているとはいえ、まだまだ肌寒い気候は頭を働かせるのに丁度いい。
だが、一向に悩みの答えは出そうになかった。


「うーん…」


どうしたものか。
普段なら壁を破壊するくせに予算をよこさない文次郎に対する怒りを訓練に当てている時間だが、今はその余裕すらない。
こうしている間にも、と考えると、それこそイタチごっこに興じている暇も惜しかった。


「あ、食満せんぱーい!」


不意に後ろから聞こえた自分を呼ぶ声に振り返れば、駆け寄ってくる二つの小さい水色。
用具委員会一年の、福富しんべヱと山村喜三太だ。
目を輝かせて駆け寄ってくる可愛さに頬を緩めて身体ごと振り返れば、近づいて来た二人は俺を見上げてその笑顔を曇らせた。
え…なんで俺を見上げて顔を曇らせるんだ!?俺は何もしていないぞ!?


「しんべヱ、喜三太…どうした?」

「それはこちらの台詞です、食満先輩…どうしたんですか?何か、お悩みですかぁ?」


その言葉にはっとして、自分の表情に意識を向ける。
そこでようやく、自分の眉間に力が入って、歯を食いしばっているのがわかった。
一年生に気取られるなんて…と自分の未熟さに歯噛みしながら慌てて表情を取り繕い、安心させるように微笑む。


「…いや、大丈夫だ」

「でも〜…なんだか先輩、お辛そうですよぉ?」


いつも目をキラキラさせている二人が、悲しそうに眉を下げている。
そんな顔をさせてしまったことに申し訳なさを感じるが…今悩んでいることをこの子達に打ち明けるなんてこと、できるはずもない。
これは、オレの問題だ。


「大丈夫だ。心配かけて、すまんな」

「「……」」


納得のいかなそうな顔をしながらもそれ以上追及しない二人はとてもよくできた子達だ。
話題を変えるために用はなんだと聞けば、先輩が見えたから声をかけただけだと可愛いことを言う二人の頭をなでる。
「何か僕たちにできることがあれば、何でも言ってくださいね」とちらちらとこちらを振り返りながら離れていく二人に申し訳ない気持ちになりながらも、一年生にばれるなんて、と自分を戒めた。
極力いつも通り…、下手に何かを探られないようにするには、これ以上人に見られるのも避けたほうがいいだろう。
となると、やはり部屋に戻るのが一番か。
気の休まる環境に身を置けば、何かいい考えが浮かぶかもしれないし。
よし、と自分を納得させて自室へと足を向けた。
後輩たちが走り回る賑やかな笑い声を聞きながら中庭を通り過ぎ、六年長屋へと戻る。
からりと軽い音を立てて戸を開ければ、そこには見慣れた光景が広がっていた。


「おかえり、留三郎」

「伊作…。あぁ、ただいま。委員会の仕事か?」


部屋の右半分を占領する薬草の類の臭いに辟易しつつ室内に入り、戸を閉める。
無数に置かれたすり鉢の中心に座る伊作の目が、俺の顔を見た瞬間どこか探るもののそれに変わった。
自分に隠し事があるからか、どうにも真っ向から視線を返す気になれず極力そちらを見ないように腰を下ろす。
だが、それも無駄な足掻きだったのか。


「うん、…どうしたの?浮かない顔だけど」


あっさりと傾げられた首に、思わず片手で自分の額を押さえた。


「…そんなに、顔に出てるか」


今度は眉間も歯も、意識して力を抜いていたというのに。


「僕は留三郎の同室だよ?それぐらいわかるさ」


当然とばかりに告げられた言葉に面映くなりながらも、「そうだな、」となんでもないように返す。
確かに、同室だ。
この学園に入ってから、最も長い時間を共にしている。いわば兄弟と言っても差し支えないような間柄ではある。
だが、ここまであっさりと見抜かれると…正直、忍としてどうなんだって話だ。
そして当然、同室だから俺が今まで何処に行っていたのかも把握している。


「…町で何かあった?」

「…いや、大丈夫だ」


伊作に、相談する気にはなれない。
他の六年ならいいというわけでもないが…伊作は、個性的な六年生の面子の中でも、特に異色を放つ存在だ。
“保健委員だから”という理由で敵味方問わず人を助ける人間に、あんな相談持ちかけるほうが間違っている。
ゆるく首を振ったまま視線を合わせない俺に少しの間問うような視線が向けられていたが、それも一つのため息と共に外される。


「……。僕じゃ、力になれないってことだね」

「…すまん」

「いいよ。六年生にもなれば、仕方ない話だからね」


普段どおりな様子に逆に申し訳ない気持ちになりながら、薬草をすりつぶす作業に戻った伊作から視線を外した。
同室だから分かるのは俺も同じだ。普段どおりに見せかけてはいるが、頼られなかった事実に気落ちしているのがわかる。
そしてそれが俺に悟られていることもきっと、伊作は気付いているんだろう。


「…と、薬草が切れてしまった。ちょっと保健室に取りに行ってくるよ」

「あぁ」


席を立つ伊作を見送り、腕を組んで目を閉じる。
席を立った理由は事実だろうが、静かな空間を作ってくれたのもまた本意だろう。
ならば、俺はさっさとこの問題を解決することに専念しよう。






男は言った。金が要るのだと。
病気の妻のために薬を買いたいが、高額な薬代には手が届かない。
だが、薬が手に入らないと妻が死んでしまうのだ、と。目を真っ赤に染めながらそう言った。
これがもし、もうひとつ向こうの薬屋であったら、俺は気の毒に思いながらも干渉はしなかっただろう。
そんなこと、そこらじゅうで起こっていることなのだ。下手に手を出すものでもない。
それが何故、ここまで拘っているのかと言うと―――


『―――-食満留三郎。おぬしに頼みたいことがある』


昨夜、学園長に告げられた忍務を思い返す。
普段のどこか楽しげな雰囲気はなりを潜め、これが気まぐれのものではないと理解するのには十分だった。
姿勢を正して頭を垂れれば、こちらの心構えができたことを見て一つ頷き、学園長は続ける。


『重馬という薬屋についてじゃ。先日、ある毒草を大量に購入したとの情報が入った。微量なら薬になるが、そう必要なものでもない。何か不審な点がないか、調べてきてくれ』


忍務を受けたその足で下見に向かった目の前で、あの諍い。
そのまま踏み込んで内部を調べてもよかったが、それでは薬の製法は手に入っても毒草の情報が得にくくなってしまう。
調査に入るのは今夜。警戒されては侵入が難しくなる。
おそらく毒草の情報の傍には―――


「呼ばれて飛び出るヒロ参上!」

「うぉっ!?」


突然スパン!と障子が開かれた音に思考をぶった切られた。
集中していたせいなのか、誰かが近づいてきている気配に全く気付けなかった。
慌てて顔を上げれば…いや、上げずとも堂々と名乗ったその人が居ることは間違いなかったのだけども…#family#ヒロさんが声と同様堂々と仁王立ちしている。
…その目はしっかりと俺を貫いていて、呼んでなどいないのに俺に狙いを定めているのは明白だった。


「そこで俯く青少年、なにか悩みを抱えているな!さぁ、話してみるがいい。お前の悩みを!」

「……いえ、結構です…」


普段そうぐるぐると働かせることのない脳みそを酷使したせいか、疲れて誤魔化すこともできない。
驚きで硬くなった身体の力を抜きながら応える声は、随分と覇気のないものになっていた。


「何っ!?だが君が苦しんでいることは確かだ!はっまさか苦しみが嬉しいドM!?…うむむ、新しい世界に飛び込まねばならぬ日が来たのか…」

「いやいや、苦しみが嬉しいとか、そんな変態みたいなこと言わんでくださいよ…。第一、何で俺が悩んでるなんて…」

「子どもたちが教えてくれたのだ」

「…え、」

「『僕たちでは助けになれそうにないみたいだから、ヒロさん、助けてください』とな。すばらしい子どもたちだ。君が苦しんでいることに気付き、自分たちでは力不足だということもわかっている」

「力不足だなんて、そんな…」

「いや、今のは私の言い方が悪かったな。君が先輩で、自分たちが後輩という関係性がわかっている、ということだ」


『僕たちではお力になれないみたいだから』

『同じ六年生にも言えないみたいだって伊作先輩が言ってたから』

『ヒロさんなら、学園の外の人だから、もしかしたら一番相談しやすいかも』


そういっていたよ、と微笑むヒロさんに、思わず目頭を押さえる。
なんて天使なんだ…!


「さぁ、そんな純朴な子達から頼まれた私も、このまますごすごと帰るわけにはいかない。どれ、話してみてはどうだ?」


聞くぞ、とどかりとその場に腰を下ろしたヒロさんは、小平太と同じにおいがする。
聞くぞと言いつつほっといてくれという言葉は聞いてくれない、真っ直ぐすぎる男は簡単にはあきらめない。
説得して追い出す労力と、素直に話すことと…天秤にかけて、はぁ、と一つため息をついた。


「ここでは、何なので…少し移動してもよろしいですか?」

「勿論だ!」



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