助けを求める声がする!


「―――止して―――っ!!」

「……、」


町を歩いていて、そんな声が裏道から響いてきたのを耳が拾ったのは偶然だった。
そちらに視線をやると、若い女をガラの悪い男二人が囲んでいて、見るからにまずい雰囲気。
悪くない気分で歩いていたのに胸糞悪い、とチッと舌打ちを一つ零して、足をそちらに向ける。
相手は二人。上手くやれば問題ない。
懐の棒手裏剣をそれとなく確認して、おい、と声をかけようと口を開け―――


「悲鳴が聞こえるこの町に」


突然聞こえてきた声に、そのままピタリと足を止めた。


「姿を現す影一つ」


連中も女もそれが自分たちに向けて発せられている声だと気付いたようで、俺とは反対の方向へ顔を向ける。
俺と反対側の物陰から現れたそいつは、深く被った笠で顔を隠していた。


「悲鳴が収まる日が来れば」


朗々と響き渡る声は、内容はさておきその存在を意識に食い込ませてくる。
目が釘付けになる、とはまさにこのことだった。


「後も濁さず去りましょう」


次の瞬間バッと笠を投げ捨て、露になった顔は。


「正義のヒーロー、参☆上!」

「(アイツは―――!)」


この前、一年は組の問題児三人を助けたとかで、食堂で飯を食っていった奴。
何か硬質なもので目の周りを隠してはいるが、上級生ともなれば口元と体格だけで大体の判別はつく。
…まぁ、あの奇抜な着物を変わらず着ているから、下級生にもそれと分かるだろうが。
敵忍かもしれない、と上級生総出で疑ってかかったそいつが、何故ここに。


「な、なんだテメェは!」

「それはこちらの台詞!なんだ貴様達は!若い女性が発する恐怖に染まった嫌という声―――それ即ちヘルプの合図!そんな合図を出させたお前達は自分の罪を知ると良い!!」


「はっ!」と男は両手を頭上に突き出し、そのまま左右に広げる。
一挙一動次何をするか分からない…あまり良くない意味で目が離せない。
頭の可笑しい奴だと、無視することはその異様なほどの圧倒的な存在感が許してくれなかった。


「行くぞ!必☆殺!アクアトルネード!!」


訳のわからん言葉を叫んだかと思えば、突如として男の背後から放射状に水が飛び出してきた。
津波とまでは言わないが、水飛沫とは比べ物にならないほどの量の水。
しかも男は、その場で腕を大きく広げているだけで、背後を操作する様子もない。
後ろに人がいたようにも見えなかったが…とにかく。


「……!!?」


自分の目を疑うには、十分な光景だった。


「「う、うわわあああがぼっ…!?」」


バシャアアアアン!と男たちだけに盛大に降り注いだ水に、たまらず叫び声を上げて若干溺れる男たち。
勢いのまま若干俺のほうへ流されてきて、地面に染み込み切るはずもない量の水が俺の脛を濡らす。
呆然とその光景を見ていれば、男が「さ、今のうちに」と何故かまるで濡れていない女の手を引いて向こう側へ向かっていた。
後に残ったのは、目を回した男たちと、二人を追うこともできず呆然と立ち尽くす俺。


「…俺の目が、可笑しくなったのか…?」








「―――あの、ありがとうございました。おかげで助かりました」

「礼にはおよばん!では、さらばだ!」

「あっ…」


三人を助けた礼に学園での食事を強張るくらいだ。あの女にも何か要求するのだろう。
そう思っていたから、あっさりとその場を去っていこうと女に背を向ける男に少し焦った。
女も礼をしたいのか、思わず、といった風に手を伸ばす。
しかし袂もないその着物を掴むことはできず、男はするりと手から逃れて足に力を込めた。
走り出すのか。と思いきや。


「とう!」

「!?」


なんだあの跳躍力は…!一般人にあんな動きができるわけないだろうが!
一足飛びで軽々と屋根の上に姿を消した男の動きに目を見張りつつ、慌てて頭の中にこのあたりの地図を思い浮かべる。
奴の跳んでいった方向はいくつか店が連なっているが、一直線になっていて向かいの店とは距離があったはずだ。
ならば、通りに出れば屋根の上に奴の姿が見えるはず!
すぐさま顔を赤らめている女を尻目に地を蹴って通りに出る。
そして屋根の上を振り返り―――


「―――!?いない、だと…!?」


キョロキョロと近くの屋根の上を見回すが、あの妙な着物は見当たらない。
馬鹿な、あの一瞬でどうやって。
もっとよく見ようと屋根の上に視線をやりつつ後ずさる。
もしかしたら屋根の向こう側を走ってるのかもしれな―――


「うっ!?」

「おっと?」


背中に思わぬ衝撃が走り、それと同時に男の驚いたような声が聞こえた。
しまった、人がいたのか。
自分の失態に眉を顰めつつ「すまん、」と謝りながら後ろを振り向いて…顎が落ちた。


「いや、私も不注意だった。気にすることはない」


…―――変わり衣の術か!
屋根の上に跳んで逃げたとみせかけて、すぐさま屋根を降りて着物を着替える。
印象に残っている奇抜な着物と目を覆っていた黒いもの探すから、普通の格好をしている今のコイツには気付かない、ってわけか!
まんまとはまっていた自分に、壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られたが、それは今すべきではない。
ギリ、と歯を食いしばって耐え、努めて何も知らないような顔を見せた。
ここで下手に関わるのは得策じゃあない。


「すまんな、じゃあ」

「あぁ、次は気をつけたまえ!」


あっさりと別れることができて内心ほっとして、すぐにのんびり歩き出す。
だが勿論、そのままはいさよならなんてわけがない。
少し離れて物陰に身を隠し、できる限り気配を消して観察する。
男はなにやら露天を覗いては離れ、覗いては離れと何かを買うわけでもなく、ただ品物を眺めているようだった。
店主と話す様子もないし…特に珍しいものがあるわけでもないと思うが。
うろちょろとまるで子どものように落ち着きのない様子に若干呆れ始めた頃…不意に、状況が変わった。


「これ、待ちなさい…!!誰か、その引ったくりを捕まえてくれえぇ…!!」

「むっ」


…ここは、そんなに治安の悪い町だったろうか?
道の向こうから聞こえる老人の切羽詰った声に、男がぴくりと反応を返して顔を上げる。
その視線の先には、見るからにひったくりな男。
脇に抱えている荷物はおそらく、老人のものなのだろう。
またか、と眉間にしわを寄せてから、はっとなる。
あの男は、動くのか?
…その答えは、一瞬で判明した。


「待ちたまえ!」


横を走り去ろうとしたひったくりの腕を、男がぱしりと掴む。
簡単につんのめってその場から動けなくなったひったくりは慌てて腕を振り払おうとしたようだったが、ぴくりとも動かないようだった。


「っ…!離しやがれ!」

「その荷物は君のものではないだろう!か弱き老人から生きる糧を奪うとは何事!」

「っ知るかそんなこと!」

「いいや、知るべきだ!なぜなら君もいつかは通る道だからな!」


綺麗ごとだ。
男の口上を聞いて、その言葉が思い浮かんだ。
今を生き延びることができなければ、老人になることもできない。
もしやどこかのボンボンか?という考えが一瞬過ぎったが、ならば雑草の入れ食い場所など聞かないだろう。
さっぱり素性が読めねぇ。


「さぁ、その荷物を置いていきたまえ…今ならまだ見逃してやろう」


大して力がなさそうに見える男を舐めたんだろう。
ひったくりは一度男の足先から頭まで視線を流すと、にやっと顔をゆがめて拳を振り上げた。
全力で走りぬけようとしたのを、腕一本で引きとめられている事実、忘れたんだろうか…
だが、振り上げられた拳が降りてきても避けるどころか、拳に反応する様子すら見せない男に、思わず声を上げた。


「…おい!」


そして上げた瞬間、自分の迂闊さに気付く。
隠密で行動していたのに、自分の存在をばらしてしまった。
が、そのことを考えるより早く…空気が、色を変えた。


「せっかく人が、逃げるチャンスを与えたというのに…」


呆れたような声が、妙に耳に響く。
それまでの声色と少し違う感覚に、意識が移った瞬間…引ったくりの体が、宙を舞った。
力を、加えたわけじゃない。
殴られるその力を利用して、くるりと回転させただけだ。
言うのは簡単だが、行なうのが簡単なことではないことを、俺は実践で知っている。


「ぐはぁっ!?」


背中から地面に落ちた引ったくりを見て、こいつはやはり只者ではないと息を潜める。
直前まで大した動きもなかったくせに、目で追うのがやっとの速さで自分より体格のいい男を投げ飛ばすなんて、並みの実力ではできないだろう。


「悪いことをしたら、いつかはその報いを受けなければいけないのだよ。君は今回で、年貢の納め時というやつだね」


無駄にさわやかにそう言いきると、周りに人が集まってきたのに乗じてすっと身を引く。
たったそれだけの動きなのに、まるで野生動物のように気配が消えた。
あれだけ派手なことをやっておきながら、目立つつもりはない、ということか。
この気配の消し方…おそらく追跡は不可能だろう。
あまりに自然な気配の消し方に、もはや驚きを通り越して呆れてしまう。
派手な格好で堂々と妙な技を使ったかと思えば、目立たないようにひっそりと制裁を加える。
一体何が目的なのかは知らんが…
ちらり、と視線をひぃはぁといいながらやってきた老人に向ける。
老人は落ちている荷物と、目を回しているひったくりを見て目を丸くし、きょろきょろと周りを見渡した。


「誰が、わしの荷物を取り返してくれたんじゃな…?」


その場の誰も、その問いに答えることはできない。
それどころか、野次馬達はそいつがいなくなっていることにすら、今気付いたといった風だった。
「若い男で」「髪が短くて」そんなありふれた特徴しか残していかなかったそいつが本気で隠れたら、おそらく一般人には見つけられないのだろう。


「あぁ、誰か存知ませぬが、ありがたや、ありがたや…!」


空に向かって手を合わせ、大事そうに荷物を抱える老人の背を見送る。
あいつの目的は、知らん。
知らん、が…


「…まぁ、悪い奴では、…ない、んだろうな…」


自分らしくない答えに釈然としない思いを抱えつつ、そう思うしかねぇだろ、とガシガシと頭を掻いた。



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