皆と仲良く!


最近、新しい人間が下町に現れたらしい。
それが初めて知られたのは、一年は組の三人組が山賊から守ってくれたといって、礼に食事を奢ったことだった。
しかし、それまでの消息が一切知れない男を簡単に信じることができる者など、学園の上級生にはいない。
しかも何かと問題に巻き込まれやすい一年生を助けて関わりをもつとは、こちらの警戒心を解こうとしているようにしか思えない…とは、文次郎の言葉だ。
警戒して警戒して、何か行動を起こすまで影からひっそりと監視するのが我々の役目。
だが、そう息巻いていた文次郎が…釈然としない顔をしながら帰ってきたのは、ほんの数日前だった。


「…悪い奴じゃ、ない、らしい…」


夜の会合、報告会でそう、歯切れ悪く言った文次郎は、「…馬鹿馬鹿しくなるんだよ」と言ってがりがりと頭を掻いた。
あっさりと、“降りる”と言外に告げた文次郎に、瞠目したのは私だけではない。


「…珍しいな、ギンギンに忍者してるお前が、こうもあっさり信じるとは」


仙蔵も言うように、この面子の中でもっとも警戒心が高いのは文次郎だ。
白だろう、と他の五人が認めたとしても、文次郎だけは相手が関わらなくなってすら疑い続けることもあるくらいなのに。
らしくないことを言っている自覚があったのか、文次郎はすい、と目を逸らした。


「別に、信じたわけじゃねぇよ。…観察はするさ」


だが、監視ではない。
やはりらしくない言葉に、「…なにがあった」と問う。
会合の場で珍しく口を開いたからだろう。文次郎は一度視線を合わせたが、すぐに逸らしてため息をついた。


「…忍だと疑うには、アイツは甘すぎるんだ」

「甘い?」

「…見てりゃわかるさ。今まで見てきたどの人間より、もしかしたら赤子よりも世の厳しさを知らん。世間を知らんボンボンかとも思ったが、それにしては野性味がある」


「もしかしたらどこぞの山奥で獣に育てられたのかもな」と茶化して言う文次郎の顔をじっと見る。
その視線に気付いた文次郎が、笑いを引っ込めて再び眉間に皺を作った。


「…別に絆されたわけじゃねぇよ」

「…なら、いいが」

「だが…そうだな、もしかしたら奴は、幻術使いかもしれん」


ぽつりと出てきたその言葉に、皆の視線が文次郎に集中する。
幻術使い…かもしれん?
無言の催促にに促され、文次郎は少し迷うような仕草をした後口を開いた。


「ゴロツキに絡まれていた女を幻術らしきもので助けていた」

「幻術…らしきもの、って?」


薬を使うことが多い伊作は、幻術…正確には幻覚、だろうが…にも手を伸ばしているからか、興味があるようで身を乗り出してくる。
文次郎はその様子にぐぅ、とうなり、視線を彷徨わせて言葉を捜しているようだった。
あったことを伝えるだけなのに、何を躊躇しているのか、と思ったら。


「…男の後ろから、それなりの量の水が、小さい津波のように、ゴロツキを襲った」

「…は?わけわかんねぇぞ」

「うるせぇよ。俺だってよくわかってねぇんだ」


とうとう頭を抱えた文次郎だが、こちらも首を捻るしかない。
水が?桶を使ったわけでもなく?襲った?
言いぶりから察するに、後ろに仲間がいたわけでもないのだろう。


「幻覚じゃねぇのか」

「幻覚なら、地面は濡れねぇ」

「……」


そのとおりだ。
だが、ならばその水は本物ということになり、今度は手段が分からなくなる。
奇怪な現象に二の句が告げなくなり、留三郎が押し黙った。
かといって何か言うべきことが見つかるわけでもなく、沈黙が降りる。
しかし、こうして膠着状態を続けていても事態が好転するわけでもない。
涼やかな虫の声が場違いに響く中、閉じていた目をゆっくり開いた。


「…見ていれば分かる、といったな」

「長次…」

「行くのか?」


伊作の心配そうな声と、小平太の確認の声に押され、一つ頷く。


「…あまり長く下級生を町に出さないわけにもいかない…。脅威ならば、排除だ」

「…気配を消すのが妙に上手い。警戒されたら見つけられんぞ」

「……、」


文次郎からの助言に一つ頷き、他の面子にも視線を流す。
それぞれから同意の視線を受け取り、その夜の会合は終わりを告げた。






「あぁ、おばちゃん。いつもすまないな、おまけしてもらって!」

「いつも助けてもらってるからねぇ。せめてもの礼だよ」

「礼?何を言う!私は何もしていない!」

「ふふ、そうだったねぇ」


もうこれで、何度目のやり取りだろう。
町を歩く男を見つけて、そっと身を潜めてから一刻ほど経ったろうか。
どうやら買い物に来ているらしいその服装は町人に紛れるごく普通の着物。
特に不審な動作もなく歩を進める男は、店に入るたびにこうして何かしらのおまけをもらっていた。
そしてそのたびに掛けられる、「いつもありがとう」という意味の言葉。
そしてそれに応える、「私はなにもしていない」という言葉。
もしやそのやり取りに何か裏があるのか、と一瞬勘ぐったが、相手は長年この町に住んでいる本当にただの一般人。
言葉通りの意味しか込められていないだろう。
そう考えると、今度はその理由に目が向く。


「お菊さん、団子を一本もらえるかな?」

「あっ、ヒロさん!は、はいっ今お持ちしますね!」


荷が多くなって疲れたのか、男が次に入っていったのは茶屋。
後を追いかけるように入っては印象に残ってしまう。
怪しまれないように少し間をおいて店に入ると、男は既に他の客に囲まれて和気藹々と談笑していた。
こう見えて、下町の人間というのはよそ者に対して警戒心が強い。
そして、噂が広がるのも一瞬だ。
それが良いものでも、悪いものでも。


「いやー、この間はうちの娘を助けてくれたってなぁ!ありがとうよ!」

「あぁ、あなたはあの子の父親か。いや、あれは私ではなくヒーローだよ」

「はっはっは!そうだったなぁ!じゃあお前さんからヒーローに礼を言っといてくれや!」

「それぐらいならお安い御用だ!」

「おや、お前さんまた人助けしたのかい?相変わらず献身的っつぅか」

「まぁそれがヒロのいいところだな!」

「何を言う。私は何もしていない!全てこの町を守るヒーローの存在があってこそだ!」

「そうそう、ヒーローな!これからもよろしく頼むぜ!」

「勿論だ!…と、ヒーローなら言ってくれるさ!」


楽しげな笑いが響く場を遠巻きに眺めていると、団子を一本頼んだだけだったはずの男の前にいくつもの甘味が運ばれてくる。
きょとんとして「お菊さん?」と首を傾げる男に「ふふ、」と微笑むと、お菊と呼ばれた娘は周りの人たちに視線を向けた。


「皆さん、ヒロさんがちゃんとしたもの食べてるか心配なんですって」

「…何を言う!最近は皆のおかげで毎日美味しいものを食べているさ!ありがたいことだ!」

「けどお前さん、もっと肉つけんといつかぶっ倒れるぞ?」

「そうそう、若ぇんだから今のうちに食っときな!」

「むむ…、年配の方のご助言は受けるが吉…。よし!このヒロ、皆の心遣いを無駄にはしない!」

「おーおー食え食え!」


手近にあった餡蜜から掻き込みはじめた男に、周りがやんやと囃し立てる。
白玉を喉に詰まらせた男に娘が慌てて茶を持ってきたり、男達に遠慮なく背をはたかれて逆にむせたり、と騒がしくも楽しげな光景が繰り広げられる。
そんな、完全に町の人たちに受け入れられている光景を見て、ふ、と肩の力を抜いた。
文次郎が疑うのが馬鹿らしくなるといった意味が、分かってしまった。
これだけ裏表なく人と関わり、好かれる人もまた珍しい。
会話の内容からして、どうやら人助けを頻繁にしているらしいが…
回復して食べるのを再開した男と、それを賑やかに見守る町の人をそっと盗み見る。
気まぐれで助けただけでは、ここまで信頼されない。
恩着せがましく助けては、ここまで感謝されない。
目的があって助けたら、ここまで受け入れてもらえない。
町人は鏡だ、と長次は思う。
疑えば疑い、誤魔化せば誤魔化す。
そして、純粋に助けてくれたヒロだからこそ、純粋に恩を返そうとしているのだろう。
最後の一品を完食したヒロに、周囲から歓声と共に拍手が巻き起こる。
それに満足そうな笑顔を返す男の表情に、力の抜けたため息をついた。
これは、確かに疑えない。


「また、食べに来てください!ヒロさんならいつでもおまけしちゃいますから!」

「本当かい?それはありがたい!また来るとするよ」

「っはいっ!」


本当に嬉しそうに頬を染めて返事をする娘に、人心を掴むのが上手い、と素直に感嘆する。
だがそれはきっと、計算して作られたものではないのだろう。
足取り軽く店内へ戻ってくる娘さんに、「…勘定を頼む」と声をかけた。



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