物心付く前から見る夢がある。灰色の煙と大きな爆音、皮膚の焦げる臭い。途切れることなく耳に入ってくるこの音は視覚に無くとも太刀の反り合う音だと分かる。砲弾の音、姦しい馬の嘶きに放たれる無数の矢はまるで雨のように降り注ぐ。そして辺りは武装した無数の男たち。それに囲まれるように私はそこに居る。
 しかし、不可解な事に私は私ではない。私は男の体躯をしていて深紅の甲冑に身を包み両手には槍を持っていた。額に結んだ、紅の布が風に揺れる。

「観念致せ!」

 辺りの男たちの中では少し派手な甲冑を纏った男が刀を振るいながら喚く。それに合わせて周りの笠を被った男たちも各々の刀を構えながら己を鼓舞するように同じような事を叫んでいる。その顔はどれも酷く引き攣っていて恐怖と戦っているのが見てとれた。彼らは一体何の恐怖と戦っているのだろうか。
 しかしそんな疑問とは裏腹に私ではない私はこの場になんとも似つかわしくない緩慢な動きで口元を緩ませる。そして、低い厳かな声で言い放つのだ。

「我が名は――」

 そこで、いつも私の夢は終わる。







(――痛い…)

 じりっと蒸した風が気休め程度に吹いているものの、所詮気休めは気休めで首元に張り付いたブラウスの隙間からは汗が一滴喉を伝った。今日は気分も体調も最悪だ。人気のない電車のホームで壁にスクールバックを抱え込むようにして凭れかかる。こんな日に限って構内のベンチが色の塗り替えで使用禁止だなんてツイてない。更に電車は出発してしまったばかりで次の電車まであと40分ばかりも待たなくてはならない。ただ、田舎とは言え電車利用の大半である学生も年寄りも居ない無人のホームで気兼ねしない事が唯一の救いだった。
 夕陽のせいで見づらくなったスマホで時間を確認すると17:28の数字。夏季期間の部活動は大体が18時まで認められているので部活に参加している生徒たちはその次の列車で、部活に参加していない生徒たちはそそくさと随分前に帰ったのだろうから、次の列車に乗る学生は中途半端に部活を早退してきた私だけかもな、と痛みのある頭でぼんやり考えた。

(なんで最近こんなに酷いんだろう…)

 昔からあの夢を見ると頭痛がする。幼い私が頭痛を訴えた時から周りの大人たちは体質なのだと慰めてくれたけど、自分の身体は自分が一番よく知っている。ずしん、と重たく深い痛みが頭を支配してその日はなんとなく身体がだるい。しかもその痛みは高校に入学してから妙に顕著になったようで、最近は終日気だるさと付き合わなければならないほどだ。何故頭痛ごときでこんなにも悩まされなければならないのか。こうしているうちにもその痛みはズキズキと脳内を支配する。これと言って過度なストレスがある訳でもなく不規則な生活をしている訳でもない。なのに、どうしてあの夢を見るとこんなに――。

「ざっと400年振りだな」

 男の声だった。驚いて反射的に俯いていた顔を上げると知らない男の子が立っていた。ワイシャツにはうちの高校の刺繍が入っていて同じ高校の生徒だと分かった。となれば歳は同じか一つ下だろうか。その顔は一見、某有名事務所に所属していそうな所謂イケメンと言うやつなのだが、如何せん全く見覚えがない。しかし壁に寄りかかる私の目の前に、初対面ではまずあり得ない近さでこちらを見ている。いや、見ているのではない。これはどう見ても、睨まれている。

「……は、」
「何だそのツラは。この俺に向かって何様のつもりだ」
「はっ?え、」

 「人違いではないですか」と言う私の言葉は彼のドン、と鈍い音を立てて顔の真横につかれた手によって音になれなかった。傍から見れば所謂壁ドンなのだろうが、そんな色ボケをかませる状況ではない。見知らぬ男子に追い詰められ、現状を見る限り何故か睨まれている。その瞳は有無を言わせぬ怒りがあるのが見て取れた。面識も無い見知らぬ人間に身に覚えのない事で怒りを向けられている。怖い。

「貴様、この俺との契りを違えるつもりか」

 その時、痛む脳裏に紅の色が翳った。

“――美雨!!”

 燻る煙と雨のような矢の中をすり抜けて、弾音の遠い茂みの中で私はやっと息を着いた。一先ず、ここならばそう簡単に徳川の兵も追っては来れないだろう。唾を飲み込めば鉄を食ったかのような味がして咽てしまいそうだ。激しく上下する胸や四肢からも大なり小なりの傷から血が滴り落ちてきて、目に入る前に手で拭う。

「美雨!どういうつもりだ…!俺に、何を飲ませた!」

 額を拭ったのと同時に勢いよく胸ぐらを掴まれる。歳を食っても女子には初な素振りしか出来ないと言うのに、戦場ではその気に中てられるのか、この方は酷く猛々しくなる。薬を盛られたとてそれは衰えない。

「眠剤の効果はほんの僅かでございます。すぐに猿飛隊長の鴉が参ります」
「何故だ!佐助もお前も…何を、考えている…!?」
「鴉が秀頼様の元へ案内するよう手筈を整えてございます。その後は隊長が、」
「そのような勝手は許さぬ!お前たち、俺の知らぬところで勝手な真似を…」

 その爛爛とした瞳も人肉を引き裂いてしまいそうな鋭く見える歯も無骨で精悍な腕も。私には幸村さまが全てだった。だから、私には猿飛隊長がこの方の為にあんなにも身を呈しているのが分かるのだ。真っ直ぐで強くてやさしい方。この方を守る為なら私は喜んで先に地獄へ行こう。

「美雨…何故だ…!」
「……」
「答えろ!!」
「…。貴方さまは只の忍びを人と同じように扱って下さった。それがどんなに身に余る事であったか…幸村さまには分かりますまい」
「それが何だ…?佐助も美雨も…忍である以上…みな、人であろう…!」
「幸村さまをお守りする事が出来るなら、美雨はそれ以上は何も」

 傷を負った両肩に幸村さまの指が食い込んだような気がした。しかしその腕の力は徐々に抜けて行く。薬が効き始めたのだ。

「美雨…!お前を一人では行かせぬ…!そのような事…断じて許さぬ…!」
「……。幸村さまの忍びであった事、美雨は是とない誉と思っております」
「…行く、な…!」
「……」
「美雨…」

 そう私の名を呼んだ刹那、幸村さまはどさりと私に凭れかかった。初めて己の腕で抱きしめたその御身は熱かった。
 私の生きる術であるのと同時に私の最期を示す術。私の最期は必ずこの方の糧になる。そう思うだけで胸が満たされた。しかし、もしこれ以上の事が許されるのならば、この方の最期の時までお側に控えていたかった。きっと其れをするのは猿飛隊長なのだろうと思うと、あの人を食ったような飄々とした面が少し憎らしくもなった。

「幸村さま」

 戦場から距離があるとはいえ、徳川の兵がここまで攻めてくるのも時間の問題であろう。その前に隊長の鴉が見えはしないかと思う反面、その姿が見えなければ良いのにと思う己の心に呆れてしまった。これが今生の別れとなる事など、猿飛隊長と企てた時から分かっていた事だというのに。

「もし次の世というものがあるのなら、今度こそ美雨はずっと幸村さまのお側に」

 恐れ多いと思いながらも小さな傷がついたその頬を撫でた。乾いた血の薄い欠けらがはらりと落ちた。合戦の劈く音が近い。感傷に浸っている場合ではない。私はこの方を守る為に行かなくては。

「恐れながら、このしがない忍びにその熱を分けて頂きたい」

 そうして私は私の姿ではなくなった。







「――我が名は、真田幸村」

 その名前が不意に口を衝いた時、痛みが消え、代わりに涙が頬を伝ったのが分かった。どうして今の今まで忘れていたのだろう。あんなに私に心を尽くしてくれた人だったのに。あんなにも守りたいと強く思った人だったのに。

「幸、村さっ、…」
「思い出したか」
「幸村さま…」
「あの時、お前が頬を撫ぜたのを感じていた。お前はあの後、俺の姿に」
「もっ、申し訳ござい、」

 私の謝罪はその体躯に飲み込まれた。私をすっぽりと包みこんだそれはあの日の記憶と寸分も違わぬ熱。あの日の御身と同じのも。堰を切ったように流れる涙さえも同じ熱さような気がした。

「次の世で相ま見えた時、お前の約束を違えぬようにと…。一時も忘れた事などなかった。それなのに、お前ときたら」
「申し訳ございませんっ…」
「…もうよい。400年も経ってしまったが、こうしてこの世にまた相ま見えたのだ」
「はい…」
「今度こそ、違えることは許さぬ」

 その言葉に大きな背中に手をのばす。400年前は最期にやっと頬を撫でることしか出来なかったその人が私を抱きしめてくれているというその事実がたまらなく嬉しかった。――今度こそ最期の時まで。
 そして私が一通り泣いた後、壮大な再会を果たした私たちは傍から見ればケンカ中のカップルが壁ドンをして仲直りのハグをしたようにしか見えなかっただろうと思うと、おかしくて真横にある手を握り締めたまま笑ったのだ。




それでも私は今も空がとても綺麗に見えるところにいるのです





---------------------
2016年大河記念

20160519