じんわりと光の広がる瞼の向こうで、あなたが呼んでいてくれる。

「――美雨」

 辺りは深い青色をしていた。肌に感じる心地の良い感覚から自分が水の中に居るのだと分かる。深い水の中で仰向けのまま水面を見上げる形でたゆたっている。水面の方から漏れた光が水底に向かってゆらゆら揺れている。そのキラキラした光りの向こうに誰かがいる。

「美雨」

 私の名前を呼んでいる。水面の向こうにいるその人は私を知っているのだろうか。けれどこんな水底にいてはその顔はおろか、体格、髪の色でさえも判断することが出来ない。あの人はどんな様子でどんな表情で私を呼んでいるのだろうか。

「美雨」

 私の名前を呼ぶ人は誰なのだろう。すると水中に浮遊している身体がゆっくり水面へ向かって浮かんでいく。ふわふわ浮かぶ身体は少しずつ水面に近づいていく。深い青の世界が透明に澄んだ水の色へと変わっていく。差し込む光がまぶしい。もう少し。もう少しで私は青い世界からあなたの元へ――。

「美雨。大丈夫か?」

 水中から浮かび上がったはずなのに、初めに映ったものはあの世界と同じ青だった。美しい青い瞳が不安そうに私を覗き込むようにして見つめている。

「ハル…」
「悪い…。昨日は…無理させた」
「ふふっ…そんなことないよ」

 愛おしい気持が込み上げてきて、両手でその頬を包むとハルの口元が僅かに緩む。不穏な色をしていた青は穏やかな色へ変わっていく。その青が近付いてくると思えば瞼にやわらかな唇が触れる。そうしてゆっくりと私を抱きしめてくれるのだ。あぁ、愛おしいなぁ。

「名前、ずっと呼んでくれてたの?」
「心配になった」

 その私にすり寄って来る様は驚くほど穏やかで柔らかい。

「お前がなかなか目を開けないから」

 ハルとのセックスは深い水底に潜ることに似ている。以前ハルに無理を言って競泳用の底深いプールで水に潜ったことがあるのだが、その時の感覚にとても似ているのだ。青く澄んだプールの水は美しく、ふと水底から水面を見上げれば照明の光がキラキラと水面を介して揺れている。ダイビングを楽しむ人からすれば競泳プールの深さなんてたかが知れているのだろうけど、ウエットスーツとは違う肌に直接触れる水の感覚はたまらないのだ。
 本来なら海に潜るダイビングの方がより深い潜水なのだろうけれど、装具を付けて構えるそれとは違う、生身のまま青く深い水底に沈んでいくような不思議な感覚。それは深ければ深いほど息は苦しく、身体はまるで水圧で押しつぶされるような感覚になるのだけれど、全身で肌が直に感じる水の感覚や浄化された清らかさがたまらなく心地がよい。ハルの手が身体に触れる度、私はその青い世界へと深く深く沈んでいく。
 ひとたび深く心地の良い世界に浸ってしまえば、そこから抜け出すことはそう簡単なことではない。この水中の色は愛おしい青。この水深は愛情の深さ。水魚の交わりとはよく言ったもので、そうなれば、いつまでもこの心地の良い世界に浸っていたいと思うのは仕方のない事だと思う。その時の私はその美しさに見惚れている事にさえ気がつかないでいるのだから。
 だから、私をその世界から呼び戻す人は私をそうさせた人、そして私が感じる愛情よりも深いそれで私を抱きしめてくれるあなたしかいないのだ。

「どうした?」

 首元にあるハルの手首にゆっくりとキスをする。この手はなんともおそろしいものだ。これひとつで私は深く沈み、そして浮上する。それをしあわせと呼ばずに何と呼べるのだろう。こんなに愛おしい人が自分を抱きしめてくれること、そのしあわせを感じさせてくれるあなたからもうきっと私は離れることは出来ないだろう。

「愛おしいの」

 その言葉に微笑んで私にしてくれたキスはどんどん深くなっていく。そうして私はまた澄んだ青い水の中へと身を委ねていく。








20160523