「こら、そんなんじゃ手当て出来ないだろ。ちゃんと見せな」 恐れ多いと咄嗟に下げた左足は、その有無を言わさぬ物言いの前に素直に差し出す他なかった。長は左足の防具をいとも簡単にするりと外し、手際よく手当てを始めていく。その手指が肌に直に触れる度に動揺すまいと思うほど力んでしまうような気がして、結局私はまたその伏せられた睫毛の流れを大人しくゆっくりと追う事しか出来なかった。 「そう言えば、お前、昔ここと同じ所を捻ったことがあったね」 「……よく、覚えておいでてすね」 「ハァ、真田忍隊の長も舐められたもんだ。昔のこととは言え、この俺様が忘れる訳ないでしょ」 「…申し訳御座いません」 「あの頃のお前は本当によく泣いてたねぇ。あの時も蔵の隅でピーピー泣いてたっけ。今はもう泣かないんだね?」 「お戯れが過ぎます。もう、あの頃とは違うのですから」 「アハ、そうだったね」 随分と楽しげに語る長の表情は心なしか柔らかく見える。その様をまさか戦さ場で拝めるとは思ってもみなかったので、気を抜けばずうっと見惚れてしまいそうだった。 「しっかし、あの時のお前の顔。アレは酷かった」 「怖かったのですよ。他の兄弟子達に隠れて泣いていた事が知られて、また虐められるのだとばかり思っていたので…」 「あの時は簡単な着地に失敗した挙句に捻挫して、師匠達にこっ酷く叱られたんだよねぇ」 「当たり前の事が出来ない己には忍びの才が無いのだと、ずっとそう思っておりました 」 「それが今やこんなに優秀になっちゃって。同じ捻挫でもこれは旦那を守った名誉の怪我だからね。俺様も鼻が高いよ」 「恐れ多いことに御座います」 「それに忠義を誓った主の為に、しかも片時と言えど、恐れ多くもその主の姿で死ねるんだから忍び冥利に尽きるってもんだよ」 感慨深げに頷くわりに、その言葉からは十分な無情が伝わって来る。長にとって私など一本の矢とそう変わらないのだ。元来、忍びとは仕える主の飛び道具であり、その忍びに仕える忍びもまた、その主である忍びの使い捨ての飛び道具である。飛び道具に情をかければ最後、手元の狂いは波動となり、じきに過大な損失となって返って来る。故に部下を道具として扱える者こそが適性。その器が無ければ忍隊の長は務まらない。 (事実、この方ほど最良な器もあるまい) この度の戦で片足が使い物にならなくなってしまった私には最早捨身としての道しか残されていなかった。戦況は手負いの忍びを抱えて進めるほど生ぬるいものではない。ならばいっそ、真田様に化けて敵方を撹乱させ時を稼ぎ、その身を賭して勝鬨の礎えとなれと。例え四肢が使い物にならなくとも、尚その技で最期まで尽くせという、長直々からのお達しであった。真田様の為なら何事も厭わない、如何にも長らしい策である。 ただ、些か腑に落ちない点が一つ。企て自体はほぼ予想し得た事なのだが、何を思ったのか、私への餞と称して足の手当てと撹乱の合図を長自ら買って出たのだ。この不測の事の成り行きに、同郷のよしみで終に飛び道具に情が湧いたのかと図らずも不安と僅かに妙な期待を抱いてしまったのだが――。 やはりそんなことは無いのだと長の様子で諒解する。ただこの方は私が怖気付いてしまわないよう、そして任務を最後まで遂行するように私を見張っていたいだけなのだろう。ただでさえ用心深いお方だけど、真田様の事に限っては何事もより邪推が深く、念には念を入れる方なのだから。 「痛む?」 不意に掛けられた言葉で知らずのうちに患部を庇うように手を添えていたことに気付いた。無意識とは言え、あからさまな態度をとってしまった己に嫌気が差す。 事実、これは捻挫で収まるものではなく、痛みや腫れの具合、可動域の狭さから骨が折れているのは明らかだった。しかし、人の身体は骨が折れようとも意志さえあれば多少は動くように出来ている上に、それを巧みに操ってみせるのも忍びの技のうちである。いくら目先で尽きる命運とはいえ、私にだって矜持がある。ここまで来たら最期の最後まで毅然と振る舞うのが忍びというものであろう。 「大事ありませぬ。恥ずかしながら、懐古するうち手が触れたようでして」 「…美雨」 「はい」 「もういいよ、強がんなくて。どうせ折れてるんだろ?」 やれやれと言った様子で目尻を下げる長の表情は虚勢を張る琴線を心許無くするには十分過ぎるもので、つい目を逸らしたくなってしまう。 元来、私の心は脆いのだ。けれど、それをひた隠してやっとここまで生きて来たのに。それなのにそんな表情をされると張り詰めた決心に隙が出来てしまう。幾度となく消そうとしてきた、この方への抱いてはならない浅ましいそれ。 「でも、ごめんね。俺様には治してあげれる技も時間も無いからさ、これで勘弁してね」 柔く緩んだ口元を見て愕然とする。やはりこの人が私の心を脆くさせるのには瞬き一つの間で事足りてしまうのだ。 「あ、」 ――あにさま、 左脚を抱えて蹲り、ぼたぼたと溢れる涙を拭うことすら出来ない痛みのせいで私の着物の裾は一層濃いシミの斑点ばかりになっていた。足首はじんじんと腫れ上がり痛みは増すばかりだったが応急処置すら満足に行えない落ちこぼれの私には成す術が無く、ただメソメソと泣くことしか出来なかった。 「あーあ。全く、仕方がないねぇお前は」 けれど上から降ってきたその一言は私を安心させるには十分過ぎるもので、私は涙を拭う素振りも忘れその人の顔を見上げた。 「あっ、あにさまぁ〜……」 困ったように笑いながら、一回り大きな手で頭を撫でてくれるあにさまのお顔を見ると余計にぼたぼたと涙が溢れてくる。出来損ないである私を兄弟子たちは見下し酷く冷たかったが、唯一佐助あにさまだけは優しく接してくれたので、甘ったれな私が懐くのにそう時間は掛からなかった。 「痛い?」 「痛いよぉ〜……」 「本当に仕方がないねぇ、お前は。あんなに低い木からの着地に失敗した上に捻挫するなんてさ」 「うぅ… ひっく……」 「その手当ても満足に出来ずにこんな古い蔵の隅で隠れて泣いてるなんて。いつになったら一人前になれるのやら」 「ううっ…」 「ハァ…バカな子ほど可愛いってのは本当だねぇ…。お前なんかを気に掛けるのは俺様くらいだよ」 そう言って溜息交じりに、だけど手際よく手当てをしてくれるあにさまに返す言葉もなく、私は涙を拭いながら艶めいた橙色の長い睫毛をただ眺めることしか出来なかった。 「ほら見て。可愛いでしょ」 「わっ、蝶々!」 そろそろ処置が終わろうとする頃、あにさまの言葉のままに目線をやると私の足首には白い蝶が止まっていた。手当てに使用した布の結び目を蝶結びをしてくれたのだ。本来、傷の手当てに解け易い蝶結びが厳禁であることは私でさえ知っていることであったが、あにさまが敢えてこのような仕様にしてくれたのは他ならぬ私の為に違いなかった。故に私は何よりもまずその心遣いに感謝すべきだったのだが、あにさまのしっかりした手当てで既に痛みは半減していたし、可愛らしい蝶結びは幼い私の陰鬱な気分を忘れさせ、浮かれされるには十分過ぎる物だった。 「あにさま!これ!かわいいです!」 「これはね、俺様からのお呪い」 「…おまじない?」 「お前が立派な忍びになれるように。でもお呪いに頼ってちゃダメだよ。努力は怠らないこと。出来ないことは出来るようになるまで励むこと。約束出来る?」 「…はい!」 「いい子だね。それじゃあ、修行の時には羽の部分をこうして中に入れるんだよ。解けたり引っかかったり、師匠達に見つかったら大変だから」 「あにさまぁっ」 両腕を回したあにさまの身体は思ったよりも細く骨張っていたが、私の貧相な物とはやはり作りが違って、しなやかで大きいものだった。流石弟子の中で一際優秀と言われるあにさま。私が抱き着こうともよろけることなくしっかりと抱きとめてくれる。 「も〜いきなり抱き着かないでよ。危ないでしょ」 「えへへ、ごめんなさぁい」 そう言いながらも私の頭を撫でる手は優しい。夕日のように美しい髪。私より少し低めの体温。髪を撫でる優しい手。 「美雨はあにさまのことだいすきです」 私にはあにさまが何もかもの全てだった。 「これ覚えてる?」 左足に現れたはあの時と同じ白い蝶。瞬き一つする間に手当ての布で結ばれたそれは戦さ場のきな臭い風に吹かれて整えられた羽を可憐にはためかせた。 「…立派な忍びになれるお呪い」 「ふふ、ちゃんと覚えてたんだね」 「忘れるはずが、御座いません」 「正直あの時は子供騙しの気休めと思ってたんだけど。ここぞという時の気休めってのは案外効くのかもね。お前は本当に立派になったよ」 「……っ、」 「アハハ、なに感極まってんの。泣いたりしないでよ?」 「…は、い…」 この方に追い付きたくてあの日から必死に鍛錬に励んだのだ。残念ながら私ような落ちこぼれは夢物語のように画期的な飛躍とはならず、遅咲きとなってしまったけれど、こうして同じ真田の家に仕えるまでになった。勿論その頃にはいくら同郷の仲とは言え、最早この方は直属の主であるのだし、私個人への気遣いや、ましてあの頃のような馴れ合いなど到底出来ぬことは承知していた。それ故、まさかこんな言葉を頂ける日がやって来るとは思ってもみなかったので、極まるなと言うのが無理な話だ。この方からの労いの言葉が嬉しくない筈がない。 「全く仕方がないねぇ、お前は」 たった、涙を拭うまでの合間だった。ふいに影が動き距離を詰められたのだ、と認識した頃には既に顔を覗き込まれていて、長の双眼と視線が噛み合うようにして見つめられていた。あまりにも近くにある、酷く澄んだ美しい瞳。色素の薄いそれに吸い込まれてしまいそうだ。息を呑むと心の臓が激しく蠢いて、頬が熱くなるのが分かった。 「だからこれは俺様からのお呪い」 再び左足の蝶にそっと手が触れる。傷跡の残る乾いたそれは、確かに遠い昔幼い私を撫でてくれたその優しい手――。 「お前が上手に死ねるように」 そう言って長は笑った。 「左足痛いだろう。可哀想に。けれどお前も一端の忍びだ。初めから楽に死ねるだなんて思っちゃいないだろ?だからちゃんとお役目を果たしなね。あ、それと念の為、この作戦は旦那に言ったらダメだからね?旦那はこういう捨て身の企ては嫌いだし、怒らせたら面倒だからさ。でもお前は旦那の手柄の一部になるんだ。こんな名誉なことはないだろう?だからさ、」 触れていた手がゆっくりと離れて行く。 「お前は旦那の為に死にな」 喉の奥から冷たい物がヒュッと腹の中へ落ちた。底冷えするような冷ややかなそれはズブズブと私を呑み込んでせり上がってくる。その異物は迂闊に口を開ければ最後、吐瀉物となることが容易に想像出来たので、必死に口を固く結び、喉元まで迫る異物をどうにか呑み込んだ。鼻をつく酸の臭い。情けなかった。最期の最後に一匙分だけ、想いが報われるのだと思ってしまった愚かな己を恥じた。思い上がりも甚だしい。私などが、この方の眼中にある筈が無かったのに。 (そもそも、もうあの頃とは違うのだ。私もこの方も――) グラグラする意識の中でまるで記憶を浴びているかのようにこれまでの出来事が駆け抜けて行く。走馬灯というには些か早いような気もするが、矢継ぎ早に物凄い勢いで浮かんでは消えて行った。 そうしているうち、堰を切って流れる記憶の先で最後に現れたのはある少年の姿。酷く懐かしくて愛おしい。私の全て。 「美雨」 そして私の名前を呼ぶと彼は笑った。けれど、それも間も無く滲んで消えていってしまう。 「お前は旦那の為に死にな」 そう言って消える、しなやかな細身の体躯をした彼の、とても無邪気なその表情。 あい、でしょうか ------------- 企画「救済措置」さま提出 20180207 |