ふと、目を開けた。見慣れた自室の天井が朧気なまどろみの中で少しずつ鮮明に映し出される。 ふと、側に人の気配を感じた。やわらかで暖かな人の気配。その瞬間に体中の力が一気に抜けたような気がした。今までただ眠っていただけの身体が強張っているはずもないのだが、気が抜けた、というか、安心したのだ。きっと。 「政宗さま、」 この静寂の中だからこそ聞き取れたのだろう。一滴の雨水の滴る音さえも耳障りだと感じてしまいそうな空間の中で、美雨の小さな細い声は震えていた。きっと長い間よほど強い力で握り絞めていたのだろう、その白く透き通ったなめらかな指先は拳の置かれた着物をぎうぅという音がついてしまいそうなくらいきつくきつく握りしめていた。このままでは着物に握り拳の跡で皺がついてしまう。否、もうすでについてしまっているのかもしれない。 いつもはしっかりと後ろで纏められている髪が数本垂れ下がり俯いた顔を少しだけ隠してしまっていた。その髪の隙間から黒目がちな瞳が垣間見えた。揺れている。それは微かに潤み、若干赤く腫れているようにも見えた。 「ah…?」 ぽたり、と水滴が美雨の拳に落ちた。水滴が落ちた、と俺が認知するのと同時にその水滴はぽたりぽたりと次々に彼女の拳を濡らしていく。美雨がその手で水滴を拭うと、着地点を逸れた数量の水滴が膝の上の着物を濡らし幾つかの小さな染みを作った。 「良かっ、…」 美雨は泣いていた。涙を拭う華奢な白い手に覆われたその頬に涙が伝い、またぽたりと落ちた。瞳が揺れて、滲んでいる。 「……泣くな…」 布団に埋もれていた左腕を美雨の方へ伸ばす。本来ならばその濡れる頬に手を伸ばし、その涙を拭ってやりたい。その細いやわらかな肩を抱いて自らの胸に抱き寄せてやりたい。しかし残念ながら今はどうしても身体に力が入らない。奥州筆頭を謳われる人間が身体に力が入らないなどというと情けないが、事実そうなのだから仕方がない。 きっとこんな失態は今回が最初で最後だ。きっと。 「俺が、戦で死ぬわけねぇだろ…」 伸ばした左手を美雨は両手で包み握りしめた。それと同時に水滴が左手触れる。あたたかなそれは掌から腕の付け根にかけて伝ってく。肘のところまで伝うと外気に晒された涙は冷たくなっていた。ひんやりとした感触が腕に線を描くようにつぅとなぞった。 「…っ、」 「心配掛けて、悪かった」 「はいっ…」 俺の言葉に肯定の返事を返したものの、美雨の瞳からは相変わらず涙が流れていた。そこで改めて思う。彼女にこんな顔をさせているのは自分自身なのだと。素直に、申し訳ないと思った。それと同時にある充実感が脳内を支配する。彼女の涙腺を刺激するくらいには自分が彼女の中にいるということ。何とも言い表せない満ち足りた気持ち。 「美雨…」 彼女の白い頬に手を添えてゆっくりと撫でる。冷たい。そう感じるの同時に再び俺の手に自らの手を添える彼女。 「御存命、何よりでございました…!」 今、彼女は俺のために泣いているのだ。この涙も声も何もかも、俺のために。 縁起でもないのは百も承知だ。しかしこの世で最も悲しませたくはない彼女が顔を歪めてその頬を涙で濡らしているというのに、俺は思ってしまうのだ。この胸をいっぱいに満たしてくれるたった一言。 あぁ、生きていてよかった、と。 夜明けの海は 青いのだろうか 20100825 20141129 |