真田が15歳で元服済み設定 「だーかーらー。じゃあ一体誰が面倒見るってんだよ?」 「真田の忍隊はみな優秀である!これほどの童ひとりならどうにでもなるであろう!」 「冗談だろ?任務と鍛錬とお武家様方との付き合いをしながらガキの面倒見るのがどんだけ大変か分かってんの?」 「むぅ…では某が面倒を見る!」 「ガキがガキの面倒見れるわけないだろ。それにガキとはいえ、コイツは旦那の命を狙いにきた忍びだぜ?そんな奴を旦那の元に置けるわけないだろ」 「なっ…、某はすでに元服している!それにこの童はせいぜい十〜十二程度だろう、某はすでに十五だ!」 「悪いけど、元服した若様だろうが旦那にガキの躾なんか出来ないでしょ」 「ならばやはり忍隊の皆と力を合わせて面倒を見てくれ!この幼い命をここで散らすわけにはいかぬ!」 平行を辿るふたりの口論をよそに、蠢く黒色の異物に全身を拘束された私は文字通り手も足も出ない。同じ異能であるのにその力量が全く違う。ぬるいようなヒヤリとするような、気味の悪いそれは言葉にするならやはり闇なのだろう。 今回の任務で暗殺するはずだった真田幸村。まだ幼いがいずれ脅威となるであろう異能使いの若武者を芽の出ぬうちに始末しろというのが主からの命だった。が、しかし失敗した。その側にまさか自分と同じ異能使いの忍びがいるなんて聞かされていなかった。こうなってはもう城には戻れない。それどころか、誰も私を助けに来る気配がない。となれば死あるのみ。 最早これまでと諦めで心を覆ってしまうところだったのだが。何やら妙な言い争いをするふたりを見ていると一縷の望みがあるのかもしれないと足掻いてしまう。不安そうな表情を懸命に作る。健気でかわいそうな、もう少しで泣き出すのを必死で堪え、庇護したくなる幼気な子どものそれにして。 口減しに売られた先で異能の力を買われて子忍となった。おかげで食い扶持にはさほど困らなかったが、買われた先で何かがあった折には真っ先に取引の道具にされた。人から人へ、買われては売られていく。今の主からも使えなくなるまでが期限といった扱いはありありと感じられる。しかし異能持ちという部分では多少一目置かれるのもまた事実である。同僚と呼ぶことが相応しいのか不明だが、同じく城に雇われた忍びも何人かいた。しかし使い捨て同然と扱われる雇われの忍びたちの鬱憤は溜まる一方で、その吐口は大体私だった。「ガキのくせに」と口を揃え、歪な歯を見せつけるかのように唾を飛ばして罵詈雑言を浴びせられた。無駄に大きく臭くて汚れた手足での暴力も。それに加えてここ最近はまるで私の体を舐め回すような視線も感じる。気味が悪いし冷や汗も出る。まだ何かがあったわけではないが、事が起こるには最早時間の問題だろうとも思った。幼なくとも女であるからには気を抜くなと本能が警戒していた。 結局、今回の任務は目障りな子忍を始末するのには好都合だったのだろう。相手が元服したての若武者ならば囮は子どもの方が油断するだろうと見立てての計画だった。その通りに事が進んでいれば、私はとっくに逃げ仰せているはずなのに。恐らく同じ異能の忍びによって恐怖を感じながら死にゆく私をどこかで見ているのだ。身動きがとれなくなっているのを嘲笑っているのかも。そう思うと今となってはこの任務が城の主からの命だったのかも疑わしい。恐らく真田幸村の周りを洗えば必ず異能使いの忍びの情報は上がっていたはずだ。なのに、知らされなかったと言うことは、やはりそういうことなのだろう。 真田幸村の暗殺にしくじり逃走しようとする私を弄ぶように、じわじわと異能を使って確実に追い詰めるそのやり口は私には真似できない圧倒的な手練れの技を感じた。これほどの忍びであれば焦りで逃げ惑う子忍びなど縄の一本でも余計であろうに、わざわざその圧倒的な実力の差を見せつけるようにするとは。 (けれど真田幸村が情けをかけてくれれば、あるいは) 無情な闇の忍びとは裏腹にどうやらこの若武者は私を生かすどころか、真田で面倒を見ようとしているようだった。自分より幼い私が忍びとして暗殺をさせられていることや、今やそれに失敗して帰る場所がないことを慮り、あろうことか拾おうとしている。到底信じがたい話だが、万が一、逃げ果せることが出来きたとしてもその先で城の忍びたちに始末されるだけだ。そうとなれば、闇の忍びを納得させ真田幸村に拾われる以外に私に生きる術はない。 「アンタ忍隊をなんだと思ってんの?俺様たちに子守りさせる気?」 「某は幼い命をみすみす見捨てるわけにはいかんと言っているのだ!こんなに怯えて可哀想ではないか!」 「そんな甘ったれで武田の武将が務まるかよ。ガキだからって情けをかけるのもいい加減にしな」 「それこそお館様をお支えする武士が目の前の童ひとり救えぬとは情けなかろう!」 「…………。ハァ…。ホンット好き勝手言ってくれるねぇ……」 闇の忍びは大袈裟に肩で長い溜め息を吐くと、くるりと振り向いて私を見た。顔を覗き込まれた時、その視線はまるで触れれば感覚もなく血が滲むような、研ぎ澄まされた刃のようだと思った。その眼の奥はひどく澄んでいて底が見えない。 「………。まあ、全然使いこなせてないけど異能持ちみたいだし?うちにはくノ一がいないから使いようもあるにはある。でも役立たずならすぐ始末するから。肝に銘じておけよ」 言葉の意味を理解する前に四肢を拘束していた不穏な気配がはたと消えた。一瞬にして気味の悪い圧迫感から解放された反動で脱力しそうになる。辛うじて着地は出来たものの、身体の均衡が崩れて尻もちをついた。大きく息を吐くが身体中が重い。 「言っとくけど、俺様の躾は厳しいよ」 そう言う闇の忍びは不敵だった。次の瞬間、弛緩していた筋肉が一瞬で緊張する。身体が強張って呼吸が止まる。闇の忍びの足元にじわりと滲んだその影が周りを侵食するように大きく揺らいだ。――その影の中が見えた時の恐怖を私は忘れないだろう。 影の中には見知った忍び装束が見えた。身動きできずに固まっているとその影が動き、叫ぶような口元。そこには見覚えのある歪に並んだ歯が。地を這うような呻き声も幻聴ではないのだろう。身の毛のよだつような悪寒が身体を覆う。 先ほど私を捉えていた闇が生きる影。それに拘束されていた皮膚は鬱血で変色している。その間にもこの闇の忍びはどこぞの物陰でこちらを見て嘲笑っていたであろう城の忍びたちをその深淵の闇に収めていたのだ。これはもう城の機密を手に入れたもの同然。私を生かすことにしたのは哀れと思ったわけでも、城の情報を手に入れる為でも、真田幸村に絆されたわけでもない。やるべきことを貫徹した上で生まれた余白を持て余し、私と言う子忍びを引き取ることで暇つぶしをしようということなのだ。 「佐助ぇ!感謝する!」 そんなことは露ほども知らず忍びに勢いよく抱きつき、大きな声で感謝の言葉を発した真田幸村はその勢いを殺さぬまま、しゃがんだ私の前に膝を下ろした。今度は真田幸村に顔を覗き込まれる。整った造形をしたその顔はまさに由緒ある家柄の若様と言ったところである。しかしその瞳は闇の忍びとは異なるようで似ているような、不思議な色をしていた。 「今からお前はこの真田幸村の忍びだ!名は何と言う?」 「……。知らない」 「なんと!名がないのか!?」 「……主が変わる度に呼び名が変わっていたから」 「そうか!では某が名前をつけよう!どんな名が良いだろうか。なぁ佐助!」 「正直どうでもいいけど、あんまり適当なのはやめた方がいいよ。コイツはもう旦那の忍びなんだから」 「そうだな!某の忍びに恥じない名にしよう!」 これほど屈託ない笑顔を見たことがあっただろうか。拘束された時はもう終わりだと思ったが、悪足掻きのひとつと思い、子どもらしさを武器に泣き落としを試みた。闇の忍びには意味をなしていなかっただろうが、真田幸村が存外情に脆く、同情さえ買えれば命の危機は脱することが出来るのではとの打算で渾身の芝居をした。生き延びるためなら浅ましいことを厭わずに選択して実行する薄汚く醜い忍び。それなのに――。 真田幸村の忍びの美雨となったこの日、私は初めて自分の流す涙が存外あたたかなことを知ったのだった。 「美雨」 ――それは懐かしい記憶だった。その記憶と同じく、目の前には真田幸村。時が経って少し精悍に、また凛々しくなった青年は長年そばにいた私から見ても随分と人目を惹く姿をしている。その魅力的な虎若子が私に向かって何を言うのかと思えば。 「お前のことを愛おしく思う」 普段の真田幸村からは想像も出来ないあまりに切ない声が耳元に吐息を感じる距離から聞こえる。顔の両側に曲げた腕を寄せ、私をその中に閉じ込める。女中たちが見たら羨望と嫉妬で狂いそうになるような現場だ。その相手が私と知れれば、猿飛佐助は「この身の程知らずが」と怒り狂うのではないか。 「お前ほど離れ難いと思う女子はおらぬ。これからは俺のそばで共に生きてほしい」 「承知しております。私は幸村さまの忍びですもの」 「忍びとしてではない。お前は女子として俺にはなくてはならぬ存在なのだ。この柔肌に俺以外の男は指一本たりとも触れさせたくない。そうでなくともお前が任務で傷付くのを見るのは耐えられぬのだ…。まして戦さで失うことになるかと思うと…!」 真田幸村が私に好意を抱いていることは分かっていた。己の忍びとしての情けではなく、女として見ていることも。あれだけ初心な若様も珍しいと揶揄されるほど女子に免疫のないお人だから、私に気があるのは誰の目にも明らかだった。 ――はぁ、参ったねぇ…。分かってるとは思うけど、もしものことがあったら波風立てずに上手く躱せ。あの人はまだ女を知らないから近くにいるお前に恋着の真似事をしてるだけだよ。俺様の言うこと、ちゃんと聞けるよな? 先日、猿飛佐助がわざわざ釘を刺しに来たことを思い出す。まさか私が真田幸村を受け入れるとでも思ったのだろうか。そんなことをせずとも万が一のことなど起きはしないのに。そんなに私は信用がないのかと猿飛佐助に落胆した。お前の目に私はそんなふうに見えているのかと。 「これからは真田の家で俺の帰りを待っていてほしい。いずれは夫婦となれるよう親父様にも取り計らう」 「忍びごときにお戯れがすぎますよ、幸村さま」 「俺は本気だ!他所の素知らぬ姫などと婚姻など出来ぬ。俺はお前以外は望まぬ、美雨」 「……」 「このように御し難い昂りは初めてなのだ。戦さで感じるものとは異なる、お前にだけ抱くこの想いを受け入れてはくれぬか…」 女子に対して初心が着物を着て歩いているようだった真田幸村はどこへ行ったのだろう。たかが忍びに随分な言いようだなと辟易していたせいで抱き寄せられたことへの反応が遅れてしまった。汗と燻った炎、そして日差しに似た匂いがする。触れている皮膚からじんわりと自分のものより幾分も温かな熱を感じた。この人を慕う人間はきっとこの体温にも安心するのだろうか。私には分からない感覚だ。 「幸村さま…」 上目遣いを意識して真田幸村を見上げる。瞬きはゆっくりと、肩は少し震えさせて。恥じらいを浮かべた潤んだ瞳で視線を合わせ、僅かに聞こえるくらいの大きさで吐息を漏らす。恐らく健気で愛らしい妙齢の女とはこういうものだろう。 「幸村さま……お許しを……」 見惚れるという言葉が具現化したようなその表情が現れた一瞬の隙をついて、その腕の中から逃げた。 私が真田幸村に拾われてから六年あまり。以来ずっと忠義者を演じてきた。このお人は私以外の従者にも忍びにも驚愕するほど分け隔てがなく、人らしい扱いをする。それに慣れるのに随分時が掛かったが、戦さ場での常軌を逸した獰猛さと果敢な戦いぶりは、なるほど、このお人が皆に慕われるのにも納得だった。その傍らで猿飛佐助の手厳しい躾もあって私の忍びとしての腕も異能の力も上達した。拾ってくれた真田幸村、技を授けてくれた猿飛佐助には感謝をしている。けれど軍のあの妙な雰囲気には馴染めなかった。武田信玄と真田幸村の主従も大概だが、なにより真田幸村と猿飛佐助の歪な主従関係はそれを凌ぐ。この主従は異常だ。 「あの人という強い光があるから俺様たち影は色濃く生きていける。ゆめゆめ忘れるんじゃないよ」 紅蓮の鬼、虎若子と異名を持つ真田幸村とその影として忍隊を乱すことなく統率する猿飛佐助。主が従を、従が主を慕い義を全うする姿は美しいものがあると思う。しかしそれ以上に互いへの執着というか気のおけなさの強さというか。衆道のような粘着質な湿度の高いものとはまた違う、全幅の信頼とそれに応える健やかすぎる潔さが私には理解できない。それなのに周りの連中はそれを良しとして羨望や憧憬の情を抱く者までいる。あの場の気配はそれをずっと肯定していて、その他を穏やかに排除するような。名のある武家だと言うのに、主も従者もみんな仲良しこよしというのは気味が悪い。 けれど私は主の温情で拾われた身。となれば私という忍びは忠義者でなければならない。「年若い幸村様が情けで拾った忍びはその恩に報いる健気な忠義者」というその空気を壊さないように、穏やかで人当たりの良い忍びとして過ごしてきた。それなら従者のひとりとして、主たちを下座から見上げるだけでよかったから。それに戦さ場での鮮烈な戦いぶりには、確かに心惹かれたのもまた事実である。その人となりは理解出来なくとも、武将としての真田幸村には、こんな私の中にも忠義というものも確かにあった。 しかし恋慕という気持ちが己に向けられるとなると話は別である。主として慕うことができたお人から面と向かって恋慕をぶつけられるというのはなんと悍ましいことか。主として武将として信頼していたのに裏切られたように思う。実は忍びのことなど然程も気にかけないのであろうか。まして己が懸想しているのは主への忠義以外は猫を被り、何もかも取り繕った忍びである。私の腹のうちなど何ひとつ知らないだろうに、目に見えるものだけが全てだと信じ込んでいるのはなんと愚かか。 極め付けはあんなに作法が身なりがと散々躾云々と言っていた猿飛佐助も、結局今でも私を躾のなっていないガキ同然と思っていたということだ。あのようにわざわざ小言を言いにきたということは、自分の躾が行き届かなかったと言っているようなものじゃないか。猿飛佐助に私の猫被りがどこまで通用しているのかは分からないが、真田幸村への忠義だけは確かである。その主からの恋慕など、忍びの私が受けるはずがないのを一番よく分かっているは猿飛佐助だと思っていたのに。あろうことか、あんなに厳しい躾をしたお前が私を疑うなんて。 真田幸村と猿飛佐助に抱く忠義という感情は然程悪いものではなかった。こういう生き方も悪くないのではないかと思えてもいた。けれど、そのふたりからこのような仕打ちを受けたことは耐えられなかった。こんな悍ましいところにはもういられない。もともと根無草だったのだ。異能も使いこなせるようになったのだし、今の私なら真田に拘らなくとも生きてはいける。戦忍は終わりにして、今度は薬草でも売って諸国を巡るのもいいかもしれない。――今度は真田幸村に与えられた名を捨てて。 「ねえ、美雨」 最小の武器と薬を持ち躑躅ヶ崎の館をあとにした。あたかも任務に向かうような格好ならすぐに追っ手が来ることはないだろう。まずは京を目指そう。人の多い場所は何かと好都合だ。銭も情報も仕事も物も、何もかもが集まり蠢く場所ならば、選ばなければ生きるのには困らないだろう。 「そんなに急いでどこに行くってのさ?お前には何の任務も任せてないんだけど?」 それは静寂な夜の新月のように、目には見えなくとも確かにそこに在る不気味さに似ている。心の臓が皮膚を突き破ってくるのでないかと思うほど激しく鼓動を刻んでくる。 「まさか逃げようだなんて考えちゃあいないよね?」 気配は猿飛佐助のそれひとつだった。他の追っ手の気配は恐ろしいほど感じない。飛び道具から適切な距離を保っているはずなのにその低い声は地を這うように足元から響いてくる。鬱蒼とした森の中だ。辺りは昏い。迫ってくるのは闇だらけ。ここは猿飛佐助の独壇場。 「お前の猫被りも忍びのたぶらかしの技の一環と思って黙ってたけど、ここぞって時に下手うってどうすんのさ。俺様、上手くやれって言ったよね?」 左の頬からの滴る血を拭う暇もない。脚を狙わずにいるのは私を捕らえるのは容易いという意図だろう。ああ、何故こんなに早く気づかれたのか。草木を分け入って進む。足を止めたら終わりだ。 「あの人から逃げるってことは俺様に追われるってことだ。まさかお前がこんなバカなこと考えるとは思わなかったよ。お前は俺様には絶対勝てないのにさぁ。だって誰がお前に技を仕込んだと思ってんの?」 左脚が出ない、と思った途端、あっという間に身体が前に倒れる。受け身をとる前に牽制の暗器を投げる。その勢いで姿勢を整えるつもりだったが、拘束された左脚のせいで地面に右半身を打ちつけた。素早く身を起こすもそれ以上の構えは叶わず、尻もちをついた状態で上を見上げれば、そこに立っているのは紛れもなく。 「あの態勢で暗器を投げたことは褒めてあげる。けどこんなに的外れとはねぇ。常に仕留める気でやれって教えたよね?帰ったら扱き直しだよ」 片足重心で不安定な立ち姿のはずなのに、仁王立ちのような威圧感に肌が粟立つ。光のない底無しの巌窟のようなのにその視線に貫かれる。全身が強張って踏ん張るだけで力も気力も削がれていく。 「あの人はお前に惚れてんの。渾身の気持ちを伝えたのに逃げられたって知ったらどうなると思う?そんなことあってはいけないだろ?お前は俺様から逃げられないよ。少なくとも旦那が飽きるまではね」 猿飛佐助は心底面倒くさそうに緊張と恐怖で身動きが出来ないでいる私に一瞥をくれる。そして顎で躑躅ヶ崎の方を指す。 「さっさと立ちな。帰るよ」 その喚声は雁字搦め 20260311 |