激しい炎と雷の向こうに、奇しくも、あどけない少年の姿が見えたような気がした。



「猿飛っ…」

 東の空はまるで燃えたぎるように、じわじわと白々しい夜明けの色を滲ませていた。黎明が近い。地面では僅かに残る暗闇をくすぶる炎がちらちらと溶かしている。

「よぉ、美雨。ざーんねん。一足遅かったねぇ。終わったよ、もう」

 目の前で対峙した彼女はきっと無意識なのだろう、瞬時に左手を右腕に添えた。そこには濃紺の小手を覆う防具に縫いつけられた弦月の紋章、――伊達の忍びの証。

「うちの旦那が独眼竜の首をとった。右目の旦那は己の命と引き換えに家臣と民の命を武田に保証させた。この戦は武田の勝利で終わったんだよ」

 彼女の身体に付着した疎らな血痕がその色白な肌を一層際だたせている。彼女の酷く張り詰めた気配が風に乗った砂埃と共に伝わってきた。その表情は口布で覆われているために窺えない。もちろん、敵方に簡単に感情を読み取られてしまうようでは一国の主の忍びとして務まらないだろうが。
 ふと、これ見よがしにくないを彼女の前で大袈裟にちらつかせた。目の前の鋭利な刃が己を貫くかもしれないというのに、それを前にしても怯むこともなく全く動じてみせないのは、やはり伊達の忍び、独眼竜の影を名乗るに相応しい。

「これで忍びは用無しだ」
「……」
「アンタ、どうする?」
「真田忍隊隊長は敵方の忍びをみすみす逃すほど腑抜けなのか?」
「うーんいいねぇ。この圧倒的不利な状況下においても媚びないその姿勢。独眼竜が生きてたら泣いて喜ぶだ、」

 「ろうね」という三文字はシュッと左瞼に刃が翳められた。向かいには眼孔を怒りの炎で爛々とさせた彼女の姿。あぁ危ない。間一髪で躱せたが、今のは本気で俺の目を潰すつもりだった。勝ち戦の後で商売道具をつぶされちゃあたまったモンじゃない。

「ちょっとちょっと。もう戦は終わったんだ。その殺気ももう用済みデショ?」
「黙れ猿」
「うっわ、ひっどー」
「……。お前の手を借りずとも覚悟は出来ている」
「ははっ、実体を失った影は最早ただの亡霊。その足跡も己で始末するのが忍びの鉄則。けどまぁ、こういう結末になったにしろ、独眼竜には色々世話になったことだし?特別にアンタの始末もこの優秀な俺様が手伝ってもいいんだぜ?」
「茶化すな」

 濃紺の口布に遮られた口元から発せられた言葉は有無を言わせぬ重圧、そして伊達の忍びとしての挟持と覚悟が感じられた。今彼女を突き動かしているのは忍びとしての精神力ではなく、主君への忠誠心のみ。それだけが彼女を奮い立たせているように見える。

「こりゃ失礼。……実はね、俺様は別にアンタを始末しに来た訳じゃない」
「なに…?」
「うちの旦那からの言いつけでね、俺様はアンタの主からの言伝を預かって来た。今わの際のさ、謂わば独眼竜がアンタに残した遺言だよ」

 刹那、彼女が息を呑んだのが判った。

「自由に生きろだってさ」

 その時、彼女の瞼が僅かに歪んだのを俺は見逃さなかった。

「独眼竜からアンタへの遺言さ。美雨だけは自由にしてやってくれって。アンタには暗殺に隠密と、随分と汚い仕事ばかりさせてきた。この戦の落とし前はきっと右目の旦那が副将として諸々立派に全うするだろう。だからもう、アンタは自由にしてやりたい、と」

 旦那から伝えられた独眼竜の遺言を間髪を容れずに一気に捲くし立てた。その間、美雨は全く動かなかった。ただ浅く視線を伏せたまま、瞬きのひとつさえもしなかった。
 俺は、ただ彼女を見つめている。

「………嘘ばっかり…」

 彼女がそう呟いた瞬間、闇がじわじわと後さずりを始めた。夜明けだ。俯いた彼女の声は口布の奥から絞り出されたにも関わらず、夜明けの閑散とした静寂の中に妙に凛と響いた。日の光がゆっくりと俺と彼女を照らし出す。俺の影が彼女へとのびる。

「…政宗さまは、本当は、ものすごくさみしがりで甘えたで、でも自分の気持ちを上手く伝えられない不器用で、それを隠すために強がって……、本当は誰かが傍で支えてあげなきゃ倒れてしまいそうな人なのに……」

 そう言って彼女はゆっくりと口布を外した。

「私はあの方を過去に置き去りに出来ない」

 彼女の瞳がまるで水面に反射する光のようにキラキラと光る。それはきっと日の出のせいなのだ。きっと。

「あなた様が私に自由になれと仰せになるのなら……、私は…私の思うままに、自由になりましょう」

 そう言って彼女は笑った。



 幼少時、病により義姫さまから充分な愛情を受けることが叶わなかった政宗さまは酷く心を病まれた。それ故、母という絶対的な安全領域を持たなかった政宗さまは自身と命運を共にする絶対的な存在を求め、強く欲していた。政宗さまは、母親への愛情に飢え、絶対的な愛情と信頼を強く求めていらした。

「梵が死ぬときは、お前も一緒に死んでくれる?」

 まだ元服さえも儘ならぬ幼い政宗さまが、一体どれだけの思いでその言葉を発口にしたのか。その細く小さい両肩にどれだけの不安と悲しみを背負われていたのか。私には判るはずもない。

「美雨は政宗さまと共に参ります。どこまでも」

 その時に私は誓ったのだ。私はこの方のために生き、片時も離れず、例え行く末がこの世でなかろうとも。私はこの幼き君主と最期の時まで命運を共にすることを。

「お望みとあらば、美雨は地獄であろうとも最後までお供致します」

 私がそう言った時の、あの屈託のない無垢なあなた様の笑顔。私はずっと忘れはしない。




「伊達の忍びは随分といい得物を持ってんだね。ったく、高給だなんて羨ましいよ」

 日の光に反射して彼女の瞳を輝かせた短刀はその身を鮮血に染めても尚、光を受けてその白銀の刃は相変わらずキラキラと煌めいていた。その美しさはまるで彼女のよう。

「…いくら独眼竜が可愛いからって、そっちで甘やかしてわがままにしないでよね」

 眩しい日の光と火薬の匂いが風に乗って流れて来る。穏やかな朝。
 形はどうであれ、彼女は一国の主に仕える忍びからひとりの人間として、彼女は自ら選んだ道で自由になったのだろう。

「俺たちがそっちに行ったときに喧嘩ふっかけられちゃ、旦那を止めるのに苦労するからさ」

 そう呟いてまだ温もりの残る細い身体を抱き上げた。今となっては、もう敵も味方もない。乗りかかった船だ、彼女の躯は独眼竜のところまで連れて行こう。










20150519