「こいつァおったまげたァ。噂は本当だったんですねィ」

 台詞の割には微塵も驚きのない気配の沖田の顔は、薄雲から覗いた鈍い月の明かりを受けて能面のようだった。その白い面がぽっかりと闇に浮いている。その表情が面白くて堪らないと言わんばかりに歪められていたので、それが実に気に食わなかった。早く、この闇に姿をくらませたい。

「沖田…さん」
「イヤイヤ無理して呼びなさんなァ。それに見たとこアンタの方が俺よりも上みたいですからねェ。腕に限らず諸々」
「……」
「おっと、勘違いしちゃァ困りまさァ。別に年増って言いたい訳じゃないんですぜ?」
「近頃の若者はよく喋るんだな。気配を消さずに尾行してきたのは何も年増女を罵る為じゃないだろう?」
「あり?意外とノリいいんですねィ。自虐ネタたァ、御見逸れしやした」

 けたけたと一人で楽しそうに笑う沖田に呆れ、それも振り払うように得物についた人血を払った。今夜斬った人数は五人。こんな人数の仕事をしたのは久しぶりだ。後で丁寧に手入れをしなければ。
 そんなことを思っていると、刃の先を見つめる沖田の目が先程とは比べ物にならないくらいに鋭くなっていたので、あぁ、なるほどと思った。こいつも伊達に真撰組の切り込み隊長を名乗ってはいないのが良く分かる。

「二十歳手前の若者ってのは好奇心旺盛でしてねェ…。鬼の副長が隠密の忍びを飼ってるって、しかもそれがくのいちだって聞いたらいても立っても居られなくなりやして」
「それでその忍びの品定めか。切り込み隊長ってのも案外暇してんだね」
「おやァ、随分あっさり認めるんですねィ」
「隠したところでどうにもなるまいよ」

 そう言えばまるで口笛でも吹きそうな表情でおどけて見せる沖田。それだけ見ればただのかわいい顔をした青年に思えてしまうのに。しかしそれをさせない鋭い刃の怨念に取り憑かれてしまっては、もう平穏な人間に戻ることなど出来はしないのだ。私と同じように。

「それに品定めはただの口実で、本当は敬愛する上司が見ず知らずの忍びに寝首を掻かれる前に始末しようってんじゃないのかい?」
「そいつァ酷ェ思い込みだァ。土方のヤローがどうなろうが知ったこっちゃねェや。敬愛だなんて吐き気がすらァ」

 そうして両手を返し大袈裟に溜め息を吐いたかと思えば、その軽口を叩く沖田のかわいらしい表情は一瞬にして闇の中に消え失せる。

「それに俺はわざわざアンタの身を心配して来たんですぜ?」

 そして残るのは刃のような鋭い視線。

「生憎ヤローはテメーの信念の為なら惚れた女だって省みねェ。アンタだっていつ棄てられるか分かんねェ」
「………」
「隠密とは言えお飾りのお偉いさんを守っては消しての繰り返し。そんで使い倒された挙句棄てられたんじゃアンタも割に合わねェだろ。悪ィこたァ言わねェ。鬼の副長の隠密なんて早いとこ辞めちまいな」
「……」

 私の心配とは言うものの、沖田の口調は妙に禍々しい恨み節のような気配があって、二人の間には一筋縄ではいかない数多の悶着があることを伺わせた。しかしその正体が何なのか、二人の蟠りの歴史に比べ、まだ飼われて日の浅い私には分かるはずもないのだが。
 けれど、私にも今こうして飼われるに至った、あの人と交わした契りというものがある。

「オイ、俺は親切で言ってやってんだぜ。分ったら黙ってねェで何とか言ったら、」
「ふふっ…」

 故にそれを無下にすることなど、今の私には到底出来はしないのだ。

「そんなことは百も承知さ」



(一発くらい横っ面引っ叩いてやるんだった…)

 さほど遠くは無い場所から徐々に迫ってくる爆音と、こんな状況でも一刻一刻規則正しく時間を刻む電子音がこの世の最期の音だとは。所詮は隠密の生業だ、碌な死に方は出来ないだろう。それは百も承知であったが、例えば鋭い刃で事切れるとか、ヘマをした末の拷問だとか――自分の最期はなんとなくそんな所だろうと思っていたのに。だから腕を折られ大型爆弾に括り付けられる姿が自分の最期だとは、全く思ってもみなかった。

(私のことが、そんなに恐ろしかったか…)

 数刻まで仕えていた男は大きな庄屋の主だった。妙に用心深い強い男で、強すぎる薬は毒になることを知っていたのか、腕の立つ忍びがただ恐ろしくなったのか、はたまたただ邪魔になったのか――。どちらにせよ傍に置いておくことが煩わしくなったのだろう。結果、私を始末するように決めたようで、この度、真選組に密輸の件で検挙されたのをいいことに私諸共証拠隠滅を図ったのだった。

(――割に合わないな)

 忍びを生業にする上で決して許されない言葉が脳裏を過った。別に慕っていた訳ではなかったが、この腕を確とした値段で買ってくれた男だった。おかげで私は忍びとしての能力を持て余すことなく、存分に働く事が出来た。男もそれに満足していたはずだ。その言うなれば相性が良かったのだろう。なんならこの先、一生仕えるのではないかと思うこともあったくらいだ。
 なのに事実、私は棄てられた。所詮、現実はこんなものなのだ。いくら腕利きと言われようが、忍びを生業に選んでしまった時点で碌な死に方は出来ない事は決まっていたのだ。
 カチカチと無情に時を刻む電子音が一層煩わしく感じ、いっそ何かしらの刺激を与えて潔く死のうか。そう思った時だった。

「誰かいるか!」

 木製の扉の割れる耳障りな音と共に部屋に侵入してきたその男は騒乱によるものではない煙をその体躯に纏っていた。十中八九、真選組であろうその男は右手に鈍く光る刀を握り、豊かな紫煙を燻らせていた。乱暴に蹴散らした扉から溢れる逆光でその顔はよく見えない。

「お前…」

 しかしその視線が私に向いている事だけは分かった。良く手入れのされた、男の握る刀のような鋭い視線。

「ここの忍びか?」
「……」
「…奴に棄てられたか」
「はっ…。腕の利きすぎる忍びってのも困りもんだね」
「今わの際に手前味噌ってか。ハッ、言うじゃねェか」
「……自慢じゃないが、事に隠密は得意分野でね」
「へぇ…腕は立つのか?」
「ふっ、…。なんらなら披露してやりたいところだけど、この状況じゃあ、腕利きが聞いて呆れるね」

 忍びとはいえ、元来の姿は人間である。いよいよ己の最期となれば饒舌に自虐の台詞も吐けるらしい。普段の私なら考えられないような言葉が口を吐いてくる。今わの際とは何と恐ろしい。今の私は四肢の自由を奪われ、成す術も無く爆弾に括りつけられている哀れな忍びにしか見えず、憐れみの視線を送られても土台不思議な事ではない。
 しかし、想像に反してその男の視線は射抜くような鋭いものだった。それと同じ視線を私を知っている。これまでの主たちが私を雇う前に見せた品定めをするそれ。懐かしくもあり、売り物として値踏みされる嫌悪を思い出させる苦い記憶。

「お前、生きてェか?」

 ザリッと男の靴が砂埃を踏みしめる音がする。小さな粒同士が擦れて砕ける音。紫煙に翳む隙間から男の鋭い眼が見える。

「……は…?」
「答えろ。ここで死ぬか。それとも生きるか」
「………」
「なんなら腕利きだっていうお前の腕、俺が買ってやる」
「……何、…言っ、」
「そうだな。手始めにお前の元雇い主の首。アレをお前にくれてやる。お前の腕にどれだけの価値があるか俺に見せてみろよ」
「……」
「けどな、生きてェってんなら生半可なモンじゃ承知はしねェ。俺の為に働け。そして俺の許可無く勝手にくたばることは許さねェ」

 ――この男は何を言っているのだ。主に棄てられた忍びを憐れに思い、ただ情けをかけて見逃すという範囲であればまだ納得がいく。しかし男はこのほぼ出会い頭ともいえる状況で私の言葉を言われるままに信じ込み、その腕も確かめもせずに私の腕を買うと言う。それは、全く同情の範疇を遥かに超えている。
 戸惑いを隠しきれず、私が理解に苦しんでいるうちに男はその刀の先を私の顎先に向けた。カチリと鳴る刀の音。鈍く光る銀色の先に、必然、私は男の顔に目線をやる事になる。ギラリと光る刀と同じようにその先で私を見つめる眼は鋭く、そしてとても美しかった。

「今ここでくたばって楽になるか。それともまだ歯ァ食いしばってしぶとく生きるか」

 煙草の灰がちらちらとした赤を滲ませながら地面に落ちて行く。燃え尽きて消えていく炎の欠けら。カチカチと無情な電子音が脳の奥で鳴っている。

「手前が選べ」



「今の私にとって割に合わまいが棄てられようが、そんな事はどうでもいいのさ。本来、私はとうに死んでいた。だが、生きている限りはあの人の為に働く。それだけの事だよ」

 憎い奴の首もすきに出来たしね、とは言わないでおいた。喉の寸での所まで出掛かったが、相手が沖田とはいえ、後々の面倒を考えれば言わない方が利口だろう。彼奴の最期がどれほど凄惨な事になったのかは私とあの人だけの秘密だ。

「分かんねェなァ。どうしてアンタはそこまで尽くすんですかィ」
「私が生きることはあの人の為に働くことと同じなのさ。自分で選んだからね」

 沖田の顔には言わずとも意味が分からないとはっきり書いてあるのが見てとれて、その柳眉は悩ましげに歪んでいる。その顔はきっと、あの人に無闇に腕を買うと言われた当時の私と似ているのだろうなと思うと、なんとなくおかしかった。

「飼われてるうちにおかしな躾までされちまったみてェですねィ。こりゃァ棄てられて腐っていくのが目に見えてらァ」
「ふふっ。その時は指を指して笑えばいいさ」
「ハァ〜。しかも俺の揺すりにビビりもしねェなんてつまんねェや」
「それを暇つぶしにして遊んでるんだから相子だろう?」
「あり?バレてやした?」
「そうやって人で遊ぶのも大概にな」
「そりゃァ親切心ですかい?」
「なぁに、ただの老婆心さ」

 そう言いきるのと同時に沖田の背後へ回る。まだ新鮮な血の香りのする切っ先をその鮮血の流れる喉元へと掛ければ、すっかり油断していたのであろう沖田は瞬時の出来事に刀を抜けるはずも無く、その背中からは今までにない緊張を滲ませていた。

「だから勘違いするな。私が守りたいのはお飾りのお偉いさんじゃない。あの人の信念だけだよ」
「……。こいつァおったまげた。土方のヤローはこんなおっかない忍びを飼ってたんですねィ」
「だろう?だから、お遊びは大概にな。坊や」

 今の沖田がどんな表情をしているのかと思うと直接覗いてみたい気もしたが、流石にそこまでやるのは可哀想な気がして止めた。沖田にすれば幸いだろうか、生憎私には必要以上の加虐心は持ち合わせていない。兎に角仕事も無事完了した上、範疇外ではあったがあの沖田に一杯食わせた気分で粗方清々したので最早ここに長居は無用だろう。
 とは言え、沖田の人を弄ぶ性質を分かっていながらも主を悪く言われて得物を使って脅してしまうとは、まだまだ私にも子ども染みているところがあるのかもしれない。そこは反省しなければ。
 しかし、忍びの私にそうさせる程の強い憧憬を植え付けるあの人もよっぽど恐ろしいのではないかと思う。恐ろしい恐ろしい、真選組・鬼の副長――。成程、恐ろしい忍びを飼い慣らすには、それに畏怖するただの人では務まらないのかもしれない。恐ろしい忍びを飼うには、恐ろしい鬼でなくては――。
 そんな事を思う自分に自嘲しながら今度こそ私は闇に姿をくらませた。









20150816