「思い出すねぇ、昔を」

 猿飛の言葉は具にきな臭い空に紛れて消えた。

「いいわよね、アンタは。幸村様と一緒なんだから」
「長の権限ってヤツだね」
「本っっっ当腹立つ。殺したい」

 この度の戦で真田の家は再び東軍・西軍にと袂を別つことになってしまった。それに倣い、真田に仕える忍隊も兵力は平等にとのお達しである。しかし西軍と東軍の兵力を見る限り、何が平等だ!兵力の平等を語るならせめて真田の忍びだけでも西軍に加担すべきだ!と吠える私を撥ね付け、長である猿飛が幸村様側に付く事を頑として譲らなかったので、次席の私は必然的に東軍となった信之様に付き従う事となった。
 その名の通り真田忍隊は真田の家に仕える忍びである。そうとなればそれに従う忍びの行く末はその主の匙加減一つで自ずと決まってしまう。

「私は幸村様の為に死ぬと、ただその一心で今日まで生きてきたのに…!」
「うんうん。したらいい」
「アンタほんとムカつくわね!あたしがそんなことしたら信之様の立場がないでしょ!」
「うんうん。だよねぇ〜」

 両腕を頭に回して笑いながら茶化す猿飛に一撃お見舞いしてやりたい衝動をぐっと堪える。
 私たちの主、真田幸村。その方がこの大坂の地に死に場所を求めていることはもう随分前から分かっていた。幼き頃から今日まで猿飛と共に付き従ってきたのだ。その最期に私だけ付き従うことが出来ないなんて、そんな事があってたまるものか。

「…なんならいっそのこと、今アンタが殺してくれるといいんだけど?」
「お断りだね。後に化けて出て、あの時すげー痛かったって恨み言言われても困る」
「何よ、一発で仕留める自信が無いっての?」
「冗談。ただ大戦の前に骨が折れることなんかしたくないんでね。お前がそう易々とくたばるタマかよ」
「ちょっと。もう少しまともな褒め方出来ないわけ?」

 そう軽口を叩いてみるも、最早猿飛の腹の内が透けて見えたので内心は堪らなく不快だった。

「でも、お前だってもう腹は決まってるんだろ?」

 薄く笑う猿飛の目が言葉にせずとも「上手くやれよ」と語っている。この男は私がそうする事を見越した上で信之様側に付くようにしたのだ。信之様の立場が悪くならないよう、形だけはと。
 猿飛の言う通り、私は幸村様を援護する事を心に決めていた。最早ここまで来れば私にとってこの戦は天上人風情とその付近の奴らの馬鹿馬鹿しい茶番としか思えないのだ。私の唯一の念願は、ただ幸村様が本懐を遂げる手助けをする事のみ。勿論、遺された信之様の立場が危うくならないよう、適当な所で大坂方の兵に化け、死んでも変化が解けないよう強力な呪いを使う手はずも整えてある。

「あーあ。関ヶ原の戦を思い出すねぇ…」
「感傷に耽っちゃって。らしくないわね」
「うーん…。だよねぇ…」

 歯切れの悪い猿飛には妙な不安を覚える。悔しいけれどそれを認めざるを得ないくらい猿飛は優秀だった。忍びとしては文句のつけようのない一流の技を持ち、真田忍隊をまとめ上げる奴のことを尊敬はしていた。
 だが、幸村様に一目置かれていたのが妬ましかったし、忍術もどう足掻こうにもあと一歩及ばずで私は常に次席を強いられてきた。それ故、猿飛のことが好きか嫌いかで言えば嫌いだった。けれど忍隊の中で次席である私が務めて然るべき事とは言え、シビアな忍びの世界で自分より弱い奴が相棒だった猿飛としては気苦労も多くあったことだろうし、事実その通りだったのではないかと思う。とは言っても、相棒と思っているのは私だけなのだろが。
 そんな訳でその猿飛が珍しく、しかもよりによって戦前に言葉を濁したのは私にとっての不安材料でしか無いのは明確だった。

「あのさ、思い出しついでに言っちゃうと、俺、関ヶ原の戦の時に逃げちまおうかなって考えたことあるんだ」
「はっ…?」
「これからまた山程殺すんだと思ったらさ、なんか全てが虚しくも思えて来ちゃって……。顔も名前も俺の全てを捨てて、適当に旅商人なんかになってさ。全く別の人生を送るのもいいかなあ、って。…まぁ、ご覧の通り失敗したけどね」
「……」
「旦那がさ、俺のことずっと待ってるんだ。あの関ヶ原の戦さでさ、俺が示し合わせた場所に来ないからってずっと頑なに動かないで俺が来るのを待ってんの。死んだ可能性だってあるのに佐助は来るの一点張り。それ見てたらなんかもう俺らこの人から離れられないなって思っちゃって。笑えるでしょ」

 ――これは、なんとしたらいいのだろうか。笑えばいいのか、怒ればいいのか、はたまた呆れればいいのか。自らの最期となるかもしれないこの場所であまりに想像を絶する懺悔をし、剰え自虐として笑う猿飛にどうしたらいいか分からず絶句する。あれだけ我々を重んじ、また忠義を尽くしてきた主を、よもやこの優秀な忍びが棄てようと思ったことがあったとは。

「アハ…、何か、言ってよ…」
「なんで今言うのよ……」

 こうしてここまで来たのだ。どうせならあの世まで持って行けばよかったものを。私ならそうする。私にだって、棄てたくとも墓場まで持って行かねばならないものがごまんとあるのだ。

「……アンタが、そんなにクズだなんて知らなかったわ」
「あははー……。俺様もそう思う。でもお前だって奥方の懐妊の時に鬼灯の灰汁作ってたじゃないか」
「……はっ?」

 少しだけ呆れたように、小さな溜息と共に紡がれた言葉とは思えないほど私はその言葉に動揺した。鬼灯の灰汁と言われれば、思い当たる節がひとつあった。――それもあろう事か、絶対の忠義を尽くす主へ随分と後めたいものが。
 ひたり、と背に一筋汗が流れるのを感じた。血の気が引く。どうして、それを猿飛が知っているのか。

「アンタまさか……」
「随分バレないように色々やったみたいだけどね。旦那が奥方を娶った時はみっともないほど荒れてたからもしやとは思ってたんだ。万一、奥方の餉に入れた様子があればすぐ殺すつもりだったけど…」

 向こう遠くを見つめて話す猿飛の口調は穏やかで、その口元は少し笑っているように見える。それはこの時代を風靡した猿飛佐助特有の諦めや嘲笑とは程遠く、何故だか酷くやわらかなものに見えた。

「怨恨込めて鬼灯を潰すお前を見た時、それを止めることも出来た。もちろん息の根ごとね。でもお前は旦那が悲しむようなことをする奴じゃないと思ってたからさ。いやぁ〜、あれは俺の中でも結構大きな賭けだったよ。もし失敗なら俺はあの時お前を殺さなかった自分を恨んでも恨みきれなかっただだろうからね」
「……」
「でもさ、後々思ったんだ。あの時のお前は別に稚児を堕としたかったんじゃない。でもあんなに慕っていた旦那だからね。堕胎薬を作る事で救われてたんだろ。それが出来なきゃもうどうにかなっちまうくらいに…」
「…っ……」
「まぁ、俺様は女じゃないからその辺の機微はよく分かんないけどね」

 先程の手前、したり顔で話されるかと思いきや、随分穏やかな口調で吐露した猿飛は私に一瞥もくれなった。ただ、その距離のまま濁った空を見上げていた。

「なんで、今、そういう事言うのよ……」
「なんでだろ…。あの世に行く前に懺悔して潔白な身でお供したかったのかも…。なんか旦那にだけは後ろめたいままじゃ申し訳無くなっちゃって…。お前はその道連れ」
「……」
「アハハ、ぐぅの音も出ないって感じだね」
「…殺す」
「でも、まぁ、これでお互い後ろめたさも無くなっていよいよスッキリしただろ?」
「……チッ」
「しっかし、まさかその大助様にお前が骨抜きになるなんてねぇ。お前が甲斐甲斐しく稽古するもんだからこうして立派に初陣を飾ったわけだし」
「……だって、あんなにも幸村様に似てるんだもの。愛おしくて仕方がないわ。……出来ることならずっと守って差し上げたい」
「そうだね。俺様も」
「でも私が仕えるのは幸村様だって、ずっと、前から決めてるから」
「うん。俺様も」

 そう相槌を打つ猿飛の顔はとても優しかった。こいつの唯一の弱点は昔から幸村様が絡むと見境が無くなるところだ。ただ、悲しいことにそれは猿飛に限ったことでは無いのだけれど。

「あんなに愚直で未熟だった旦那がこんなに立派になったんだ。こうなったら最後の最期までお供するしかないさね」
「当然」
「まあ色々あったけどさ、己の探した死に場所までこうして甲斐甲斐しく付いて来たんだ。俺たちのほんの出来心なんてチャラどころか釣りが来るぜ」
「どうせその釣りも三途の川の渡り銭よ」
「ははっ、違いないねぇ」

 そしてやれやれと大袈裟に身振りをした直後、その顔から一瞬で道化がぼろりと剥がれ落ちたのが見えて、己の肌が快感で粟立つのが分かった。

「もし人生ってのが目に見えるとしたら、俺たちの道は間違いなく血みどろに塗りたくられて穢れているよ」

 猿飛のことは嫌いだが、私はこの猿飛の顔だけはとてもすきだった。この忍びの鑑とも言える、恐ろしく整えた忍びの顔が。私はずっとこの顔に憧れていた。残念ながら、結局それを手に入れられないまま私の一生は終わってしまうのだけれど。
 ひゅうと風が吹く。派手な色の髪が揺れている。この色を見るのもこれで最後だろう。そう思うと不本意ながら少しさみしくもあった。

「あのさぁ」
「今度は何よ?」

 ふいに、こちらを向いた猿飛と目が合った。その顔はこれまで見たことがない表情をしていた。これまでわりと長い付き合いだったが、振り向いた猿飛のこんな顔は見たことがなかったし、そしてこれからも拝めることはないだろうと思った。

「多分これで最期だから言うけど、俺さ、…きっとしあわせだったんだよ。こんな人生だったけど、忍びを人扱いするような人が主でさ…。まあまあ辛いこともあったけど、不思議なほど悔いはないんだ」

 その所為か、もしや此奴は人と同じように涙を流しているのではないかと、在り得ない事を感じてまうくらいには人らしく見えた。それは最早忍びでは無く、あたかも人のような笑みだったので何故だか目頭が熱くなるのを精一杯の虚勢で振り払った。

「馬鹿ね。泣き言ならあの世で聞くわ。どうせ私たちの行き先は決まってる。血塗られた同じ地獄よ」
「はぁ〜こんな時までおっかないねぇ。お前は」
「遊びは終わりよ。猿飛隊長」

 そろそろ両陣営共に戦を仕掛ける準備が整ったのだろう。風に乗る臭いが強くなる。私たちの身体にも染み付いた煙と鉄と血の臭い。それで勇み立つのは最早どうにも出来ない忍びの性だろう。

「常盤」
「チッ、しつこいわね、今度は何よ?」

 だからこの時、私の心意気にズルズルとしつこく水を差した猿飛に舌打ちをかました事を、どうか、許して欲しい。

「俺、お前が相棒だったことも悪くなかったと思ってるよ」

 そしてあまりの事に瞬きさえ出来ないでいる私を尻目に、言葉のまま息つく暇も無く、私のすきな忍びの顔を崩さずに。けれど笑って最後にこう続けた。

「これ俺様の遺言ね」

 刹那、疾風が過ぎたかと思うと私の隣には何も無かった。残像も気配も匂いすら言葉通りに跡形も無く。きっと猿飛佐助がこの世から消える時も同じなのだろう。悔しくてたまらないが、その気配もその骨の断片も影さえ残さず。まるで風が通り過ぎるように、月が西へ沈んでいくように。こうして美しく消えて行く。



屍ヶ原で影を追うので、
行き先は皆地獄でしょう