――旦那がいる。

 吹き出しに表示された猿飛からのメッセージを見て、思わずデスクの下でスマホを握り潰しそうになった。なんてタチの悪い冗談なのか。しかも今私仕事中なんだけど。今日がエイプリルフールだったとしてもこの手の話をするなんて私の逆鱗を逆なでするだけだ。

――は?ほんとそういうのやめて殺す
――いいから俺のアパート来て

 シンプルに、しかし怒りのこもった返信をしたにも関わらず、猿飛からの返信はその態度を崩さないものだった。いやいや、マジでいい加減にしてよ。掻き乱されるこっちの身にもなれよ、と思う反面、この時代の猿飛がこの手の話で悪い冗談を私に言うのだろうか、と考えると急に信憑性が出てきてしまっていけない。そう思い始めると俄然落ち着きが無くなってきてしまい、我に返った時には午後から半休を取り猿飛のアパート方面へ向かう地下鉄に乗っていた。

 猿飛佐助に再会したのは数年前に会社の同僚に半ば強引に連れて行かれた合コンだった。この頃私は当時付き合っていた彼氏と別れたばかりだったので正直恋愛はしばらく要りません状態だったにも関わらず、同僚達はその私を励ますために、という大義名分を建前にどこぞの馬の骨とも知れないイケメンとの交流の場を見事に整えてみせたわけだ。会場のビストロに到着し、先に到着していた男性陣の向かい側に腰掛けようとした時、妙に見覚えのある風貌の男が目に入ってしまい、ギョッとしたのを覚えている。

「「アッ……!?」」

 ガッチリと視線が交わってお互いの声が綺麗にハモったものだから、マズイと思った時には既に後の祭りで私は同僚達に、猿飛は連れの男性陣に、それぞれ知り合いなのか、どういう関係なのかと質問攻めに遭ってしまい、剰え「ただの腐れ縁」との回答まで見事にハモってしまったものだから、周りが「ふーん………じゃあふたりはふたりで仲良くやりなよ」雰囲気を前面に押し出され、私たちはお互いの連れ達から圏外通告をされ爪弾きにされてしまったのだった。

 実は私には謂わゆる「前世の記憶」というものがある。前の時代の私は今で言う忍者をやっていて、主である武将の真田幸村様にお仕えしていた。そしてこの猿飛佐助も同様に幸村様に仕える忍びだった。つまり私たちは長いこと同僚関係にあり、合コンの場で放った「腐れ縁」という肩書きは前世をカウントすれば正真正銘の真実なのである。
 そんな訳で再会に一悶着あった猿飛とはいつの間にか連絡先を交換していて、年に2、3回くらいは一緒に酒を飲むような、けれどそれ以上の関係性も生まれない、正しく「腐れ縁」のような関係が続いていた。お互いにあの頃の記憶がバッチリあること、この時代ではお互い以外に「そういう奴」を見たことがないこと、もしかしたらこの先「そういう奴」に出会える可能性もあるかもしれないこと――なんかを肴にして。
 この時代の猿飛佐助の職業は美容師。髪は地毛にしては相変わらずオレンジに近い派手な茶色。趣味は料理で倹約家。家賃そこそこの割にキッチン設備が良い1LDKに住んでいて、その棚にはスーパーではお目にかかれないようなスパイスがズラリと並んでいる。年は私よりひとつ上の27歳。未婚。恋人は今はいないらしい。身体に大きな傷跡は全くない。少なくとも私が目視出来る範囲には。

「それで?」
「だから、向かいの棟に旦那が住んでるんだよ。多分一人暮らしで」

 アパートに着くなり、前世の記憶を含めても滅多にお目にかかれないような、冷静を保とうとするも隠し切れない焦燥と興奮が見え隠れする猿飛が言うにはこうだ。休日だった今朝、ベランダに洗濯物を干していると向かいの棟から人が歩いてくるのが隅に見えたそうだ。猿飛の住んでいるアパートは1K仕様のA棟と、それにダイニング仕様を加えた敷地の広いB棟がある。とは言え今時同じ賃貸アパートの住人同士が挨拶するような風習は廃れつつあるし、ましてそれが他の棟の住人ともなれば殊更だ。そんな訳でいつも通り気に留めず洗濯物を干していたそうだが、その日はいきなりシーツ越しに恐らく自分へ向けてであろう挨拶が聞こえたそうだ。しかもやたらと大きな声の妙に馴染みのある声で。驚いてシーツを払った猿飛は目を見張ったのだと。

「先日からこちらのアパートに越してきた真田幸村と申しまする!以後お見知り置きを!」

 その青年は前世で己が仕えていた主と同じ姿をしていだのだというのだ。

「………………」
「あのさぁ、言いたいことがあるなら言ってくんない?黙っていられるのが一番困るんだけど」
「俄に信じられるかよ」
「そりゃあ俺だってそうだったよ。もしかしたらただの見間違いかもと思ったし。でもこの1週間旦那がうちの前を通るであろう時間にベランダで待機して検証したんだ。不自然にならないようにルッコラまで買って、その世話をしながらちゃんと確認したさ。あれは旦那だ。じゃなきゃお前に連絡したりしない」
「……。ルッコラまで買ったんだ」
「そこ!?」
「じゃあそれが幸村様だとして、私たちと同じ記憶がある可能は低いと」
「挨拶と世間話くらいしかしてないから断定は出来ない。けれど、見る限り旦那の性格は十中八九あの通りだから記憶のないふりは難しいんじゃないかと思うわけよ。まぁ、俺としてはそっちの方が旦那の為かとも思うしね」

 私たちがお仕えしていた武将・真田幸村は戦さとなればその気迫凄まじく、紅蓮の鬼と畏怖されていた人物である。散々血塗られた道を歩んできた人。もしも人の人生というものが目に見えるとしたら、あの人の道は間違いなく数多の屍の先に続いていただろうと思わせる人。あの時代は、そうあることが誇らしく、美しいとされる時代だった。けれど、今私たちが生きている時代には最早その色の欠片さえ見当たらない。あの時代は紛れも無い真実なのだけれども、今となっては紙の上の物語のようなものだ。

「でも俺と出会ったことで今後徐々に記憶が蘇るということも十分にあり得る。それはお前も然り。俺はもう顔を合わせてるからどうしようもないけど、お前はどうする?」
「……」
「旦那に会いたい?お前が会いたいなら俺は別に止めないよ。俺だけ旦那に会うってのも不公平だと思うし……。それはお前が決めてよ」

 切なそうに笑う猿飛を見て心底ズルい奴だと思う。判断の全てを私に委ねるなんて。昔は私の心根など気をもかけないような奴だったのに。
 幸村様に会いたいかだなんて聞かれたら、そんなの、会いたいに決まっている。文字通り、己の命を掛けて守りたかった、何よりも誰よりも敬い慕ってきた私の主。けれど、もし私との対面で凄惨な過去を思い出させてしまったら。この時代に武将でもなく血塗られた道と交わることなく、普通の男の子として生まれ、生きてきたのであろうその人。ならばわざわざ過去の出来事を思い出させる必要があるとは思えない。

「……私はいいや。幸村様がおだやかな生活が出来ているなら、それでいい」
「……そっか」

 私から少し視線を少し下ろし、息を吐き出すように猿飛は言った。それは私に対する申し訳なさと少しの安堵が滲んでいて、訳もなく申し訳ないような気分になった。とは言え、もし猿飛が私の立場であれば、きっと今の私と同じ決断をしたのだと思う。自分の願望よりもあの人が穏やかな時を過ごせるならそれでいいと言う奴なのだ。その気持ちは私にも手に取るように分かる。

「わざわざ悪かったわね。…でも猿飛が私に気を遣うなんてねぇ…。昔はもっと、ずっと幸村様しか眼中に無かったのに」
「それはお互い様でしょ。だから、俺だけあの人に会うのはフェアじゃないと思ったんだよ」
「ハイハイありがと。気を遣って頂いて。でも猿飛と真面目な話とか肩凝ってダメね。変な感じよ」
「お前はホント緊張感が無くなったねぇ……」
「余計なお世話よ。じゃあ、用事は済んだし私行くから。気ぃ抜けたらお腹減ったし」
「あ、じゃあメシぐらい食ってけば?折角だから、なんかサッと作るし」

 その場の空気を濁すように、少しおどけた口調で話す私を見て猿飛がゆるく笑う。相変わらず空気を読むのが上手なのだ。そして昔と比べ、随分と私に甘くなったこの男のことが私も嫌いではなかった。

「なに作ってくれるの?」
「パスタがあるからそれ系。ルッコラもあるし」
「じゃあ食べる」
「ついでに見る?俺が旦那会いたさに買ったルッコラ。結構活きが良いんだよね」
「なんだか、昔薬草やら毒草やら調合してたのを思い出すわ」
「あー分かる。それがさ、買ったら買ったで食材にもなるしちょっとハマりそうなんだよね」
「へえ、私もなんか育てようかな。緑があると彩りもいいし」
「ルッコラ便利だぜ。サラダにしたりパスタに入れたりすれば――」

 ベランダに置かれた青々としたルッコラが猿飛の手によって収穫されるのをその後ろでぼんやり見ていた時だった。どうして、この可能性を思いつかなかったのだろう。生まれ変わったせいか、私たちは完全に平和ボケしていた。

「これは、猿飛殿!」
「「えっ」」

 やたらと聞き覚えのあるハッキリとした声が響いた。聞き間違えるはずがないその声の主はやはりその人で間違いなかった。

「ガーデニングでございますか!毎朝水をやっておりますものな!」
「あ、……えっと」
「おや、そちらの女性は…………」

 精悍さの中に僅かに残る少年のようなあどけない顔を少し桃色に染めて私を見つめる双眼はあの頃と全く変わっていなかった。恐ろしいほど澄んでいるその大きな瞳の奥に狼狽る自分の姿が見えたような気がした。

「もしや猿飛殿の、こ、こここ恋人でございますか?!」



邂逅



(今日は部活お休みだそうです)


20191203


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