ツーピースの祝福、ワンホールの未来
「誕生日はさ、何のケーキがいい?」
ゆらり、湯気のたつブラックコーヒーをことりと置いて、夕食の献立を相談するみたいに口を開く。秋の隙間から冬の顔を見せた風が急激な寒さをもたらす外と隔たれた、ゆるやかな時が流れるあたたかさで満たされた店内で頁を捲るユキをぼんやりと見つめていた。
「ユキが作るの?」
「うん。せっかくだから作りたいなって思うんだけどどれがいいか困っちゃって」
先程まで見ていた本はどうも製菓本だったらしく、色とりどりのお菓子とクリーム色をした表紙を少し掲げて見せつける。頭に数個候補が浮かんで、ユキが作ってくれるとしたなら。そう深く考えたのに、一つも選べないでおかしかった。どうしようどれでも嬉しいな。
「ユキが作るんならどれでも、って言ったら怒るよね」
言いながら、まぁるい目がきゅうと少し訝しげに細められるんだろうな。とわかっていた。ほら、唇をつんと尖らせて、手持ち無沙汰に頁を無駄に捲ってみたりする。
「困るって言ってるのに…」
「ごめん!ごめん!マジでどれがいいかな。ユキが作るケーキどれも美味しいから選べないんだよ」
「じゃあ…フルーツタルトにする?好きって言ってたよね」
「めっ、ちゃ…いいなそれ」
ユキの作る宝石を詰め込んだみたいなフルーツタルト。想像して、それだけで幸福感で満たされた。…あ、でも。フルーツタルトの写真を目指すユキの指を掴んで、止めた。「なぁに?」と目を丸くして見せたユキに少し躊躇って、ちいさく口を開く。
「あの、ケーキなんだけど。やっぱりショートケーキがいい」
「いちごのやつ?いいよ。ライが食べたいやつにしたいもん」
驚いたふうに強ばっていたはずの掴んだ指先が、甘えるみたいに擦り寄って、ふいに指が絡まったのにユキは機嫌よく笑った。一昨年の、緊張で喉を震わせた姿に比べれば、随分素を見せてくれるようになったものだな、と分けられた体温を有り難がった。
こんな余りある特別が、日常として愛しい女の子から与えられている。それだけでオレは十分幸せ者なんだよ。ね。君はきっと気づいていないんだろうけど。ショートケーキの理由を、ユキは覚えているのかな。
*
「改めて誕生日おめでとう。ライ」
「ありがとう、ユキ。うわ、どうしようほんっとに嬉しい」
「それはよかった。頑張った甲斐があるよ」
ほら、早く食べてよ。と少し大きめに切り取られたショートケーキがカウンターに並ぶ。向かい側から紅茶を添えて、フォークを差し出す手を引いた。
「隣座ってよ。一緒に食べよ」
少しの我儘を言った時の、しょうがないなぁとでも言いたげな下がった目尻がすごく好きで。この歳にもなって今日という日に高揚してしまっている。フォークを差し込んだスポンジは何の突っかかりもなくすっと通った。
「なんかさ、昔コンビニのケーキ二人で食べたの思い出した」
「ああ!あのショートケーキ?急にライが食べようって持ってきたやつ」
放課後のコンビニで偶然見つけた50円引きのショートケーキ。よく見る2ピース入りのケーキは、生地は少し固くて生クリームも少しぬるくて。だけど、夕日の差し込む空き教室でロウソクを消すフリして祝った誕生日は未だ色褪せない。
「あの日、みんな忙しくてって言ったけどさ、ほんとはユキにお祝いして欲しかっただけなんだよね」
家に帰ったらケーキは用意されていたし、鞄いっぱいに紙パックのジュースもお菓子ももらっていた。ただなんとなく。ユキの顔が見たくて、それを誕生日プレゼントにしようと、10代の誕生日の青さはそれだった。懐かしさがじんわりと染みて、深く頷いた。
「あの安いショートケーキ、忘れらんないなぁ」
「じゃあ私のはいらない?」
「…ちょっと拗ねてる?」
「別に。あの頃だって今だって、言ってくれればいくらでもケーキくらい作るのになぁって」
わかりやすく目を伏せて、それから自分が子供っぽいことを言っていると自覚したのか照れたように笑った。…素が見たいと。その特別を享受することが幸福だって、わかっていたけれど、いざそれを真正面に受ける立場になってしまったらその甘さに喉を焼いた。ユキはもうずっと、オレの期待を本当にしてくれている。
薄い紙皿に乗ったケーキを丁寧に、綺麗にフォークで切り取って口に運ぶユキが、今は去年一緒に買いに行ったアンティーク調の平たいお皿に乗った大きないちごを弄んでいる。これから先、こうしてずっと隣でケーキを食べてくれないかな。とあの頃のオレはそんなことできやしないとわかりながら、あの数時間を永遠にしたかった。そう、ユキも思っていてくれたらって。
「いつもの曜日だったけど、ライみんなにお祝いしてもらうんだろうなって思ってたからあの教室で待っててって連絡きて浮かれてたんですよ」
その答え合わせみたいに、オレの願いをユキは優しい声で現実に塗り替えていく。
「わたしもね、あのショートケーキ忘れられないよ。だから今回ショートケーキで嬉しかったの。ライも覚えてたんだなぁって」
フォークをそっと置く音がする。ユキの手がオレの頬に伸びて、それから目尻をなぞった。その指先は少し濡れていて、そこでようやく自身が涙ぐんでいたことを知った。
「フルーツタルトとかはさ、いつだって作ってあげるから。私たちのお祝いはショートケーキにしようよ。毎年」
ね、だから泣かないで。そう、小さく笑いながら囁いた。この涙の訳を、ユキは知らない。知らなくていい。ようやく掴んだ幸福に、自分勝手に浸っているだけだから。ユキが隠しもせずに拗ねた顔を見せることも、オレがユキに涙を見せることも、全てがこれまでのオレたちの答えだった。文句なしの花丸でしょ。だって体温も表情も声も、ぜんぶオレにくれるんだろ。
これから先、もうずっと。君の隣に居れることが一番のプレゼントなんじゃないだろうか。誂えた理由も嘘もいらないし、見栄もいらない。ただそこにオレとユキがいて、それだけで同じ時を歩めるのだから。
ユキの誕生日はどうしようか。オレ、お菓子作りとかはできないけど、オレのできる全てを君に渡したいよ。もしかしたら、これから先の未来で。ショートケーキ、作れるようになるかもだしさ。