恋人になれる人たちって言うのは、初めっから決まってるんだと思う。出会った頃から『何か』が違くて、友達になんかなれやしない。その『何か』が、いったいなんなのか。私はそれを、ずっと探し求めている。
*
「男女の友情って有り派?無し派?」
「ん〜どうだろうね」
ぱきっ、とポッキーの折れる音と共に首を傾げる。よくある高校生のありきたりな話題。深く考えたって答えは出ない。面倒くさくなって適当に流そうとする私を横目に、隣で別の友人が腹を抱えてくつくつと笑った。
「あんたは有り派でしょ!だってさ、あんたには緋八がいるじゃん?」
そう、言い切られると同時に教室の扉ががらりと開く。朝には眩しい金髪の髪を揺らした渦中の彼は私を捉えるなり、早足で駆け寄って来た。…このタイミングで来られたらちょっと困るな。
「おはよぉ。また昨日充電器忘れてったやろ」
「あ、そっか。ごめん」
「何?アンタ達昨日お泊まりでもしたの?なんかやらし〜」
「そういうんやないって。どうせ皆もわかってて言っとるやん!」
揶揄いの含まれる笑いに少しドキリとして、軽く流して見せた緋八に熱が冷めていく。私の後ろの席にスクールバックを置いた緋八は私の机に広げられたお菓子を我が物顔でつまみ始めた。
「……皆の前でああいうことあんまり言わないでよ」
「なんで?」
「なんでって…勘違いされるじゃん」
「いいんやない?勘違いされても」
パキッと折れるポッキーの音。今度は緋八の口から放たれた。…今度は、ドキリとなんかしなかった。『勘違い』なんて都合のいい言葉が緋八にとってなんの意味もなさないこと、知ってるから。私と勘違いされても構わないなんて意味じゃない。それほど取るに足らないとか、気が微塵もないとか、そういう意味の方。どう足掻いても私は緋八の一番仲のいい女友達で、未だに『マナ』の壁を越えられないのもそういう理由。
「にしてもほんと仲良いよね、あんたたち」
「クラス一緒になったの今年からなんでしょ?それにしては距離近くない?」
「さあ?波長が合う…的な?」
「なにそれ。運命みたい」
これ以上、勘違いするようなことを言わないで欲しい。なんて思ってもこの友人たちに悪気なんてなくて、意地が悪いのは私の方。おどけて見せて、何でもないぞと自分に言い聞かせる。私を舞い上がらせるだけ舞い上がらせた友人は予鈴のベルと共に自席へと帰っていった。ほっと息をつく暇もなく、背中につうとなぞる感覚が襲う。指の主はもちろん緋八。ぶつかった指の感覚に心臓が突き刺されたみたいな感覚がして、後ろを向くのが怖かった。それでも、私は緋八の友人だから、なんでもない顔をして後ろを向かなきゃいけない。そろりと振り向いた私に緋八はそっと二人にしか聞こえないくらいの声で囁いた。
「運命やったらどうする?」
耳に触れたあたたかい息。うんめい、なんてあなたが言うsの。その問はただの雑談とも思えるし、真剣な問のようにも思えた。何にせよ、私にとって酷い男に変わりはないけど。馬鹿みたいに脈打つ心臓が、耳のすぐそこにいるみたい。違う、違うって。
「…馬鹿言わないで」
ぴんと綺麗なおでこを突いた。不意打ちの痛みに声を上げた緋八は先生に注意を受けて、教室に笑いが満ちた。そう、これくらいでいいの。これくらいが私と緋八にはあってる。そんなこと言って甘えてたのかな。日常って、多分すぐに壊れる。
「depend」
「あー、頼る」
「お〜やるやん。improveは?」
「え、なんだっけ」
「改善やね。そんなんで小テストなんとかなるん?」
「ちょっとびみょいなぁ」
びみょいかぁところころ笑う緋八の横顔を見つめる。半人分くらい空いた腕の距離は相変わらず。正しい距離感。でも、その日は私側の線を踏み越えてくる人がいた。肩にとんと優しく大きな手のひらが置かれる。振り向いた先には、真っ赤な顔をして視線の合わないどこかで見たことあるような同級生。震えた唇がゆっくりと開いた。
「あのさ!今ちょっといい?」
「い、いいけど」
「よかった。俺、二組の佐々木で赤城の友達。急でごめんね。今日、放課後校舎裏に来てもらってもいい?」
「えっと…うん、大丈夫」
そう捲し立てた同級生に深く考える間も無く頭を縦に振る。嵐のように去っていく後ろ姿にゆるゆると手を振って、首を傾げたところで肩口から緋八が彼の背中を見つめていることに気がついた。
「告白?」
「まさかそんなベタな」
「随分おモテになりますなぁ」
「それ緋八が言う?」
緋八の方が気づいてないだけでよっぽどモテるくせにと胸の中で腐れてみたが、いやぁ俺はと笑う緋八に呆れる。人がどれだけ頑張って、緋八の友達以上恋人未満ポジを保っているのか。私の単語帳をペラペラと捲る緋八はそんなの何処吹く風。単語帳から視線を外さないまま口を開く。
「行くん?」
「んーまあ、そりゃあ」
いいと言った手前行かないわけにはいかない。咄嗟にとは言え実際、放課後に用事があるわけでもなかったし。それにしてもなんでそんなこと聞くのかと私が緋八の方を振り向くより前に、カーディガンの裾を緋八の指先がそっと掴んだ。
「じゃあ、もし行かんでって言ったら行かん?」
珍しく落ち着かない様子の目で、でもハニーレモンの瞳が真っ直ぐ私を見つめる。そんな真剣な顔されたら今度こそ、今度こそ本当に勘違いしてしまう。
「行、くよ。申し訳ないし」
「…そうよな。なんでもない。はよ行こ」
それっきり、黙ってしまった緋八の背中をぼぅっと見つめていた。短いはずの廊下が嫌に長く感じられる。黙っていたって気にならない関係のはずなのに、今だけは沈黙が辛い。かと言ってかける言葉も見つからなくて口を開いては閉じて、閉じては開いて。溜息が、空間に落ちた。
再び訪れた沈黙にきゅっとスリッパの擦れる音。え、と顔を上げる前に緋八の背中に鼻をぶつけてしまった。そのまま、ほんとその距離のまま緋八が振り向くから、緋八の顔はもう目と鼻の先。離れようとも緋八の目が離さないぞと言っているようで動けやしなかった。
「あんさぁ、いつになったらマナって呼んでくれんの?」
「…え、?緋八の方が言いやすいじゃん?どっちだっていいでしょ」
近くの窓枠を後ろ手で掴む。これ以上下がれはしない。普通じゃない距離なのに、緋八は一歩たりとも離れようとしない。緋八は私の答えが気に入らないみたいに不貞腐れた風に笑うけど、目が違う。笑ってない。いつもの、緋八じゃない。
「ん〜あいつらが名前で呼ばれてんのに俺だけ名字って寂しいやん」
「ええ…別に、関係ないって。緋八の方が言いやすいって言ってんじゃん」
あ、言い方ミスったかも。そう思った時にはもう遅い。ゆっくりと顔を上げた緋八はそっか、と傷ついたように笑って、また歩き出した。私は、気づかれないくらい遠くなった背中に小さく首を振ることしか、できなかった。
「好きです、付き合ってください」
案の定、って言うのは少し嫌な女みたい。緋八の予想通り?なんて表現しようにもこれから私がすることが彼にとって酷いことには変わりない。まるで、緋八が私にするみたいに。それをされる痛みを知っているのに、他人にはいとも簡単に出来てしまうのだから恐ろしいものだ。
「ありがとう。…ごめんなさい」
「……そっか。理由とか聞いてもいい?」
理由。そんなの、一つしかない。けど、これを言っていいものか。適当に流すべきなのか。絶対に、適当に流すべきだ。言う必要もなければ、バレだってしない。だって今まで誰にも言ったことない、そんなこと言えない。顔を上げて、パチリと合った件の彼の瞳に息が止まった。この目を、見たことがある。私も、いつだって見ていた。恋する人の目、私と同じ目。気づいたときには勝手に、唇が動き出していた。
「好きな人が、いるの」
口に出したのは多分これが初めて。場違いだってわかってるのに首から耳の裏まで全部があつい。彼の瞳に真っ赤に染まった私が映って、ふにゃりとその瞳は溶けた。彼はあ〜と小さく声を上げて首の後ろを摩る。そして、次に顔を上げたときにはふっと優しく笑った。
「それ、実は赤城でした〜とかある?」
「えっない!ない!絶対ない!」
大きく両手も首も、全身も横に振るくらい慌ててしまった。まさか勘違いされたらウェンくんだって溜まったもんじゃない。あんまりに私が否定するから彼は今度は吹き出すように笑った。少しだけ、太陽みたいな笑顔が緋八と似ていてドキリとした。
「安心した。君が選ぶならいい人なんだろ。多分」
「…うん、いい人。少し、辛いけど」
私を真っ直ぐと貫く瞳が、少し痛い。この人は私を買い被りすぎている。緋八はいい人だけど、私はそんなにいい人じゃない。今だって彼は告白という日常を壊す行為を行って見せたのに、私は変わらないポジションに甘えたまま。辛いのなんか、自分のせいだ。
「ありがとう」と最後まで優しい人だった彼は小さく手を振って、校舎の方へと戻っていった。後を追う気にはなれなくて、ゆっくりと窓側の壁にずるずると雪崩れ込んだ。ふぅと溜息を着く間もくれず、空を見上げた顔にぴょこんと双葉のアホ毛の跳ねる影がかかった。
「モテモテだね〜」
「ライ?ちょっといつからそこにいたの?趣味悪」
「言い過ぎじゃない!?偶然通りかかっただけ!」
廊下からこちらを覗き込んだライが喚くのを横目に重い腰を持ち上げる。目線の高いライに近寄れば、紙パックのジュースを窓枠に置いて、ライはにやりと笑った。
「いいの?あいつ二組ではイケメンで有名だよ」
「やっぱ見てたんじゃん。彼、優しいからモテるだろうに」
「そんな人でも靡きませんと」
「ねぇ言い方」
爪先で小石を転がしながらライの話をなぁなぁに聞いていれば、妙に鋭い言葉ばかり使ってくるから思わず顔を上げる。ライは、頬杖をついて大きな目と口とを三日月型に歪めて見せた。
「じゃあさ、オレだったらどう?告白したらOKする?」
ライの長い睫毛がマゼンタ色の瞳に影を刺す。こてんと曲げた首。柔らかく吹く風さえもライの味方をするみたいに静かな空気が二人の間を一瞬流れた。でも。
「しないよ。ライのことは友達として好き」
「うん。オレも!」
躊躇いも、戸惑いもなかった。ライは友達。そうお互いに断言できると確信しているから。くふくふと笑うライはジュースを一口飲んで、次の教科でも尋ねるみたいに問いかけた。
「じゃあ、マナなら?」
だけど、その目は笑っちゃいない。あの時の緋八と同じだった。
「マナならどうする?」
「緋、八は友達じゃん…?」
あー、どうしよう。声が震えた。ライは多分、私の気持ちに気づいてる。だから私にこんな質問したのに。わかってるのに。
二人きりでも誤魔化してしまうどう足掻いても意気地無しな私のことを失望していないかと心配になって、目が見れなかった。頭上ですぅと息を吸う音が聞こえて、掌に爪が刺さるのを感じる前に。近くでかたんと音がした。
「緋、八…?」
「あー、わざとやないよ。ただ全然帰ってこんなぁ思って、そんで……ごめん。全部聞いとった」
緋八の居た堪れない、にじりにじりと小さな砂利を踏む足が、私たちとは逆の方に駆け出した。全部って、全部ってどこから?そんなのどうだっていい。どこからだって、追いかけなきゃ。すぐにでも誤解を解いて…誤解って、なんだ?
何もおかしなこと言ってない。緋八は友達で、ライも友達。そこに違いはないはずで、あっちゃいけないはずで。それは緋八だって同じだ。だけど、もしも。もしもがあるとするなら。期待していいんだろうか、このシチュエーションに。
この関係を変えたいなら、何か変えなきゃ何も変わらない。わかってる、わかってるけど。手繰り寄せるべき赤い糸も見えないのに何を頼りに好いた人の背中を追えばいいの。初めっから運命ならとっくに私たちはこんなところでグズグズしていない。飛び越える勇気は、運命という言葉がなければ湧いてこない。
「ここまできてわかんない?」
緋八の去った方をぼぅと見つめる私にライは睨みつけるみたいにその目を鋭くさせる。揺れた肩をライが見逃すはずがなく、開いた口は止まってくれない。
「わかんなくないでしょ。誰がマナを傷つかせて、誰が今のマナを癒せるの?それが、自分じゃなくていいわけ?」
一言一言が、ライの言葉全部が背中に刺さる。
「ね、我儘になんなよ」
その言葉を皮切りに、緋八の向かった方へと駆け出した。追いかける理由も、見つけてかける言葉も全部決まってる。最初から、全部決まってたんだ。足踏みしていたのは二人だけで、始まらないのも二人のせい。全部が勝手に上手くいくなんてそんなわけがなかった。
全ての恋が少女漫画みたいなもんじゃないって今更気づいた。運命じゃないかもだけど掴み取りたいって思ったら、離したくないって思ったら、我儘になってもいいんじゃないの。
何かを変えるなら、今だ。
「あのさぁ、マナ!」