花壇の妖精
  1

「ねえ、部活入ってるんだ」
「それがどうかした?」
 授業と授業の合間の昼休みに、後ろの席の国見から聞かれた。他人に興味のなさそうな国見がこうして尋ねてくるのは珍しいように感じた。
 私が所属しているのは園芸部である。青葉城西高校の校内緑化に努めていて、小規模ながらも、入学式や文化祭などにおかれている鉢植えは園芸部が、行事に合わせて管理しているものだ。
「この間体育館の扉から見えた」
「あー、なるほど……って練習中なのによく見えたね」
「ゲーム中でコートの外いた。なんで部活入ったの」
「入部理由か……」
 正直なところ、同じ一年生の園芸部員は一人しかいない。素朴で可愛い子で話しがしやすくてありがたいけど、同じ部活という以外に共通点がなかった。
 入部届を出したのはつい一週間前のことだ。それまでの短い仮入部期間の間は顔をだしたり、ださなかったりだ。
 顔を出さなかった期間は友達に誘われて他の部活を回ったり、いっそのこと帰宅部でもいいと思った。それでも入部したのは、何となく居心地が良かったのだ。
「理由ってそんなに必要かな? 逆に国見はバレーを続けてる理由あるの?」
「そうだな」
 つんと澄まし顔の国見は気にしてないようにも見えるし、気にしているようにも見えた。国見と同じクラスになり話すようになってから分かったのは、決して口数が多い方ではないものの、周りをよく見ているということだった。口数が少ないし、気力は少ないで、とっつきにくいと思っているクラスメイトもいるみたいだが、クラスから浮いているような奴でもない。
 もしクラスの集合写真を撮ったならば、端っこで何気なくピースをしているタイプだ。目立つのは嫌いだけど、自分の自己防衛のようにも見えた、
「そうだなって、もっとちゃんと理由があるかと思った」
「お前こそもっと理由があると思った」
「……週二回の部活と水やりの当番しかない部活に理由もいらないよ。ちょっと部活してみたかっただけって言っても十分伝わる。でも、国見は違うんじゃないの」
 国見は、部員が多くて強豪と呼ばれる青城男子バレー部で一年生ながらレギュラー入りしていると、同じ部の金田一が話していた。言っていた金田一も同じだけど、つまり国見は普段は見せないような機敏な動きができるのかと思うと不思議である。
 それに、煩わしいことに打ち込むようには見えない国見がバレーを中学からしていて、高校に入っても続けているのだから、大層な理由があると思ってしまったのだ。
「うちの男バレって結構強いし、国見も上手いんでしょ?」
「練習すれば上手くなる」
「……レギュラーの人以外が聞いたら刺されそうな答えだね」
「あと、周りが練習してたら普通するでしょ」
 当たり前のように答えているが、その普通が続かない人間が何人いると思っているのか。練習をきっちりとこなしている人にしか言えないことだった。
「でもそれだけ練習に打ち込めるっていうことはバレーが好きなんだ」
「うん、まあ」
「何その曖昧な返事」
 国見がどんな練習姿なのか知りもしないし、打ち込む理由も知らない。そのうち知ることもあるのかなって思うくらいだ。
「あ、さっきの授業寝てたからノート貸して」
「え、寝てたの?」
 ぎょっとしたのは、一つ前の授業は、授業態度に口うるさい教師だったからだ。普段すぐに居眠りをするような人でも、その授業だけは起きているというのに、神経の図太い。
 机の中から取り出したルーズリーフを渡したところで、次の授業を示すチャイムは教室に鳴り響いた。
 
 放課後はたまにある部活の日で、正面玄関にシャベルと軍手を持って集合だった。先輩からミニバケツも必要と昼休みにメッセージがきていたので、同期を誘って園芸部の倉庫から取り出してきた。
「今日は草むしりです。花壇に生えた小さい雑草をとってきれいにしていきます」
 部長の説明が終わると一斉に散り散りになる。次に集合するのは一時間後だ。一年生は初めてなので、それぞれに先輩がつくことになり同期とは別れることになった。
「先輩、なんでうちの学校花壇が多いんですか」
「三年生と顧問の趣味」
「うわー」
「でも、正門から玄関までとあと体育館側くらいだから平気、平気」
 先輩についていくと、目的地はどうやら体育館側らしかった。
「……ここに置いているのって日当たりもありますけど、先輩の趣味ですか」
「気づいたなら早い。ここは上手くサボれる」
「先輩も大概ですね」
 花壇と鉢植えの並んだ前にしゃがみこみ、黙々と雑草を抜く。ものすごく地味な作業だ。先輩が時折話しかけてくれるので退屈はしないが、十人にも満たない部員の園芸部で、ずらりと並ぶ横長の鉢植えと花壇の管理は大変である。
 適当に放っておいてもそれなりに花は咲くし、行事の前に必要なら植え替えも行うそうだが、自由に栽培も行っていいらしく、三年生は結構凝ってやっていると先輩は教えてくれた。
 そうこうしているうちに一時間経つので戻ることになった。
 集合して次の部活の日程の連絡がされ、ほどなく解散となった。私は部室棟に荷物を置いているので、自販機でジュースを買いながら取りに行く。
 いつもなら三年生も部室棟に向かうが、今日は教室に荷物を置いたままだったので入部した時にもらった部室の鍵で解錠して入る。少し埃っぽい部室には、園芸書を置いたスペースがある。過去の先輩達が引退する度に置き土産にしていくので、棚にはぎっしりと詰まっていた。
 棚から一冊、初心者向けの園芸書を抜き出して鞄にしまう。たまたま目に入っただけだが、たまには勉強してみるのもいいかもしれない。
 足早に部室棟から正門に向かう途中、明かりが煌々としている方角に目がいった。日の沈みかけた校内ではひときわ目立っていたのは体育館だ。
 扉が開いていたので、ひょこりと覗き込んでみればバレー部が練習していた。国見を見つけたので、ひらひらと手を振ってみた。
 隣にいた金田一は気づいてくれたのに、国見はふいと顔を逸らしてしまう。
「ひっどいなあ」
「なんか用?」
「うわっ……明かりついてたから、ちょっと寄ってみただけ」
 きびすを返して家に帰ろうと思ったところで後ろから声をかけられた。汗を拭っている国見が私をじっと見つめる。情けない声をあげてしまった私も私だが、ちゃんと見えているなら国見も手を振り返してくれればいいのに。
「……先輩に見られると面倒だからあんまり勢いよく手振るなよ」
「わかった。邪魔してごめんね。また明日」
 面倒ごとを嫌う国見らしい態度で、そこまで気にすることでもないだろうと思い、家に帰ることにした。
 私が見えなくなるまで突っ立ったままの国見がいたなんて知らないまま。

  2

 梅雨になって、じとじと湿っぽい日が続いていた。園芸部の水やり当番も雨によって不定期にずれこんでいた。駅からの短い徒歩通学に傘は手放せない相棒だ。
 今日も朝から降っている雨のせいで、足下の悪さと道のあちこちに出来ている水たまりをよけながら学校までの道を歩いていた。
「おはよ」
「おはよー」
 ひょっこりと横から覗かせた長身は国見だ。相変わらず眠そうな目をしている。一体どれだけ寝れば気が済むのだろうか。
 私よりも幾分か背の高い国見は、水たまりを長い足を伸ばしてよけている。
「私も長い足が欲しかった」
「無理でしょ」
「国見は身長高いからそういうこと言えるんだよ。さっきの水たまりだって、私なら助走つけて飛ばないとだもん」
「それ言い過ぎじゃない」
 呆れた声で言う国見は全然理解してくれなかった。見せつけるように伸ばす足を恨めしそうに見ていたのがバレたみたいで、一歩半先に歩いていた国見が振り返って、手を差し出す。
「なに、その手」
「飛ぶんでしょ」
「うわ、ちょっと……!」
 傘を持っていないほうの手を捕まれて、ぴょんと助走をつけると、驚くほど簡単に浮いた体はほんの一瞬の浮遊感に襲われる。その細長い体のどこに女子高生を引っ張り上げる力を秘めているのか。
「ていうか、手そのままなんだけどっ」
「だめ?」
 水たまりを越えたというのに繋いだままの手に抗議をすれば、しれっとした態度の国見は少しだけ可愛く聞いてきた。どう考えてもズルすぎる。
「ダメって言うか、前に見られたら面倒って言ってたの国見だよ」
「今はいないから大丈夫」
「時々強引だよね」
 負けじ抵抗するように見上げると少し悩み込む国見。
「じゃあ、いつもの俺と強引な俺どっちがいい?」
「……頭大丈夫? 練習中にバレーボールでも頭に当たった?」
 唐突に言い出した国見はいつものローテンションより軽やかに言ってきたので、私は思わず頭の心配をする。
「冗談。あと、少しだけ」
 握りしめ直された手はぎゅっと力が込められていて、不用意にふりほどけないと理解した。国見とは何でもないただのクラスメイトのはずなのに、どうして手を繋いで登校しなければいないのか分からないのは私だけだった。

 今朝のことを昼休みに国見のもとに来ていた金田一に話すと、すごく面倒くさそうな顔をした。できれば、金田一のようなピュアな男子に話すには微妙だとは思ったが、国見のことをよく知っているのは彼しかいないので、仕方なく相談したのだ。
「もしかして私の勘違い……? そうだったら恥ずかしい。でも、全然説明してくれないのは何かあるわけ?」
「それは俺に聞くなよ。気になるんなら国見に聞けばいいだろ」
 投げやりな金田一に文句を言っても仕方ない。理由を知っていそうな気がしたのに微妙に濁して答えるということは、国見に口止めされているからか。
 はっきり言って、国見のことは嫌いではないし今朝だって正門に近づいたら自然と手は離された。名残惜しく感じたのは私だけかもしれないし、国見は至って普通で教室に入るまでの軽口をたたき合えたのだ。
「……うん、国見が戻ってきたら聞いてみる」
「おう、がんばれよ」
 国見が戻るなり自分の教室へと戻っていった金田一。
「おかえり」
「金田一と何話してたの」
「ドラマの話だよ。昨日やってたやつ。続きが気になるねって」
「ふうん」
 品定めするように私をまじまじと見つめる国見は面白くないとでも言っている顔だった。スマートフォンの画面を見つめているが、画面をスクロールさせる指が投げやりだ。
 驚かせようと思って、メッセージアプリを開いて国見とのトーク画面にメッセージを打ち込む。
 数秒でピロンと軽快な音を立てた国見のスマートフォン。さらに一分もせずに国見が私のほうをみた。
「今更気づくなんて遅すぎ」
「だって……! 国見のアプローチわかりにくいし、今日の今日まで全然気づかなかったんだからしょうがないでしょ」
「俺は入学式から知ってたのに」
 国見の発言にフリーズした。
「正門の前で、転びそうになって横に置いてあった鉢植えに突っ込みそうになってた時から知ってたのに、お前普通に話しかけてくるからたぶん覚えてないと思った」
 確かに入学式の日、友達と歩いて正門まできたところで、思ったよりも人でごった返すなかで転びそうになったのだ。
 あの時は友達がげらげら笑っていたおかげでちょっと恥ずかしいくらいに思っていたけど、助けてくれた人がいたっけ。
「……あの時のことは忘れててよ。恥ずかしい」
 しゅうと萎む声しか出ず、国見の顔をまともに見ることができなかった。
 こんな風になるなんて誰が予測できたのだろうか。しばらく顔をあげられなかったのは言うまでもなかった。