砂糖菓子の砕き方
  1

 口に放り込んだサイダー味の飴。炭酸みたいに口の中でしゅわしゅわとしていた。進級して間もないクラスは案外変わり映えせずにいて、せっかく花の女子高生となって二年になるのに残念な気がした。
 中学の頃は高校生になったら自由になれて、少しだけ甘酸っぱい恋とかできるのだと思っていた。現実は思っていただけのものとはかけ離れていて、少女漫画の読み過ぎだと気がついた。
 教室の窓からは校庭がよく見えて、桜が満開に咲いているのは見事な光景だった。
「何食ってん?」
「飴。矢巾君も食べる?」
「もらう」
 今年も一緒になった矢巾君は去年も比較的よく話していたクラスメイトだ。
 飴の入っている袋を差し出すと、三種類の味をよく確認してから、紫色した袋を一つ掴んだ。
「窓際の席っていいよな。俺もこっちが良かった」
「くじ引きの運悪すぎだよね。一番前ってけっこう当てるほうが難しいよ」
「今から交換しよう」
「しない」
「だよなー」
 悔しそうな表情をする矢巾君は、バレー部の所属だ。時々練習風景や大会を見に行くことがある。矢巾君のポジションはセッターというらしいのだが、ポジションの名前までは詳しくないので、前に質問をしたことがあった。
 その時の矢巾君の一番わかりやすい説明は、及川さんがしているポジションだと教えてくれた。
 及川さんと言われて青城校内で知らない生徒はいないと言っても過言ではない。
一個上の先輩で、バレー部主将。爽やかなルックスから他校にまでファンが存在するほどだ。
 そんな有名な先輩の後釜候補である矢巾君は、セッターがどれだけすごい存在かを説明してくれたのだが、バレーの知識が皆無だった私には今よりもちんぷんかんぷんだったのである。
 とはいえ、一年の間にそこそこ覚えたのでルールやバレーの試合の面白さを知ったので今は困らない。欲を言えば、矢巾君が公式試合でセッターをしている姿を見たいとは思うが、試合に出たいと思っているのは彼なので、直接的に言ったことはなかった。それに矢巾君は見た目に反してバレーボールに誠実なので邪魔をしてはいけないと思った。
 飴を口の中で転がしていると、途中で欠けてしまった。仕方なくばりばりと飴を噛むことにシフトする。
「飴噛むのか」
「欠けちゃったから、いいかなって」
 矢巾君はきちんと舐め続ける派だそうで、彼は時々いいところのお坊ちゃんに見えそうにもなる。実際はどこにでもいる健全な男子高校生だが。
「今年もよろしくな」
「いきなりだね……。こちらこそよろしく」
 交わした言葉はどれもありきたりでも、慣れた人がクラスメイトなのはどこか
安心できるものだった。
 高校生になっても、新しい環境が怖いのだから徐々に慣れていくしかない。苦笑した顔は矢巾君に見られずに済んだ。

  2

 友人が彼氏と大喧嘩したということで、私はなぜか放課後の教室で修羅場を目撃する羽目になっていた。何でも証人になってほしいとかで、いっちょ前に恋愛などしたことがない私でいいのか気になったが、それどころではない友人に付き合わされることになったのだ。
 喧嘩になった理由も聞いていたが、互いがヒートアップし始めたので、こっそりと荷物を持って教室を出ると、気まずい顔をした矢巾に出くわした。
「あれ、部活は?」
「忘れものとり来たんだけど入ったらまずい感じ?」
「……今は入らないほうがいいかな」
 引きつる顔に矢巾君は同情してくれた。教室にいた経緯を話すとさらにうわーと言う矢巾君は、私に提案をしてきた。
「とりあえず、体育館くる? 今日の練習はそんなに長くないし、あの場にいるよりもいいだろ」
「じゃあ、そうさせてもうらうね。修羅場すぎて怖い」
「まあ、リア充の中にいるにはしんどいよな。俺も彼女はほしいけど、修羅場だけは勘弁して欲しい」
「ところで矢巾君は彼女いたことあるの」
「…………」
 長い沈黙は肯定だ。かく言う私も彼氏がいたことはないのでおあいこだった。
「そういえば、お前の友達って彼氏持ちの奴多いけどお前いないよな」
「一人だけ非リアで悪かったね。本当はさ、高校生になったら彼氏とかできるもんだと思ってたのに、現実は厳しいよねー。イケメンじゃなくていいから、優しい人がいいなあ」
「……思ったんだけどさ、俺と付き合えばちょうど良くないか」
「頭悪すぎる告白でしょ。せめてちゃんと好きになるとか段階踏まない?」
 何もかもすっ飛ばしたアイデアを出す矢巾君は、彼氏彼女という枠にこだわりすぎている。
 放課後の人通りのない廊下を進んで、階段を降りながらも、矢巾君はいい案だと思ったんだけどな、とノリが軽い。
「……矢巾君はもう少し誠実な感じならモテると思うよ。顔は悪くないから自信持って」
「お前、いい奴だよな」
「だからって付き合わないからね」
 体育館に入ってとどめを刺すと、ぶすくれた矢巾君はコートに戻っていった。二階のスペースに行くために、体育館の後ろにある扉を押し開けて、二階へ続く階段を上がった。
 バレー部の練習を見るのは初めてではなく、何となく暇な時によく来ていた。矢巾君がいるから来ているのかと聞かれると答えに困ってしまうのだが、たぶん理由の一つになっている気はした。
 少しだけ残念な男の子だとは思うけど、やっぱり頑張っている人を見るのは、こちらが応援したいからだ。体育館に三面あるコートのうち、真ん中のコートで矢巾君は練習していることが多い。
 ポケットに入れたスマートフォンで時間を確認して再びしまった。そのうち友人から連絡がくるかもしれないので、マナーモードをオフにしておく。
 目線を少し左右に移すと見慣れた人が一人。話しかけたことはないけれど、よく見かけるのでその人がどういう存在かは知っていた。
 どこにでもいそうな人だけれど、その人は私の一個上の三年生で、及川さんと知り合いの人だ。きっとあの人は及川さんのことが好きなんじゃないかな、と思っているけど、誰も確実なことは知らない人。
 コートに視線を戻すと矢巾君はサーブを練習していた。
「まあ、矢巾君なら悪くないよね……」
 体育館に来るまでのやりとりを思い出しながら改めて考えてみる。矢巾君がそこそこかっこいいのは知っているので、彼が本気なら私も真面目に付き合うことを考えても良かった。けれども、いつもの軽いノリで言われてしまうと残念度が増すばかりか、好感度がマイナスまで落ちかける。
 きっとそれは誰が相手でもなるのだろう。
 甘酸っぱいとまではいかなくても、ちょっとくらいトキメキを欲している。運命みたいな簡単な言葉にできるようなことじゃなくて、ほんの少しだけときめければいいのだ。それは、さっきみたいなタイミングに提案してくる安易な告白ではないのは確かだった。
 一時間ほど経った時、友人からの電話があったので一階に降りると、バレー部の休憩とちょうど重なった。
「矢巾君」
「あ、帰るの?」
「友達から連絡きて大丈夫そうだから。部活頑張ってね」
「気をつけてな……あと、さっきのこと俺けっこう本気だからな」
「あれ、本気なの……?」
「ちゃんと考えておけよ」
 本気だったのかと唖然する私をよそに矢巾君は先輩に呼ばれてコートへと戻っていく。
「いくらなんでも嘘でしょ……」
 思わず熱くなる頬を両手で包む。これがきゅんとするとか絶対ない、と思いながら友人の待つ教室へと戻った。

  3

「へえ、それでなんて答えるの?」
「なんてって、その前に明日からどんな顔すればいい?」
 友人と合流してから、ついさっきまでのことを報告した。友人は、つい数時間前まで憤っていた様子とは打って変わってうきうきとしている。
「もしかして、矢巾のこと結構好きだったの?」
「それは……ない、と思う。たぶん……」
 友人が私の目の前で安いぺらぺらの生地したパンケーキを切りながら言う。
 好きか嫌いかと言われると、好きな部類だが、彼氏にできるかと言われたら別問題だった。そもそも、ただの友愛の好きと恋愛の好きは似ているようで全然違うのだ。
「そんなに真っ赤な顔して否定されてもねえー」
「これは、恋愛慣れしてないだけで……。もっとマシな告白して欲しかったとか、互いに彼氏彼女いないから付き合うのはなんか嫌だとか、文句ばっか言いたくなるんだもん」
「それは矢巾が悪いけど、そこまで文句でるなら言えばいいじゃない。どうせ好きなんだから」
「好きとは言って、ない……」
 尻すぼみになる言葉にどんどんと自信がなくなっていく。恋をしてない相手に恋をする方が難しいんじゃないかとか、結局友達からは発展できないのではと考えてしまう。
 平行線を辿る友人との話のせいで、せっかくもってきたレモンティーに入っていた氷がどんどん溶けて、コップに結露を生みだしていた。
「……アンタ意外と純情なのね。矢巾が落ちるのも分からなくもないというか、普通ならちょっと手を出しにくいわ」
「言い過ぎじゃない?」
 友人のずけずけとした物言いにたじろぐ。そんな中友人はばくばくとパンケーキを消化していて、恋愛に強い女子は違うと実感させられる。
「とりあえずさ、シミュレーションする? 私が矢巾だと思って明日のシミュレーションするのどう?」
「無理、キャパオーバーする」
 これ以上何かした日には私は溶けてなくなってしまいそうだった。友人には私の様子が微笑ましく見えるのか、終始楽しそうに微笑むばかりだ。
「ほんとになんで、私がいいんだろう」
 コップを手にしながら机に突っ伏した。この際、ファミレスのテーブルがきれいか汚いかは置いておく。
 雰囲気のある告白が良かったとは言わない。あれは少女漫画のなかだけの話である。彼と特別な何かがあるわけではなかったし強いて言うなら、少しだけ応援していたクラスメイトの延長線みたいなものだ。
 考えてもまとまらない思考にしびれを切らした友人は肩を揺らして笑っていた。
「そんなに笑わなくても……。こっちは真面目に悩んでいるのに」
「可愛い反応するからよ。それなら付き合ってもやっていけるよ。大丈夫」
 友人の無責任な言葉に私は半信半疑だった。
 翌朝、高校生になってから学校に行くのがこんなに嫌だったのは初めてだ。言い出した張本人は思ったよりも普通の反応で、私が昨日さんざん悩んだ時間を返してほしいほどにあっさりしていた。
 放課後、なんとか部活に行く前の矢巾君を呼び止めて空き教室で話すことに成功した。
「昨日の返事、今してもいい?」
「ああ、うん」
 言いたいことは昨日頭の中でまとめた。いざ、本人を目の前にして言うとなると、上手く目線を合わせることができないのは何故だろう。
「あの、昨日のこと考えてみたんだけど、あんまり矢巾君のこと意識したことなくて。でも、文句ばっかり出てきた」
「……文句?」
 落ちつく為にゆっくりと深呼吸をした。きょとんとした矢巾君は私を不思議そうに見下ろしてくる。
「告白してくれるのは嬉しいけど、おまけみたいな感じだったし、もっと矢巾君がちゃんとしてくれた方が良かったなとか。本気にして欲しいなら、私あんまり恋愛慣れしてないからわかりやすく示して欲しかったな……って。あと、私がちゃんと矢巾君のこと好きなのか分からない」
 全部本当のことだ。付き合うかって言われた時に軽くあしらったけど、ほんの少しだけ青春の感じがした。本気だって言われて、思ったよりも嬉しかった。
 けれども、彼のことをちゃんと好きな異性として見れるかと言ったら、明言できなかった。
「……それでもいいよ」
「なんでいいって言い切れるの」
「俺のこと嫌いじゃないならいいよ」
「……矢巾君はハイパーポジティブか、頭のねじ落としすぎじゃない?」
「お前失礼だろ……。これでも昨日緊張してたのに」
 そっぽ向く矢巾君の耳は真っ赤になっていた。
「もしかして緊張してたから、あんな言い方なの……?」
「……絶対他の奴に言うなよ」
「うーんどうだろう?」
 矢巾君の姿をみてすっかり緊張の解けた私がおどけてみせれば、矢巾君は私をじっと見てきて一言。
「可愛い」
「……不意打ち禁止」
 こんな簡単な言葉で落とされるなんて、矢巾君はどれだけ軽い砂糖菓子を仕込んでいるのだろうって思ったのだった。