春の待ちぼうけ
  1

 毎朝、いつも同じバス停で同じ時間に会う男の子がいた。名前はいまだに知らない。制服から青葉城西に通う生徒で、いつも肩から提げているスポーツバッグからバレー部だということは知っていた。
 一年の時から見かけるので、三年目になれば流石に話すようになるかなと思ったけど、これから朝練をする眠い時間に、賑やかな会話をするなんてコミュニケーション能力は私も彼も持ち合わせてはいなかった。
 ある日、いつも通りに音楽を聴いて待っていようと思い、鞄から音楽再生プレイヤーを出した時手からすり抜けて、アスファルトの地面に叩き落としてしまった。
「あっ」
 静かな住宅街でこぼれた声は割と恥ずかしい。
 急いで拾おうとしてしゃがむと、いつも一緒のバスに乗っている男の子が音楽再生プレイヤーを拾ってくれた。
「傷ついてないっぽいし大丈夫だな」
「……ありがとうございます」
「もしかして×××ってバンド好きなの?」
「好きですけど」
 落とした時に画面に映し出されていたのは、最近気になって聞いているバンドだった。まさかこんなところでファンに出会うとは思わなかった。しかも、とんでもなく近くにいた。
「周りに全然いないからすげえ嬉しい。あ、いつも一緒のバスだよね」
「そうなんです! やっぱり一緒のバスですよね?」
 私が思っていたことは間違ってはいなかった。毎日会えば嫌でも顔を覚えるし、三年も一緒ということは同じ学年でもある。
「俺、花巻貴大」
 花巻君というらしい。私よりも十分に背の高い彼を見上げる。思ったよりも気さくな人だった。私も彼にならって名前を言うとよろしくね、と返ってきた。
 バスが来るまでの間に他愛ない会話だったが、色々と知ることができた。
 バスに乗り込んでからも会話が続き、今度互いにおすすめのバンドのCDを貸すことになった。
 数個バス停を通り過ぎ、いつもの場所でブザーを押す。車内に機械的なアナウンスが流れて、一つのバス停でバスは停まった。
「花巻君、また明日」
「じゃあねー」
 太陽が昇り始めていく外に出ると、バスはあっという間に過ぎていく。しばらく見送っていると窓から花巻君が手を振っていたのが、見えて私も手を振り返した。
 いつも一緒のバス停で会う男の子は花巻貴大君という名前で、青葉城西高校の三年生。バレー部で私と同じバンドが好きな人。私は電車を乗り継いでバスに乗るが、花巻君はバスと徒歩だけらしい。
 お気に入りのプレイヤーを落としたので落ち込みそうになったが、意外な出会いに感謝したのは言うまでもなかった。
 私の頭の中では、すでにどのバンドをおすすめしようかとウキウキしていた。さっきのバスで大体互いの好みが確認できたので、あとは知らないバンドや、ちゃんと聞いたことないバンドを確認してCDを朝交換するだけ。
 ついでに連絡先も交換したので、準備はばっちりだった。
 お昼休みにスマートフォンを確認すると、公式アカウントのメッセージに混じって、花巻君から連絡がきていた。
『さっそく考えてみた。○○知ってる?』
『○○最近有名だよね? あんまり聞いたことないな』
『じゃあ、明日持ってくわ』
『私、△△持ってこうかなって。花巻君、きく?』
『聞く』
 ぽんぽんと繋がるやりとりに、やはり同じ趣味だと話が合うから楽なんだなと久々に感動を覚えた。高校入ってから音楽を聴く友達は何人もいたけれど、なかなか好みのバンドが被る人がいないので、カラオケに行っても無難な曲しか歌えずにいた。
 そのせいか、花巻君が話しやすい気さくな感じだからなのも手伝って、すぐに持っていくCDが決まった。
 嬉しそうに頬が緩んでいたのか、友人は気味悪そうにしていたけれど気にしない。今は好みが一緒な人に出会えて嬉しいほうが勝っていた。
 家に帰ってすぐにCDを鞄にしまい込んだのは、私だけの秘密である。

  2

 CDの貸し借りをするようなってから、花巻君は私に音楽以外の話題を出すのは珍しいことではなかった。
「そういえばさ、部活月曜日がオフなんだけど、どっか行かない?」
「部活って毎日じゃないの?」
「そうなんだよ。毎週月曜日は休みで、いつもは同じ部活の奴と帰ったりしてるんだけど、せっかくだしこの間×××がシングル出したから欲しいんだよね」
「たぶん、補講もないから大丈夫。そういえば先週出してたよね。新曲のMVみた?」
「みたみた。アレ、すっげえおしゃれ」
「おしゃれだよね。間奏のところでさ、回想してるっぽいんだけど、光がいっぱい混じってフラッシュしたと思ったらさ曲にばちって合って戻ってくるのすごくいい」
「あー、あの部分いいよね」
 話題がつきない。正直、毎日のように会話している。バス停につくとどちらからということもなく、するりと会話が始まる。一緒にバスに乗っているのは三十分くらいで、そのあとはメッセージのやりとりだ。たまに電話もするけれど、花巻君が部活で忙しいのは知っているので、回数は少ない。
「青城の方いったほうがお店近いから、授業終わったらそっち行くね。中入ったらまずいよね」
「じゃあ、正門前で。着いたら連絡ちょうだい。なるべく早くいく」
「オッケー。青城って文化祭で一回しか行ったことないんだよね」
「文化祭きたことあるの」
「青城に友達いるから行ったことあるの。面白かったよ」
「へえ、意外。いつも勉強してるかと思った」
「そんなわけないって」
 バスを降りる準備で鞄の中身を整理する。話が盛り上がりすぎてうっかり降り忘れそうになってからは、ブザーを押してバスが停まるまでの間に整理するようにしていた。
「じゃあ、またね」
 そんなやりとりをしてから、連絡が来たのは数十分後だった。
『バスに忘れものしてる』
『何忘れてる?』
『ペンケース』 
『今日の授業詰んだ』
『(笑)』
 会話に夢中で、盛り上がりすぎて整理した時に出したペンケースを椅子に置き忘れたようだった。
 しかし困ったことに今日は金曜日で、次に花巻君に会うのは月曜日だ。
 土日に勉強をしないなら困らなかったが、あいにく今年は受験生なので多少は勉強をするようにしていた。学校なら友達に借りれば何とかなっても、流石に土日はどうにもならない。
 結局、月曜日に約束していたよりも早く青城に行くことになったのだった。

 放課後にいつもよりも先にあるバス停を目指してバスに乗り込んだ。普段とは異なる景色に合わせて音楽を聞きながらバスに揺られた。
 十分くらいで青城前に停まるバス停についた。
 今日は希望者のみの補講があったので、花巻君の部活終わりとも時間が合わせやすいようで、薄暗くなってきた外でメッセージを送ろうとしたところで、目的の人物に合うことができた。
 ただ、花巻君以外にも何人かいる。同じスポーツバッグを提げているのでバレー部の人なのは理解できた。
「お待たせー。もしかして連絡くれようとしてた?」
「今送ろうと思ったところ」
「マッキーその子彼女?」
「及川ちょっと黙ってろ」
 花巻君の後ろにいた男の子のうちの一人が言い出す。
「お前デリカシーねえな」
「最低だな」
「岩ちゃんと松つんひどくない?」
 目まぐるしく展開する会話に思わず笑うと、花巻君が苦笑した。
「花巻君、この人たちは?」
「俺のチームメイト。そこのからかってきたのがうちの主将の及川で、あっちの少し小さいのが副主将の岩泉。そんで一番背が高いのが松川」
 花巻君はそれぞれの人を指さして示してくれる。
「花巻ちびって言うな」
「言ってねえし、あんまり威嚇すんな」
「そうだよ岩ちゃん。もしかしたら今後マッキーの彼女になるかもしれないし」
「及川のせいで彼女と話せなくなったらラーメンおごってもらう」
「花巻君、そんなのでいいの?」
「いいの。どうせ、そうならないし」
「え?」
「いや、何でもない。はい、預かってたペンケース」
「ありがとう」
 渡されたペンケースをしまうと、花巻君は私の手をさらって、チームメイトから離れていく。私は驚いたまま、繋がれた手と花巻君を交互に見たけど、いたずらっ子みたいに笑う花巻君に負けたのだった。
「じゃあ、また明日な!」
 後ろで驚いた顔をしたチームメイトはいいのか不安に感じていると花巻君は気にする風でもなく、どんどんと歩き出す。
「花巻君、そっち帰る方角じゃ……」
「今日話していたし、せっかくだからお店いこうよ」
「早く帰んなくていいの?」
「いつももっと遅いから大丈夫だよ」
 明るい街並になっていく道路に向かうと、目的の店が見えて来た。
 どうやってもここからすぐに帰るという選択肢はないらしかった。お店に入ると目的のものを探すと、新曲コーナーに置かれている。わかりやすいポップまでついていて、このお店では推しているようだ。
「ちゃんとポップもあるし……サインあるよ!」
「マジだ。×××ってこういうのもやってるのか」
 感心している花巻君とは相変わらず手を繋いだままで、これでいいのか分からないまま、お店のなかをぐるりと見てまわった。
 レジに会計に行く時にようやく離れた手は、少し名残惜しかった。

 夏休みに入ると花巻君と会う回数は当たり前のように減った。そのかわりにメッセージのやりとりが格段に増えた。ただの反動だったけれど、会えないのは意外と物足りないのだと学んだ。
『早く夏休みが終わればいいのに』
『俺もそう思う』
 絵文字も何もついていない文章なのにぎゅっと胸が苦しくなるのは、私が自覚してしまったからだった。
 手を繋いだくらいで、なんて単純すぎるし、今後悪い男に引っかかりそうで不安だけど、花巻君は絶対にいい人なので大丈夫だろう。
 でも、告白をするには花巻君が頑張っているバレーには邪魔かもしれないし、うまくいって彼女になれたとして、会って過ごせる機会は少ないだろう。
 うまくいかないなあと思いながら参考書を開いていると、スマートフォンから無料通話独特の着信音が鳴った。
「もしもし」
「今大丈夫?」
「平気だけど、どうかしたの?」
「さっきメッセージ読んで思ったんだけど、付き合わない?」
「え?」
 やけにあっさりとした花巻君の声に握っていたシャーペンを手放してしまった。からからと音を立てるシャーペンに構わず、花巻君は続ける。
「俺、大会が終わるまであんまり一緒にいられないし、大会終わっても受験だけど、それでも付き合って欲しいって言ったら怒る?」
「そんなわけないじゃん。今、私も言おうかなって考えてた」
「なんかそれ、いいな」
「そうかな?」
「すっげえいいよ」
 電話口で笑う花巻君につられるように私も笑ったのだった。

  3

 再び季節が巡ってきて、長い冬に終わりを告げる季節がやってきた。花巻君と付き合うようになってからバレーの試合をみるようになって、大会も応援にいった。最後の試合で、悔しかったのは花巻君達なのに、私も一緒になって泣いてしまった。
 それは花巻君がすごく練習をしていたのを知っていたからだし、すごく大会への思いを話してくれていたからだ。そのおかげで私は試合を見ることができたし、本当に頑張った上での結果だと理解できた。その分、一緒に過ごす時間は短かったけれど、それでも良かった。
 卒業式の日。最後に一緒にバス停に乗り込む日だ。
「おはよ」
「おはよ」
 挨拶を交わしただけで、バスがくるまでの間互いに無言だった。まるで話すきっかけが無かった二年と少しの頃みたい。
 バスがプシューと音を鳴らしてやってきて、乗り込んでからようやく話せた。
「この通学路も最後か」
「花巻君ともっと早くから話してたら楽しかったかもね」
「いいよ、今話せるから」
「……たまに花巻君ってきざだよね」
「そう?」
 居心地の良い、人の少ないバスの中もこれで最後だと思うとやはり寂しい。
「まあ、花巻君にはいつでも会えるけどね」
「じゃあ、いいだろ」
 軽口をたたいてのんびりと揺られるバスもあと少し。いつものように過ぎるバス停を見送って、決まった場所でブザーを鳴らす。三年間染みついた行為は考えなくてもすぐにできるほどだった。
 ほどなくして停まったバス停は私がいつも降りる場所。
「じゃあ、あとでね」
「待ってる」
 降りる時にいつもと違うのは、卒業式終わりに待ち合わせているからだ。私が青城にいって、花巻君と合流する。きっと、花巻君のお友達達もたくさん待っているんだろうなと思うと、全然寂しくなかった。
 外に降りると、まだ冬の冷たさを残す空気が私を出迎える。そこに微かに混じる春の日差しが気持ちよいと思ったのだ。
 きっと、新しい環境になる頃には桜が咲き出すのだ。そうして、彼とまた新しい日々を過ごすことになのだと思うと楽しみである。
 見上げた空は快晴で、在校生に送られるにはとても良い日だと改めて思い、そうして私は校舎の門をくぐったのだった。