スピカの三角形
 春の夜空は穏やかだ。冬の突き刺すような鋭さや、瞬きを繰り返すことはない。夏の夕立の後に見える、からっとした夜空でもない。どこまでも続く空に、穏やかな瞬きを繰り返す星々がちりばめられているだけだ。

 目覚めた時に視界に映ったのは、いつも自分の部屋だった。昨夜も遅くまで天体観測をしていまい、やや睡眠不足だ。
 眠い目を擦りながらアラーム代わりにしているスマートフォンを確認すると、メッセージが数件入っていた。数件のうち朝の六時にメッセージをよこしてくる人物は私が知る限り一人しかいない。
 『松川一静』と表示されたトーク一覧には二つメッセージが入っていた。メッセージは短いもので、昨日の夜やりとりをしていたものの続きだ。それに素早くフリック入力で返信をする。
 内容はいつから知っていたのかというもので、私が寝坊するのでは、と思っていたような内容だった。
 天体観測をするようになったのは、父の天文学好きだったのがきっかけだったように思う。趣味が高じて、父は子供をプラネタリウムや天文台へとたびたび連れていってくれたのだ。
 兄妹がいるうちで同じことに興味を持ったのは私だけで、今でも休みの日に父と星を見に行ったり、天体観測をする為に遠出をすることがしばしばあった。
 そんなことを知っているのは友人達の中でも松川だけで、私が学校で眠そうにしていると理由をぴたりと当ててくるのだ。私の趣味を知っているのは彼だけなのは、私が望遠鏡を担いでいるところに遭遇したから、という単純なものだ。
 制服に着替えてからスマートフォンを確認すると、すぐに返信がきていた。きっとすでに朝練に向かっているのだろう。
 私も準備をしないと間に合わなくなってしまう。リビングに降りていると、母が私を急かす声がした。

 教室へ続く廊下を歩いていると、見慣れた背中が前方に見えた。
「松川おはよー」
「おっす。相変わらずひでー隈」
「面白くてつい見過ぎちゃったんだもん」
「美容に悪そう」
「ごもっともです……」
 返す言葉も面目もないことに私は折れるしかないのだ。松川の言うとおり、少しくらいは美容にも気をつけてみようか、なんて単純な頭である。
「そういえば松川さ、今度の土曜の夜空いてる?」
「空いてるけど、どうしたの」
「前に春の星、ちゃんと見たいって言ってたから、どうかなって」
 冬頃に北斗七星やオリオン座などわかりやすいのはすぐ分かると言っていたけど、他のは分からないと言っていた。それは恐らく大体の人が同じ感想で、それ以上の興味はないのだろう。
 けれども、松川は私と見てみたいと言ったので、多少は暖かくなったので見るのもいいじゃないかと思ったのだ。
「見る。家いえばいいのか?」
「ううん、ちゃーんとおすすめスポットがあるの。集合は私の家でいいよ」
「オッケー」
 そうして春の星見が決まったのだった。

 わくわくしながら用意したホットティーと早見表を手にして待っていると、家のインターホンが鳴った。せわしないと理解しつつも玄関の扉をあけると、部活終わりなのかジャージ姿の松川が片手をほいっと上げてみせた。
「こんばんは」
「部活終わり?」
「まあな。んで、どこ行くの?」
「総合運動場。あそこ、周り暗いし開けてるからよく見えるんだ」
 総合運動場は、歩いて十分程度の場所にある、陸上競技と公園が併設された場所だ。市の大会や、小中学校の運動会・体育祭としても使用されることがあり、近くに住んでいる人なら一度は足を運んだことのある運動場である。
 春になったばかりとはいえ、まだ夜は肌寒い。パーカーにストールをぐるぐる巻きにしていたら松川に笑われた。
「くくっ、ほんと寒がり……」
「冷え性なんだからちょっとくらい労って」
「んー。じゃあ、はい」
「それは、ちょっと……」
 松川は何でもないように手を出してくる。
 全部包んでくれそうなくらい大きな手。私の手よりも一回り以上は大きいのではないだろうか。
「寒いんだろ」
「えー……まあ、そうだけどさ……」
 恐る恐る手を差し出せば、がっちりと繋がれてしまい、横にいる松川をばっと勢いよく見上げた。
「大成功」
 にやりと笑った松川にしてやられたのだ。彼のことだ、これくらいのこと織り込み済みなのだろう。
「……みんなには内緒にして欲しいなあ」
「なんで?」
「これは思ったよりも恥ずかしい」
「ふうん。こういうのもいいかもしれないしな」
 次は何を思いついたのか、納得した松川はご機嫌そうだった。
「それよりも、星を見るんでしょ」
「当たり前だろ」
 総合運動場に入りながら、公園の開けた広場を目指す。見上げた空には雲一つなく、きらきらと静かに星が輝いていた。
「ここならよく見えるよ」
「へえ……」
 空には無数の星が煌々としていた。
「あれが、北斗七星」
「ホントだ」
 腕を上げて、指で星をなぞるような指していく。興味深そうに眺める松川は楽しそうだ。
「その下に見える明るいやつと、その下にある明るい星、横いって明るいのを繋げると春の大三角だよ」
「すげえ」
「でしょ?」
 得意げに言う私を見た松川は目を細めたのだった。