目覚めた時に隣に居てくれれば
仕事なんて自分の部屋ですればいい話だけれど、ダイニングの机に書類を広げるのは机が広いからだけではない。ドタドタと忙しない足音が聞こえてパソコンから顔を上げれば、イブがキッチンに水を汲みにやって来る。ここで仕事をしてれば、こうやって楽しそうな姿が見られるから、なんてイブにバレたら引かれそうだ。大きなグラスに水をいっぱいまで入れて、溢さないように気をつけながら帰っていく姿を微笑ましく見送る。そのまま時計を見れば、サービス残業を始めてからずいぶん時間が経っていることに気付いた。資料をまとめるのはまた明日にして、今日は終わりにしよう。忘れないようにデータを保存して、パソコンをカバンに仕舞った。
「やーもぅ…ごぉめん!」
寝室へ向かう途中、悔しそうに謝る声と大きな笑い声が廊下に響いた。ゲーム用の部屋の扉は開け放したまま、後ろ姿は楽しそうに揺れている。ドアを閉め忘れるなんて、イブにしては珍しい。声には出さずにその背中におやすみを告げて、そっとドアを閉じて寝室へと向かう。
ベッドに横になって、リモコンで明かりを消せば寝室は真っ暗になる。毎回思うけど、ファミリーサイズのベッドは、1人で眠るにはいささか広すぎる。2人で寝るにしても広すぎるくらいだけど。1人で眠る夜は、ちょっぴり寂しい気持ちと広すぎるベッドを持て余して、ごろりと2回ほど大きく寝返りを打つのがお決まりになった。
「お、まだ起きてんな」
「あれ、もう寝……あっ」
「大丈夫。これマイクついてないし」
「そっか」
スマホを触っていれば、静かに寝室のドアが開いて、廊下の明かりが差し込んで部屋が薄く照らされる。明かりの方を向けば、ヘッドホンを付けたままのイブが顔を覗かせていた。私の声が入ってはいけないと思わず口をつぐんだ私を見て、耳当てをずらしながら笑う。私が起きていることを確認したイブが寝室へ入ってベッドの縁に腰掛けた。私も傍に転がって、両肘をついて少し起き上がる。
「ピックギリすぎてドア閉めれんかったわ」
「なるほどね。思ってたよりマッチ早かったのね」
「そ。うるさかったくね?」
「全然、寝室向かう前に廊下に聞こえてたくらい」
「あーそう。そんくらいか」
「珍しいなと思って、気になってるだろうし閉めただけだよ」
「サンキュな。死んだら閉めよって思ってた」
「そういうときに限って生き残るの、あるある」
「んね」
頭を撫でて優しく見下ろすイブにふにゃりと微笑み返すと、薄明かりの中で切れ長の目が柔らかく弧を描いた。座っていた姿勢を崩して、私と同じ目線の高さまで降りてくる。近くなった肩に頭を寄せると、ふふ、と幸せそうに笑って擽るように髪を弄んだ。揺れた髪から新しくおろしたシャンプーの匂いがして心地良い。今日はお互いに仕事や約束があって、あんまり触れ合いも会話も無かったから、たったこれだけのことでも嬉しい限りだ。こぼれてしまいそうなくらいに胸をいっぱいにして見つめあっていれば、ヘッドフォンからガサゴソと音が漏れて、現実へ引き戻される。
「やべ、トイレって言ってんだった」
「心配されるじゃん」
「ふはは、危ね、平気で忘れそうだったわ」
「はは、忘れてくれてもいいんよ、私はね」
「流石に酷いっしょそれは」
「まぁ流石にね」
「めちゃくちゃに良いけどね、それもね」
もう行っちゃうの。そんなわがままを言うつもりは無いけれど、立ち上がろうとしたイブが少し下がった私の眉に気付いて、額に唇を落とす。自然とほどけていくのを見て楽しそうに微笑んだ。私の機嫌なんて簡単に治る、と言うよりは、元からそんなに不満なわけじゃない。だって、こうやっていつも何かと理由をつけて構いに来てくれるから、それで十分。ヘッドホンの向こうからイブを呼ぶ声がうっすら聞こえる。イブもそれに気付いて、んしょ。と勢いをつけて立ち上がった。
「そのへんはまた後でね」
「今日はもう先寝ちゃうよ」
「そうね、んじゃ今度ね」
「仕方ないねぃ」
「ふふ、悪いねぃ」
「んーん。行ってら、おやすみ」
「おやすみぃ」
ヒラヒラと手を振って、イブの影が廊下に消えて、ドアが閉まればまた暗い部屋に戻る。取り残されるとやっぱり思う。1人で寝るにはこのベッドは広すぎる。もう一度寝返りを打った。もうスマホを触るのはやめて、この余韻のまま眠ってしまおう。目覚めた時には隣にイブが居て、広すぎるベッドを今ほどは持て余していないだろう。
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