君の手を引き


 花火大会は少し前に終わってしまったみたいだ。まだ剥がされていないポスターを見て、一緒に行けたらよかったね。と言えば、どこか上の空な返事が帰ってきたのを最後に会話は行き止まりになって、静かに河川敷を歩いた。
 ざりざりと土まじりのアスファルトを踏みしめる足音は、私が三歩鳴らすうちにイブくんが二歩くらいをばらばらに鳴らす。街灯も少なくて、私たち以外は誰一人見当たらない。まるで世界中に誰もいなくなったみたいに静かで、まだ触れ合うタイミングを掴みかねている左手はぶらりと宙に浮かんでいる。
 

「…」
「……」
 

 沈黙は嫌いじゃない。イブくんとなら尚更。たまに、突然自分の世界に入り込んで喋らなくなる時があるから、最初はびっくりしたけれど、少しずつ慣れてきた。今では寧ろ、気を遣わない関係が心地良い。
 見上げれば、静かに歩く私たちを月だけが見ている。夜も好き、散歩も好き。この静けさが、どこか切ない。でも、イブくんが隣にいるから寂しくはない。月明かりはイブくんを綺麗に照らすから好きだ。視線に気づいたイブくんが私を見下ろして微笑んで、眉が優しく下がる。その優しい微笑みも、好き。
 

「なに笑ってんの」
「なんでもないよ、今日も楽しかったなぁと思って」
「ふ、あっそ」
 

 特に用があるわけでもなく、どちらかが会おうよと言えば会って、ディナーを共にして、何を示し合わせるでもなく当たり前のように、イブくんが嫌いなトマトは私が食べて、私が嫌いなパプリカはイブくんが食べて。そんな小さな事で特別を確かめ合って嬉しくなったりしながら、時間が許すまで取り止めもないことを話す。いつからだったか、わからなくくらい当たり前のように、私達はなだらかに繰り返している。
 何度繰り返しても、楽しい時間は過ぎるのが早くて、帰り際はいつも切ない。今日は何故だか一段と寂しく感じて、口には出さないようにしていた「帰りたくない」が顔に出てしまっていたんだろうか、一駅歩くか。なんて気の利いた申し出をしてくれたので、嬉しくなって頷いた。余裕を持って少し早めに店を出たのに、歩みはゆっくりだ。歩幅を私に合わせると言うよりは、二人の時間を稼ぐみたいにゆらゆらと、近づくホームの明かりを惜しむように、一歩ずつ歩みを進める。
 

「電車来てんじゃん」
「本当だ、やば。走れば間に合うかな」
 

 駅の高架下までやっと辿り着けば、恐らく乗る予定の電車がホームに着いたところだった。間に合ってしまった事を少し残念に思いながら、名残惜しさを誤魔化すようにため息をついた。
 

「んじゃ、またね」
「…なぁ。」
 

 触れ合った指が絡みついて、優しい瞳に射抜かれて、駅へと動き出そうとした身体は緩く繋ぎ止められる。この手に従って一歩前に進めば、どこか違うところへ行ってしまいそうな、そんな境界線を目の前に敷かれたような感覚。
 一瞬の選択、迷うことはない。引き寄せられるままにラインを超えて、胸の中に吸い込まれる。とくんとくんと規則正しく鳴るイブくんの心音は、少し早い気がする。質の良さそうな柔らかいシャツが、汗を吸ってすこし湿っていて、イブくんの匂いがする。しばらくそうしていれば、イブくんの心音を電車が動き出す音がかき消した。
 

「行っちゃったねぇ」
 

 見上げればイブくんがいたずらに微笑んだ。電車が走り去って、また誰もいなくなった所で、こっそりキスをして、絡みあった手を引かれるままに夜の散歩は続く。


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