キラキラの方を向いて
「それっぽい事は何も出来んと思うけど、それでもいいの?」
少し考え込むように口元に手をやってから「今まで通りで居れるなら俺は何でもいいよ」なんて、ある意味残酷な返事を淡々と言ってのける。振られるものだと思っていたから考える余地もなくて、すぐに頷いた。
「ごめん、言うの忘れてた。今日北棟の掃除」
「マジ?ダルいねぇ」
「マジ。遅くなるし、先帰ってて」
「うぃ〜おつ〜」
「ん、じゃあね」
それから、言葉の通り名目上の彼氏彼女になって、報告した友達全員にやめておけって止められた。そんな事はわかってても、こっちが引いたって追いかけてくれないし、諦める選択肢もないんだから仕方ないんだって。今日も律儀にいつも通り、教室の前まで迎えに来てくれたイブは寂しがる素振りも無く、来た道を引き返して行った。もうちょっと寂しがるなり、手伝うよなんて言ってくれたり、なんて無いに等しい期待はやっぱり叶わなかった。いつだってそう。どんな期待もするだけ無駄だ。
「…流石に悲しくないですか?それ」
「やっぱり?いだはる君もそう思う?」
葉桜が茂り出す季節に強行突破で始まった関係も、向日葵が並んで揺れるようになれば何か芽生えて来るんじゃ無いかと、そんなに大層な事までは望んでいないから、試しに手を繋いでみたり、それくらいの距離感は縮まっていてもいいのでは。なんて、これもするだけ無駄な期待も虚しく。いつも通り部活がない日は一緒に帰って、たまにゲーセン寄ったり。それ以上も以下もなかった。イブの中での私の位置、全く変わってないんだなあって実感してちょっと凹む。凹むけれど、正直、この当たり前すらなくなるかもしれない賭けをして実質負けたようなもんなのに、今まで通りに戻れた事に安心している自分も居る。だからってこのままで耐えられるのかって話とは別なんだけど。靴箱の砂埃は掃いても掃いてもまたすぐ溜まっていくから、あんまり掃除し甲斐がない。こんな愚痴が、吐き出してもまた回り回って溜まっていくしか無いのと同じだ。
「そりゃ思いますよ、一応彼氏なんでしょ?ちょっとイブさんも酷いなぁ。これじゃあキープみたい」
「言うねぇ」
「アッ、ごめんなさい」
「いや、いいの。実際そうなのかもね。怒っといてよ、イブのこと」
「無理ですよ。僕なんかが言っても聞かないし、イブさんはそう言うことする人じゃないのも知ってるし」
何かイブさんらしい意図があるんじゃないっすかね。と言われればその通りかもしれない。いや、ちゃんと考えてるように見えて、逆に何も考えてないよ。あいつは。
埃を掃き切ってちりとりを持ち上げて、玄関掃除は終了だ。北棟を使う部活に交代制で押し付けられる月に一度の大掃除は皆が嫌うイベントだけど、私は嫌いじゃない。なぜなら、いだはる君が真面目に私のほぼ愚痴である惚気を聞いてくれるから。お礼の意味も込めて自販機でサイダーを2本買う。綺麗になった多目的室の机に腰掛けて一息つくいだはる君の隣に座ってオレンジ味のサイダーを差し出せば、まるで高価なものでも買い与えられたかのように喜んでくれる。イブのやつ、本当にいい後輩を持ったな。
「これ、イブさんが好きなやつじゃん」
「バレたか。美味しいよね」
「本っ当に好きなんですねぇ」
「これがね?」
「いや、イブさんがでしょ。そこは」
そりゃそうだよ。何言われても、女に見られなくても、他の人に取られなかったらそれで良いくらいだよ。我ながら、なかなか異常に好きだなって思ってるよ。
窓の向こうの向日葵は、私たちなんてお構い無しに揃って太陽の方を向いている。勝手に数えてる交際日数は、今日でぴったり3ヶ月。先に帰られちゃったのは、期待していなくてもちょっと悲しかった。うっすら浮かぶ引き際という言葉はずっと見えないふりをしている。
無意識に唇を噛み締めていたようで、いだはる君が遠慮がちにぽんぽんと背中を撫でてくれて、それが優しくて心がじわりと暖まる。多分だけど、恋愛ってこういう風にするものなんだよな。私が今しているのは――ううん、そんな事は考えるのをやめよう。どれだけ考えたって好きなものは好きなんだから。
「なんでいだはる君ってモテないんだろうな」
「完全に決めつけてません?確かにモテてないですけどね??本気出してないだけで別に…」
「だってさあ、こんな優しいのに。ほんと助かってるの。いつも」
「全然聞いてないし…まあそう言って頂けるなら嬉しい限りですけども」
少し照れ臭そうにため息をつくいだはる君の表情が突然きゅっと引き締まった。いつものヘラヘラした笑顔がどこかへ行って、さっき付けたエアコンの風がゆらりと柔らかそうな毛束を揺らす。細められた瞳にまっすぐ射抜かれると、つられて私の息も止まってしまう。
「ま、誰にでもこんな優しいってわけではない、ですけどね」
「あ、え…?」
「なんちゃって。流石に先輩の彼女口説いたりしませんよ??」
期待しました?といたずらに笑ういだはる君はいつもと一緒のふわふわと優しい笑顔に戻っている。一瞬でもときめいてしまった自分が悔しい。真面目な顔を初めて見たから尚更、そんな顔したらどんな女の子でも惹かれちゃうと思うんだけどなあ、どうしてだろう。って他人事のように思った。申し訳ないけどやっぱり私の心の奥には響かず。揶揄わないで。とまだ冷たいサイダーの缶を頬にぴたりとつけると、うひゃ!?って変な声が出て面白い。やっぱりいだはる君はそういう感じの方が好きだな。
「やったなぁ!このォ…」
「全然終わらんと思ったら、サボりかよ」
「えっ!?」
「ぃいいいイブさん!?」
仕返しをしようと私に近づいた手は雑に開けられたドアの音で止まって、サイダーはつかつかと歩み寄ってきた褐色の手がするりと抜き取った。いだはる君の手は跳ねるように膝元へ戻って行く。イブはイブで、一言断るわけでもなくサイダーを開けて一口飲んで、返す訳でもなく自分の物のように持ったまま、私の手元にあるサイダーと自分のを交互に見やっていた。
「待っててくれたの?」
「まぁね」
「なら言ってくれたらよかったのに」
「あん時は別に待つつもりなかったし。あの後急に先生に呼ばれて、時間ちょうど良いかと思って」
「…そう」
「そうよ。何」
「や?別に?」
「…」
「ぁあ、あの…もう終わったので!お先に失礼しますね!ゴミ捨てしときます!スミマセン!」
「あ、待って、サイダー…」
神妙な空気に耐えきれないと言うように、いだはる君は目の前で両手を合わせてペコペコとお辞儀をして出て行った。ありがとねー!と大きめに出した声はいだはる君に届いただろうか。イブはそれをぼうっと見送ってから、いだはる君が座っていたところに腰掛けた。
「行っちゃった…」
「いいんじゃね?」
「うん、また何か奢ってあげなきゃ」
「なんでぇ」
「色々話聞いてくれたから」
「どんな」
「それは内緒」
「内緒て、何なん」
「いいじゃんその辺は。うちらも帰る?かばんとか教室に…」
「全部持ってきたけど」
「わ、ありがと。ほんとに全部じゃん。流石」
「ん。」
「…」
イブはトーンの下がった声で淡々と返事をする。帰るわけでもなく、窓の外を見ながらサイダーを飲んでる表情は、どう見ても不機嫌だ。長く待たせてしまった事は悪いけど、待つって言われてなかったし。不機嫌の理由は本当にそれだけだろうか?また始まった。するだけ無駄な期待。自分を茶化す意味も込めてイブを覗き込んだ。
「あれ?妬いた?」
「は?違ぇよそれは」
「はは、そだよね」
「ん〜。違うねぃ…なんつーか」
ですよね。予想通りの返事だけど、あまりにも即座に否定するもんだから虚しくなって、俯いた視線が自分のボロボロの革靴のつま先まで落ちた。今ならあっさりと引き際を認められるかもしれない。もし全てを諦めるなら、なんで切り出せばいい?なんて考えても、やっぱり諦めらんないな。何言ってんだって馬鹿にするみたいに笑うイブの隣で、私の頭はぐるぐる回る。少しの間の沈黙を破ったのは、イブのしみじみとした声だった。
「いや、待って」
「え、何?」
「あーそう、俺、マジか」
「どうしたの」
「ちゃんと嫉妬したわ」
「え…?」
「おう。妬いたわ、今の。ふは、嫌だった、なんか、俺より仲良い男が居るのは無しっしょ」
「いや、違うって言っ…」
「いやさ、なーんかお前と彼女って感じ全然結びつかんくてさ、正直分かんなかったけど、そっか、はは」
「どゆこと…ねぇ…」
「そうね。取られたくねぇよ。お前のこと」
「!!!」
「ちゃんと好きだわ。ふはは」
うん、そうだわ。とイブは1人で納得したように頷いている。その間にどんどん顔に集中する熱をなんとか夏のせいにできないだろうか、ほら、窓の外は暑いし。でも、無理だろうな、この部屋は勝手につけたエアコンのおかげで寒いくらいだから。赤くなった頬を覗き込んで、揶揄うように笑う笑顔が目の前にある。サラサラの銀髪が揺れて、どうしたら良いかわかんないよ。被さった大きな手にも、近すぎるこの距離にも。
「嬉しいんだ、なぁ」
「嬉しいに決まってんじゃん…バカ」
「バカじゃねぇよ、なあ?」
「も…揶揄わんで…どんだけ好きだと思ってんの」
「それは知ってんのよ、ほら、手退けろ」
「やめっ…ぁ、近過ぎ、無理無理」
「無理って……いや、察しろよ。普通そこ目閉じん?」
「だ、だって、あまりにも突然…」
「何、じゃあ嫌なんだ」
「違っ…もぉ!」
「ふは、ごめんって、ほらほら」
促されるままに目を閉じれば、誰も居ない部屋には傾いたピアスの音とエアコンの音だけが響いた。優しい感触が離れた後に目を開ければ、綺麗なブルーとイエローと見つめ合って、あまりの照れ臭さに顔を逸らしたのはお互い様だった。逸らした目線の先の向日葵は相変わらずそっぽを向いてくれている。
「…帰んぞ」
「あ、うん、ちょ待って」
「待たんけど、置いてくぞ」
「ちょっと!」
カバンを持って教室を出る後ろ姿が眩しい。あれだけ望んでいたっていうのに、いざ恋人らしいことをして見ると、もどかしい恥ずかしさに何も言えなくなるんだね。イブを追いかけて、靴を履いて、先を歩くその手を掴んでみたら、見られたら面倒いぞ。って言うだけで、振り解かれたりはしなかった。それどころか、歩く速度はゆっくりになって、指が絡まって、それには不思議ともどかさしさは感じなかった。なんだ、ちゃんと出来るじゃん。私たち。笑うと距離が近いから肩がぶつかって、目があえば、いいじゃん。って、キラキラしてるイブの笑顔がすぐそばにあった。
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