タイミング


 日誌を書き終えた誰もいない教室で一人時間を潰すのは、面倒な日直ならではの特権だけれど、今日は訳が違った。帰宅部のくせにいつも忙しいはずのイブが私の目の前で暇そうに日誌を読んでいる。

「珍しいね、彼女は?」
「は?別れたが」
「いや、聞いてない。多分ね、前の子の話も聞いてない気がする」
「マジ?そういやあんま会ってなかったけ」

釣った魚に餌をやらないというか、そう言うところがある。真面目な性格のはずだけど、それより正直さが勝つんだろうか。何にしても、イブに彼女がいない期間は珍しい。どれだけマブだとは言え、彼女に悪いので会わないようにする。これは二人の暗黙の了解になっている。どうせまた束の間だろうけれど、一緒に遊べることに嬉しくなっていることを察されないように、興味なさそうにスマホに視線を戻せば、イブはからからと切なげに笑い声を漏らした。

「ご傷心のイブ様が元気になるスイーツ探してあげようじゃないか」
「いいねぇ、頼むわ」
「どれどれ、これとか、いちごソースたっぷりでイブ好きそう」
「まじ、どれよ」

適当にスクロールした画面に現れた、たっぷりとイチゴのソースがかかったパンケーキ。どこからどう見てもイブの大好物だ。案外近くの店だし、傷心を癒してやるために連れて行ってやってもいいかもしれない。メッセージアプリを開いてその記事を送ろうとしたところを、そのまま画面をクイと引っ張られて、イブがこちらに身を乗り出す。画面をのぞき込むイブの顔がすぐ近くまでやってくる。目の前でサラサラと銀髪が揺れる。長いまつげに嫉妬を覚えながら、心臓の脈が上がってしまうことは否定できない。何人か前の彼女にもらった香水の甘い香りが鼻をくすぐるのに苛ついたことでそれは収まった。別れたのならもうつけるなと言っているのだけれど、気に入ったからいいだろと一蹴される。すれ違う彼女の気持ちを考えるようなデリカシーはこの男にはない。

「えーうまそう。いいんじゃね?」
「あれ、あんまりだった?」

器用に上下逆さの画面を一通り目を通したあと、以外にも興味なさそうに自分の席に戻った。絶対に気に入るし、今日行くことになるかと思ってたのに、嫌いなものでも入っていたのだろうか。つまらなさそうに伸びをして、私を軽くにらみつけて、僻むように言った

「彼氏と行ってくればいーじゃん」

スマホ越しに私を一瞥して、僻むように発したその言葉は、完全に拗ねている。

「あれ、言ってなかった?別れたけど」
「えぇ?!マジ?聞いてないし!いつ?」
「結構前、だって全然話すことなかったし」
「そうだけどさあ…てか今回早くね?つい最近だったやん」
「イブが長かっただけでいつも通りだし」
「なんでとりあえず付き合っちゃうん」
「イブに言われたく無くない?一緒でしょ」
「まあね、それはね」

告白されたから、とりあえず付き合ってみた。私たちの常套句だ。付き合ってみれば何か変わるかと期待しても、結局胸がときめいて、もっと一緒にいたいと思う人は、目の前にいて、いつだって相手がいるんだから。長年の友人関係という大きな壁はもう乗り越えられないほど大きくなっている。どこにもやり場のない気持ちをため息にした。イブのそれ以上詮索するでもなく、興味なさそうに間延びしたへぇーを発して、スマホに視線を戻す。
「そしたら、やっと揃ったんか」
「なにが」
「お互いのフリーな時期よ」
「そうね。そう言われたら久々だね」
「おう」
自分が遊び倒しているくせに、そんなことを気にしていたなんて可愛げがある。家の軒先に飼い猫が迷い込んだような感覚だ。
「もしかして、待ってた?」
「おん。割と待ってたけど」
「えぇ、いや、待ってる奴はその間彼女つくらんよ」
「だってさあ、全然間空かねぇし報告遅いし」
「いや、私フリーな時にイブが付き合ったこともあったよ?」
「そうだっけ?知らんけど、ふはは」
ガハハと笑うイブは至極いつも通り、こちらはからかいをまじめに返されて驚いてしまって、返す言葉が見つからないままスマホを触るイブを見つめることしかできなかった。
「お前もう彼氏つくんなよ」
「なんで?」
「何でって、当たり前だろ」
「なんもわからんよ、それ」
「一緒に遊びてぇからに決まってんだろ。彼氏いたら遊べんし」
「それはそうだけど、そしたらイブも」
「そうよ、俺も作らんし?」
「…なんそれ、告白みたい」
「まるで告白じゃん、そうよ」
「へ?本気?」
「本気ですけど、何か」

「え、告白っていつもそういう感じなの」
「文句あっかよ、俺いま結構マジだぞ。手汗がすげえ、ほら」
「わ、やめてよ、キショ」
「キショはないだろ!この空気で!」
「空気も何も、わからん、ドキドキせんわこんなん」
「はあ…ドキドキしたいんかよ…」

そういうの好きじゃないと思ってたわ。とため息交じりにつぶやいて、ギギッと椅子が音を立てて動く。立ち上がったイブが楽しそうにこちらを見ている。なんとなく気まずくてスマホに逃げようとした目線は、イブの手が私のスマホに重ねて机に伏せられてしまった。右手で私の頬を包んで、自分のほうへ向けられる。試すような微笑みには、悔しいけれどドキドキさせられてしまって、目をそらす。顔中に熱が回っているのを自分でも感じて、余計恥ずかしい。
私の表情の変化を楽しむように、まっすぐとらえられたまま瞳が満足げに細められて、ふは、と柔らかく笑った。
「んで。どーなん?断らす気ないけど」
自信満々に首を傾げるイブ。他人の飼い犬だと思っていたら、野良犬にしてやられてしまった。悔しいけれどその通り、私に断る選択肢なんてない。せめてもの抵抗に返事代わりに椅子を引いて、こちらからキスをした。



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