負けらんないんだよね







 今にも溢れそうな程に両手いっぱいに押し付けられた、ざっくばらんの書類たちを持ち帰ることはできるだけ避けたい。時間の許される限りは学校で片付けようと思って、なんとか書類を片手で抱き抱えて、もう片方の手で教室のドアを開けると、今月に入ってからは珍しく、窓際の席で真剣にノートを見つめる端正な銀髪の姿があった。集中していたみたいで、ドアの開く音に邪魔が入ったと言わんばかりに怪訝な顔をしたけれど、私の顔を見て柔らかく笑顔に変わった。
 

「よっ」
「珍しいじゃん」
「雨だし、体育館埋まってた」
「んじゃあ今日はオフ?」
「いや、この後ミーティング。てかそれ何」
「生徒会長様からの宿題」
「押し付けられすぎだろ、断れよ」
「無理だよあんな困った顔されたら」
「負けんなよ、あいつはそう言うの上手いからさぁ」
 

 イブは簡単にそう言ってのけるけど、こちらも断れるもんなら断っている。自分の倍以上はある書類を抱えた会長の申し訳なさそうに垂れた眉を見て、嫌ですなんて言える人居るんだろうか。そう言えば、目合わせた方が負けなんよ。と返されて、なるほど。どおりで会議の後、誰も会長の方を見ようとしないんだ。と合点がいった。
 しゃーねぇなあ、と言ってイブが立ち上がって、今にも全部落ちてしまいそうな書類たちを両手を広げて迎えにくる。細身で華奢なイメージがあるけど、間近まで来ると細くてしなやかな筋肉がしっかりついているのがわかる。心臓が大きな音を立てたのを気付かれていないだろうかと心配している間に、そんなことは微塵も考えてなさそうなイブの腕が書類たちを上手に奪い取って私の机の上まで運んでくれたから、何枚かだけ床に落ちたプリントを拾ってから自分の席に向かった。
 

「ありがとね。邪魔してゴメン」
「もうそろそろ行こうかと思ってたしいいんよ」
 

 隣のイブの席に目をやると、開かれたままのノートには、乱雑そうに見えてきっちりと秩序を保って描かれたフォーメーションの図と、その隙間に細かいコメントが散りばめられていて、雨の日も真剣に取り組んでる真面目さが窺える。視線がノートに行ったのに気付かれて、見てんなよという言葉と共にノートは閉じられた。
 

「大会のミーティング?」
「そ。敵チームの分析とか出来ることやっとこって」
「なるほどね、他もやりながら?」
「あー、一応三つ? でも大会終わってからって言ってあるからあんま顔出してないんよな」
 

 この大会終わったらそっちの大会も出なきゃで…と頭の中にカレンダーを思い浮かべるみたいに何も無い天井を見上げながら指を折って、思ったより日にち無ぇなぁ、と呑気に言う。
 

「頑張りすぎて死ぬぞ?」
「過労死ね? たしかに、今月はちょっとキツいわ」
 

 イブは、特にずば抜けて特技があるわけでは無い、と言うよりは、何をやらせても平均以上、いやそれ以上に出来てしまうのが特技なんだと思う。助っ人として色々な部活に駆り出されては、柔軟な発想と器用さでチームに貢献している。今月は助っ人というよりは、何やら交流戦? 熱の入った大会に自分から参加したみたいで、今までよりもずっとのめり込んでいる。だから、いつもみたく放課後の教室で暇そうに机に突っ伏すイブを見ることもほとんどなくて、私としては少し寂しいところもあるけれど、頑張ってるイブを見るのも好きだから、教室で書類を片しながらグラウンドを眺める日々も悪く無い。
 

「まぁ、今回はちょっと負けらんないんだよね」
「ほう」
「すっげぇいいチームなんよ。行けるとこまで行きたい、てか、正直優勝しか見てないっていうか」
 

 チームのやりとりを思い出すように優しく微笑んだと思えば、表情がきゅっと引き締まった。瞳の中には静かに、でも強く燃える決意が見えるような気がする。ノートを見つめる横顔は、いつも話してる時の柔らかい感じよりも随分と凛々しくて、格好良く見える。
 

「いいね、その熱さ。あんま見たことなかった」
「でしょ? 実は負けず嫌いなんよ、俺」
「それはなんとなく知ってたけど。優勝したら告白でもするのかと思った」
「ふは、どっちも優勝したら二回告白できるって奴?」
「そうはならないでしょ、倫理観ヤバ」
 

 私が笑うと、だな。と言って一緒に笑って、机に肘をついて少し考えるように窓の外を見る。止みかけた雨雲の隙間から少しずつ光が差し込んで、少し眩しくなった。雨が止んだら、ミーティングは練習に変更になるんだろうか、少し唇を尖らせてグラウンドを見下ろす横顔を見つめていると、ふとこちらに視線が戻って、ばちりと目が合う。急いで目を逸らすと、小さく笑い声が聞こえた。
 

「してもいいけどねぇ」
「え? 何を?」
「え? 何って、告白?」
「こ、告白をするって事?」
「何回聞くんよ、そゆこと」
「そんないい感じな人が、居る、んだ」
「と、俺は思ってるけどねぇ」
 

 予想だにしない答えが返って来て、背筋がピンと伸びた。伸びた背筋とは反対に、胸の中はぎゅうと締め付けられて縮こまる。そんな素振り、全然気付かなかったし、前の彼女の時だって告白された話からずっと色々な相談を聞いていたはずなのに、今回はなにも言ってくれなかったな。そもそも、どんな距離感で聞いていたか忘れてしまったのは、その子と別れてから結構間空いたからじゃなくて、自分の気持ちがその時とは変わってしまったからなんだろう。目を細めて伺うようにこちらを見るイブの表情に、痛む胸がドキドキと音を立てるのが、余計に悲しい。
 

「好きな人いたんだ、いつから?」
「まぁね? わりとずっと居たかも」
「わかんなかった。前は相談してくれたのに…」
「まあ今回は出来んのよ」
「何で」
「それはまあ、流石にね?」
「どういう事」
「どういう事って、…だからそういう事。」
「わからんって、私が知ってる人って事?」
「そうねー。それはそう」
「…もしかして、会長?」
「いや何でそうなるん」
「仲良いし、いつも生徒会終わるまで学校に居るし、ワンチャンそう言うことかなと」
「あーね、それはバレてんだ。いや違うけどね?」
 

 平然を装って相手を聞き出そうと、何を聞いてもふわりとした回答で躱され続けて、あれからもっと仲良くなったと思ってたのに…と言って俯いた私の横で椅子を引いてイブが立ち上がる。ノートを片手に真横まで来たイブが、私の頭をクシャクシャに撫でる。それするの好きだけど、髪直すの大変なんですけど。睨むように見上げると、いたずらな微笑みが見えた。
 

「いや鈍くね?」
「え?」
「んじゃ、宿題頑張れよ」
 

 くしゃくしゃのまま放って置かれた頭を必死に梳いてもどしている間に、言われたことをしっかり理解して、しっかり自惚れてしまった。その瞬間から締め付けられていた心臓はばくばくと鳴り始めて、また背筋がピンと伸びた。それを見て小さく笑ってから、イブは廊下へ向かっていく。ドアの扉に手をかけながらふと足を止めて、少し俯いた。
 

「いや、やっぱ優勝せんくても言ってもいいか?」
「そ、そこは! 弱気になんないで、優勝してよ!」
「ふは、そだな。負けらんないしな」
 

 動揺しすぎて声は震えていたけど、それを聞いたイブが安堵したように笑って出て行ったから、返答が間違いじゃなくて良かったと思った。出て行く背中を追いかけて、廊下に向かってメンタル! って叫んだら、片手をあげてひらひらと手を振って少し振り返った。
 

「待ってて」
 

 元々全力で応援するつもりだったけど、もっと応援しなきゃいけなくなっちゃった。廊下から背中が見えなくなるまで見送って、ふらふらと自分の席に戻っても、心臓の音が収まる様子はなくて、ばらばらの書類に手をつける余裕なんてあるわけが無い。これじゃあ全部持ち帰りだ。少し恨めしくなりながら引いたままのイブの椅子を机に戻してやった。


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