ことしのはじめ、ほしふるよるに




 恐る恐るドアを開ける。寒いだろうとは覚悟していたけれど、思っていたより冷たい風が吹き込んで、後退りした。こんなに寒い中外で待たせてしまった事に申し訳なくなって、ベランダから下を覗き込めば、寒そうに体を擦るイブくんが見えた。家に上がるように言えば良かっただろうか、いやでも、それもおかしな話か。そんな自問自答をしながらエレベーターは待たずに階段を急いで降りる。エントランスを出れば、やっと来た。と吐かれたため息が白く立ち上って消えていった。
 

「おっせぇわ」
「突然来る方が悪くない?」
「いや、それはそう。突然ごめんな」
「素直かよ」
「いつも素直よ」
「そんな事は…まあいいよ。元旦に家出るとか、実は初めてだからちょっとドキドキしてる」
「マジ?」
「マジだけど」
「それ階段駆け下りたからじゃね?」
「…見てた?」
「ふはは、見ちゃったわ。急がせたのはごめんな」
「素直かよって」
「だからいつも素直よって」
 

 ちょっと散歩でもどうすか? そんな電話がかかってきたのは、カウントダウンを虚しく一人で迎えてしばらく経った後、声が聞きたいなと思った矢先だったから、嬉しかった。てかもう、近くまで来てんだわ。と、珍しく見切り発車の行動は、私が頷くと確信してなのか。衝動的なのか。堅実なタイプだと思えば、案外思い立ったらすぐ動き出すところがある。そんな気まぐれなところがまた、イブくんらしくて良いところって事が最近わかってきた。とりあえずは、女の子が外に出るのには時間がかかるってことは、身を持って持ってわかってくれただろうか。先に歩き出したイブくんの少し後ろを追いかけた。
 

「初の一人年越し、どうよ」
「んー、最初はワクワクだったよ。ちょっといい梅酒おろしてさ、こたつでゆっくりさ」
「おー、いいじゃん」
「でもさあ、やっぱ誰とも喜びを分け合えないのは悲しいよねえ。全然酔えないし。一人でカウントダウンしてる辺りで気づいちゃったよ」
「なるほどね? 独り身は辛いってやつね?」
「あのさあ、来てくれて嬉しかったって話しようとしたのにさあ」
「ふは、ゴメンゴメン、嬉しかったならよかったわ」
 

 正月太りなんて関係なさそうな薄い肩を小突くと、ゆらりと大袈裟に揺れながら笑う。ゆっくりと歩みを進めて、上がった息と鼓動は随分と収まった。ドキドキしたのは、階段を駆け降りたからというのも、元旦の真夜中に外出するという初めての経験に対してもあるだろうけれど、誘ってくれたのがイブくんだからというのが一番大きいと思う。だから、息と鼓動は落ち着いても、まだ胸の中はソワソワして落ち着かない。
 

「とか言うイブくんも寂しかったんじゃないの?」
「え? なんで?」
「会いに来てくれるってことはさ、人肌恋しかったってことじゃんね」
「まーそうね。なんて言うか、まあね。ほら、家も近いし」
 

 言葉を濁しながら鼻を擦って、チラリと私を伺いながら言った言葉には、照れ隠しが丸見えで笑ってしまう。そして、他にも家の近い友達が居るだろうに、私を選んでくれたことに少し舞い上がった。
 
 正直言ってこの人が、天然の人たらしなのか、本当に隠し事が苦手なタイプなのかは未だに分かっていなかった。ほんの数ヶ月前に広い講堂で隣に座っただけだったイブくんのことを、今では新年の最初に会いたいと思ってしまって、会いたいと思ってくれたことに、こんなに嬉しいと思っている。それは、イブくんの思い通りの展開になっているんだろうか。それとも、複数いる女友達のうちの一人が、勝手に舞い上がってるだけなんだろうか。深刻に考えるほどではないけれど、できるだけ長く、この心地良さが続けばいいのに。なんて胸の内を淡く濁らせ続けていることにはきっと、気付いてないんだろう。それはそれで、少し悲しいけれど。
 

「実は私もちょっと思ってたよ。電話でも掛けよっかな、とか」
「マジ? 掛けてこいよ」
「いやでも、彼女でもないのに電話なんて掛けたらさすがに迷惑でしょ」
「そうね? …んまあ確かに」
「でしょ? よろしくやってる時にかかって来たらどうするつもりよ、ね?」
「変な妄想すんなよ。いや居らんけどな?」
「マジ?」
「マジよ。えぇ、チャラい奴だと思われてた?」
「いや、どっちなんかなって」
「どっち?…ふはは、そうね、そっちじゃないかも」
 

 そんな事を考えながら話すものだから、どっちなんかな。なんて、まるで探るような言葉が口を突いて出てしまったことに少し後悔した。それに対する言葉もどこか伺うようで、さりげなく伝わってしまった言葉の意味になんとなく返すことばが見つからなかった。歯切れの悪いまま静かに歩き続ける。話題を変えようか、冬休みの間の話とか、実家の事とか。考えながら歩いていたら、イブくんがふと立ち止まった事に気付かずにぶつかってしまった。ごめん、と言って見上げると、こちらに向き直ったイブくんとばちりと目が合う。優しく細められた青と黄色は、真っ直ぐこちらを見つめていた。
 

「そう。そゆことよ」
「ん?」
「電話、遠慮しなくていいよ」
「?? …だからさあ」
「なっちゃえば良いじゃん」
「え」
「彼女。なってよ」
 

 好きだよ。と、さらりと告げられた言葉に驚いて目を見開いた。すぅと吸った息が肺を冷やしても、身体の中はドキドキと血が巡って熱い。イブくんは、驚く私を変わらず優しい表情で見つめている。白い息が、星たちが、さっきよりもキラキラしてるように見える。眩しく感じて目を伏せて、うん。と小さく返事して首を縦に振った。ふはは。こんどは笑い声がして見上げると、照れたような、ホッとしたような顔をしたイブくんが私の頭を撫でた。
 

「あれ? 何かしおらしくね?」
「あのさあ、なるでしょそりゃ。突然そんなさあ」
「そんな突然か?」
「いやまあ……や、そんなの分かんないでしょ!」
「ふはは、そりゃそうかあ、分からんかったな、どっちか」
「わからんよ…イブくんのこと、全然」
「分からんくてもいいの?」
「それは…うん、いい」
 

 なんだそれ。と揶揄うように笑いながらぐりぐりと少し強いくらいの力で撫でられるのにも照れ隠しを感じる。力が収まって、知ってくれたらいいんよ、ゆっくりさ。と小さく呟いた声が一段と優しくて、飾らない、等身大な所が好きになったのは、きっと間違ってないんだなとなんとなく分かって、嬉しくなった。
 

「んじゃあまあ、今年もよろしくってか? 今年からよろしく? ってことでね、いいんかな」
「そうね。よろしくだね」
「ふは、いいねぇ」
 

 今にも降り出しそうなくらい綺麗な星たちも、嬉しそうにこちらを伺う微笑みも、やっぱりまだ眩しくて、真っ直ぐ見つめられないや。悴んだ私の手をさりげなく包んだ大きな手は暖かくて、優しい気持ちになる。これは寒いだけだから、と自分に言い訳をして、その大きな手に指を絡めた。





return
>>>