小さな戸は、ほんの少し他人の手が触れただけで音を立てるのだ。
「ハルナ! 遅くなってご、め……ん」
学生時代と変わらず、ギターを背負った隼人の姿があみの視界に飛び込んでくる。焦ったときに上擦る声も、どんな感情も顔に出てしまうところも、何も変わっていない。
変わったのは、二人の関係だけだった。
*
その場で固まってしまった隼人を何とか着席させようと、春名が懸命に肩を押さえつける。隼人は我に返り、気まずそうにあみの方へ視線を向けながら、春名の隣に座った。
「いやいや、ハヤトはそっちだろ。高校のときはそうだっただろ?」
「何で?! いやそもそも何で?!」
「何が?」
「と、とぼけないでよ! ハルナが大事な話をしたいって言うから、走って来たのに……」
「俺にとっては、じゅ〜ぶん大事な話なんだよなぁ」
春名はそのままあみの方へチラリと視線を向ける。全てを見透かされているような目に、彼女はつい目線を外してしまった。
春名は悪びれる様子もなく、ケラケラと笑い隼人にアルコールを勧めた。
「とりあえず俺、トイレ行ってくるからちょっと二人で話してて」
春名の言葉に「は?」と思わず声が被った。そして、堪らず隼人とあみの視線がぶつかる。春名はその様子に満足したのか、気分よく席を空けた。
隼人のドリンクが運ばれてきても、特に会話は生まれなかった。そんなお酒、飲めるようになったんだねと考えていることは同じはずなのに、口に出すのはもどかしい。あみは、グラス越しに見える若葉のような髪色を見つめることしか出来なかった。
「い、いやぁ……ほんと久しぶりだね! 何年ぶり、かなぁ?」
「……そうだね、卒業してからそんなに会ってないから」
「だ、だよね!」
隼人は己の会話のレパートリーの無さに心の中で涙を流した。野球は出来ても、会話のキャッチボールはこんなにも下手なものなのか。
グラスを口に運ぶ仕草をしながら、あみの姿を盗み見る。
髪が伸びたんだね、メイクも少し変えたのかな。そのネックレス、見たことないやつだ。
彼女を見ると曲のフレーズが浮かぶかのように、話したいことが浮かんでくる。しかし、五線譜にその音符を並べることはない。
これはダメ、あれはダメ。ならこれは。そうして無意識にギターの弦を弾く動きをするのとと同じように、彼の口からぽろんと一音溢れた。
「……あのさ、俺の名前忘れちゃった?」
「え……?」
「さっきから、名前呼んでくれないから、忘れちゃったのかなぁ……って思って、その」
隼人は自分の生み出した音に後悔したが、そのまま奏でるのを止めなかった。すると、あみが応えるように音を繋げた。
「……隼人くん。秋山隼人くん、覚えてるよ」
何万回と聞いたそのフレーズに、隼人の胸は高鳴った。しかし、自分とは裏腹に寂しそうな顔をしているあみを見て深呼吸をする。
「あのさ、俺高校のときから連絡先変わってなくて」
「……えっと、ごめん。変えちゃった」
あみがそう言うと、隼人は分かりやすく悲しそうな顔をする。彼女が連絡先を変えたのは、トークの一番下に彼の名前が残り続けるのが見ていられなくなった自身のせいだ。たらればばかりを考え続けて、前を向けないのならと思い切って消してしまった。段ボールに閉じ込めた数年前の思い出は、あの頃の輝きのままにしておくべきだったから。
「あのさ! あみが良ければまた連絡先交換しようよ。その……あの……同窓会の連絡、とか」
そんなのは春名に任せればいい、そう言ってしまえばいいものを言葉にすることは出来ず、あみは黙って隼人の奏でる音を聞いた。
「ごめん嘘。俺が知りたいから連絡先教えて」
鳴り響くギターの音は、もうあの頃とは別物だった。