君に焼かれるのは僕だけでいい



きっかけは一本の電話だった。珍しく同じ事務所に所属する友人の九十九一希の名前が、ディスプレイに表示された。
「もしもしー? 一希先生が電話してくるなんて珍しいねー?」
「想楽さん、今どこにいる?」
「今? レッスンが終わって駅に向かうところだけどー……」
「そのまま今送った店まで来てくれないか。りおんさんに捕まってしまったんだ」
「はー……?」
九十九から送られてきた店の場所は、駅のすぐ近くであった。想楽はすぐさま画面を切り替え、飲み潰れているであろう彼女の通話ボタンをタップした。



何故彼女が想楽の友人である九十九と居るのかはさておき。現在の時刻は二十時前。一体何時から飲んでいたのだろうか。素知らぬ顔でアルコールを口にする彼女に、もはや怒る気力すら失せてしまった。
「……で、たまたま店の外を歩いていた一希先生を捕まえたと」
「九十九くん久しぶりに会ったからつい……」
「おれが捕まった時点で既にかなり飲んでいたみたいだ」
「雨彦さんじゃないだけましかなー……」
重いため息を吐く想楽の隣で、彼女は次のグラスを手にしようとしている。その辺にしておきなよ、と言ったところで無駄なのは彼が一番よく分かっていた。
そもそも今日は飲みに行くなんて聞いていないし、なんで真っ先に連絡を入れないのか。
酔っぱらい相手に考えても仕方のないことばかり、頭に浮かんでは消えを繰り返す。カランと音を立てる氷が溶けるの眺めることしか出来ずにいた。
「想楽くんは飲まないの?」
「一応明日も仕事だしねー……って、りおんだって明日も仕事なんじゃないのー?」
「仕事だからって飲まない理由にはならないよ。ほら、九十九くんも飲んでる」
「一希先生? ちゃっかり飲んでたんだねー?」
「想楽さんも来たことだし、せっかくだから」
「仕方ないなぁ、僕も飲むよー」
想楽がメニュー表を捲るより先に、彼の分のお酒がテーブルに運ばれてきた。いつの間にか彼女が頼んでいたらしい。どうせ飲むだろうと思ってね、とケラケラ笑いながら、彼女は新しいグラスに手を伸ばした。
結局、彼女のペースに流されてしまうのであった。



それから数時間三人で飲んだ後、想楽とりおんは九十九と別れた。
「ちょっと、何で缶チューハイ持ってるのー?」
「さっき二人が話し込んでる間に買ってきた。もう一本あるけど飲む?」
「要らないけど、これは僕が持ってるねー」
彼女の手にぶら下がっていたビニール袋を手に取る。一本どころか二本以上入っていたのは目を瞑った。
初めて彼女とお酒を交わしたときの飲みっぷりには、驚かされたがまさかこうなるとは想楽も想像していなかったことであった。酔っ払って電話が掛かってくることなんて、日常茶飯事である。今日のように友人に呼び出されることもよくあることだ。それでも想楽は彼女の世話を焼くのを止められなかった。惚れた弱み、とでも言うのだろうか。いっそのこと他人に迷惑をかけてしまえばいいのにと思う反面、自分以外の誰かに介抱されているのを見るのは御免だ。
あっという間に空になった缶を鳴らしながら歩く、彼女を見て曇った感情など湧き上がって来なかった。
「明日も仕事なんだよね、送って行かなくても大丈夫だよ」
「家に入るところを見届けないと気が済まないからダメかなー」
「ダメって何?!」
想楽も大概酔っているのかもしれない。彼がアハハと声を出して笑うと、そのままするりと彼女の手を握った。彼女は視線を上げると、ほんの少しとろんとした目をした想楽と目が合った。どきりと心臓が跳ねたことがバレないようにぎゅっと握り返す。しかし、彼には見透かされているのか笑みを浮かべながら、顔をのぞき込まれてしまった。
「想楽くんも酔ってるね、珍しい」
「まぁ一希先生とりおんだったからねー。つい飲みすぎちゃったかもー」
「明日遅刻しないでね」
「それはりおんもじゃないー?」
駅までの道のりを時間をかけて、ゆっくりと歩いた。改札を抜け、互いのホームへ向かおうと繋いでいた手が離れる。ひらひらと振られた掌を見つめて、想楽はもう一度その手を握った。
「……職場、僕の家からでも行けなくは無いよねー?」
彼女はその言葉に、茶化すつもりで声を掛けようと想楽の方に目線を向けたのだが。
本当は最初からこのつもりだったのかもしれない。彼の赤い瞳に射抜かれて、言葉が喉元で突っかかってしまった。
彼女の言葉を待たずして、想楽は腕を引っ張る。そのまま彼の腕の中に収まってしまった。
「ほら、早く帰ろうよー」
どうやら首を縦に振る以外の選択肢は与えられていないらしい。彼女は反対のホーム、想楽と同じホームへと足を進めた。

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