特に決めていたわけでもないが、毎日仕事が終わると、連絡を入れる。まだ終わらないかも、なんて残業の報告まで丁寧にするくらいだった。しかし、今日は想楽が彼女に連絡を入れてから、一時間経っても返事がない。既読もつかない。そもそも連絡はマメでは無い方であることはよく分かってはいるが、この手の連絡に返事がないのは珍しいことだった。
想楽は、もしかして飲んでいるのかもと彼女ならやりかねない選択肢を頭に浮かべる。彼はため息を吐いて、彼女とのトーク画面を開いた。打ち慣れたその言葉は、一文字打つだけで予測変換に現れた。
『どこかで飲んでるの?』
今更飲みに行くのをやめろなんて言うつもりはない。というか、そんなことを言っても無駄なのは、想楽が一番よく分かっている。せめてきちんと連絡を入れてくれればいいものの、どこかで抜け落ちてしまうのか、彼が彼女を咎めるような形になってしまうのだった。
すると、意外にも早く既読が付いたようで返信が来る。想楽は通知画面に触れ、短い彼女の文章を読み上げた。
『いま仕事終わったの』
『でも飲みに行こうとしてた。よく分かったね』
『想楽くんも飲む?』
ぽんぽんとテンポよく送られてくる文章からも、彼女の気分が上がっていることが見て取れる。想楽は飲みに行く前で良かった、と一安心しつつ、彼女の誘いに答えた。
*
想楽が駅に着くとタイミングよく電車がやって来たのか、改札口から彼女の姿が見えた。彼女は彼の姿を見つけると、駆け足で近寄って来た。
そして、意気揚々とぶら下げていた手提げ袋を掲げ、どんと胸を張る。これは嫌な予感がする。想楽の予感は大抵当たるのだ。彼女は、彼の予想通りとびっきりの笑顔を見せ「日本酒貰ってきたんだ」と声を弾ませた。
今夜は眠れないかもしれない、と想楽は二度目のため息をつく。彼女はそんな彼にも慣れた様子で、足を進めた。
用意周到な彼女は、電車に乗り込む前につまみも買い揃えていたようで、テーブルの上はあっという間に居酒屋へ早変わりした。
想楽は、彼女がよく飲むからと買ってきたお猪口を取り出し、慣れた手つきで注ぐ。いつの間にか、苦手だった日本酒もそれなりに嗜めるようになっていた。それもこれも、彼女のおかげ。というよりかは、彼女のせいであるが。
想楽の心中などどうでもいいと言った顔の彼女は、かちんと音を鳴らし、ゆらゆらと液体を揺らすとそのまま口の中へ流し込んだ。彼女の飲みっぷりを見るのは嫌いじゃなかった。
「これ美味しい……!」
「僕も飲んでみるよー。……あ、確かに飲みやすいし、美味しいねー」
「うわ、飲み過ぎないようにしなきゃ」
「本当にねー」
想楽は彼女に釘を刺すように、視線を向けるが、彼女は既にテーブルの上に並んだつまみに夢中だった。
彼は眉を下げ、呆れた表情をする。しかし、自分が隣にいるからいっか、なんて考えてしまうくらいには彼女に甘かった。
「これ美味しいよ」
「んー? どれー?」
「これ。ほら」
彼女は躊躇いなく、箸を想楽の口元へ寄せる。彼は思わずムッとしながら、ぱくりと食らいついた。恥じらうこともなく、至極当然であるかのような行為に、彼は勝手に嫉妬心が生まれるのを隠しきれなかった。
アルコールの勢いで、距離が近くなる。なんてことは彼女にとっては日常茶飯事なのかもしれない。それでも、想楽にとっては気が気でない。だからこそ、自分の知らないところで飲みに行くのはやめて欲しい、と思うのであった。
ゆらゆらと揺れる液体が、自分の心を写し出しているような気がして、想楽は思わずぐいっと飲み干してしまった。まるで、感情を隠すかのように。
「想楽くんもう飲んだの? 珍しいね。まだ飲む?」
「……飲もうかなー」
普段なら彼女よりも早いペースでお酒を口にすることなんて有り得ない。しかし、何故か今日に限ってはアルコールの力に頼りたくて仕方がなかった。
他の誰かが知っているのに、僕は知らない君の一面を後から知るなんて、もう懲り懲りだ。君のことは、全部、僕だけが知っていればいいのに。
ふわふわとした頭で、そんなことばかりを考えているうちに、想楽はいつの間にか机に突っ伏して眠っていた。
*
とんとん、と肩を叩かれ顔を上げるとお猪口を口にする彼女と目が合う。まだ飲んでたの、と言いたいのに言葉にすることが出来ず、ただ彼女を見つめることしか出来なかった。
「疲れてた? 酔うの早かったね」
「うーん…そうかもねー…」
歯切れの悪い返事に、彼女は首を傾げるが、想楽は自分が酔っ払った理由を思い返し、頭を抱えた。何を今更、と言われてしまえばそれまでではあるが、それでも彼女のことを考えると、冷静さを欠いてしまう。
想楽は、ぐらぐらと揺れる視界で、ただただ真っ直ぐ彼女のことを見つめる。
じっと見つめるその視線には、熱を含み、じわじわと彼女の逃げ道を塞いでいった。
「水飲む? 持って来るからちょっと待ってて」
「水は要らないかなー」
「え? じゃあお茶にする?」
「違うよ、そうじゃないよー」
想楽は、彼女の頭に手を回し、ぐいっと引き寄せる。そしてそのまま唇を重ねた。
驚きのあまり、身を引こうとする彼女に対して、彼はさらにぐっと力を入れ、後頭部を押さえ込む。日本酒の甘い味が、鼻をかすめ、アルコールが互いの温度を上げていく。
ちゅ、じゅる、と音を立て、荒くなる彼女の呼吸に、想楽の欲は加速していくばかりだった。ぐいっと彼女に押し返された反動で、彼はそのまま彼女のことを床に押し付けた。
肩で呼吸をし、赤い顔を彼女に向ける。欲にまみれたその表情に思わず、彼女の心臓が跳ねた。彼女は呼吸を整えながら、想楽に声を掛ける。けれども、彼の表情は変わることは無かった。
「想楽くん、どうしたの……?!」
「どうもこうも、りおんが悪いんだよー」
「な、何……どういうこと……」
「…………りおんが、僕の知らない顔するから」
「知らない顔って何? 私そんな顔してた?」
想楽の言っている意味がいまいち理解できない彼女は、困惑しながら、彼の言葉を待った。赤い瞳が、彼女の瞳を捉え、ゆらゆらと揺れる。少し蕩けた表情に、これは酔っているなと分かっても、彼の手を振り切ることは出来なかった。
想楽の顔が、拗ねた子供のような表情をしていたから。
「お酒が入るとすぐ距離感おかしくなるし、笑い上戸でにこにこするのも、勘違いさせるだけだから、本当にさー……やめて」
「ご、ごめん……」
「本当にごめんって思ってるのー? 僕だからいいとか思ってるでしょー」
「それは……はい……まぁ、想楽くんだし……」
「ふーん……」
ぐちぐちと言いながらも、想楽はずっと彼女の手を握ったままだった。そして、すりすりと手を撫でながら彼女から目を離すことはなかった。
真っ直ぐに、彼女の視線、狙い撃ち。
「僕だって、我慢出来ない日もあるんだよー?」
「我慢って……何が……」
「とぼけないでよねー」
想楽は、ぐっと顔を近付けると同時に体を彼女に寄せる。そして、熱を持った自身のそれを彼女に押し付けた。
ようやく言葉の意味を理解した彼女が、顔を赤く染め、彼を押し返そうとするが、すでに時遅し。ぐり、と押し付けられたそれに、彼女の身体も反応する。
返す言葉もない彼女は、目を泳がせていたが、最後にはきゅっと目を瞑った。
それが合図になり、想楽はにやりと口角を上げて、彼女の唇に噛み付くのであった。