彼女は、想楽のことを心の中でそう呼んでいた。大学生である彼と高校生である彼女では、あまりシフトが被らない。入れ替わりのタイミングで会えたらラッキー、といった程度である。
想楽に会えた日は、何だか心が弾んで、寄り道をして帰りたくなってしまう。普段は手に取らない少し高いスイーツを買いたくなる。そんな気分だった。
いつものように、アルバイト先に顔を出すと事務室には想楽が居た。この時間に居るのは珍しい。夕方の勤務は、主に高校生ばかりで、大学生は日中にいることの方が多い。
彼女は、今日のコンビニスイーツを考えながら想楽に挨拶をした。ミニパフェにしようかな。
「おはようございます、北村さん」
「おはよー」
普段から特別会話をするわけでもない。たった一言やり取りをしてから、会話が続くこともなかった。
仕事着である緑色のエプロンを身につけ、彼女は適当に椅子に腰かける。出勤の時間まであと十分。二人きりの空間がなんだがむず痒かった。
不用意に前髪を整えたり、化粧を気にしてしまう。いつもはこんなことなんて、しないのに。
「りおんさん」
「……は、はい!?」
「驚きすぎじゃないー?」
「いや、急に呼ばれると思ってなくて」
そもそも自分の名前を知っていたことに驚きつつ、彼女は想楽に言葉を返す。
話によると、今日のシフトは二人のようである。急遽、シフトに穴ができ、彼が代打として打席に立ったようだ。
彼女は、ミニパフェを二つ買おうと決意した。
「ってことでよろしくねー」
「こちらこそです」
小さく頭を下げると、想楽はにこにこと微笑んだ。なんだが身体中の毒気が抜かれていくような感覚である。不思議な雰囲気をまとう彼に、ますます惹かれているような気がした。
*
想楽と勤務を始めて数時間。最初の方こそ、客足が多く慌ただしかったが、あっという間に二人だけの時間になってしまった。普段のシフトなら、軽く会話をしたりして時間を潰すが、今日は話が違う。隣に立っているかっこいいひとを目の前に、どうすればいいの分からなくなっていた。
それにしても、いや、本当にかっこいいな。
見上げても綺麗な造形をしている。実はアイドルだったりして。なんて、勝手に彼で妄想を繰り広げた。すると、心の内を読まれたかのように、突然想楽に名前を呼ばれた。心臓に悪い。
「りおんさんってさー、この辺の高校なのー?」
「え? あ、はい。ここから近いですよ」
「へえー。あ、もしかして」
想楽と話をすると、肩の力が抜けていく。きっと、気を使って話しかけてくれたのだろう。そう分かっていても、その気遣いが彼女には嬉しかった。
いつの間にか話は弾み、時間を忘れるほどであった。
しばらくして、また客足が増えた。
品出しをする想楽と、レジを対応する彼女。彼の後ろ姿が、レジから見えて何だが嬉しくなってしまう。やっぱりかっこいいひとと話をすると、なんだか浮かれてしまうようだ。
彼女は、上機嫌で笑顔を見せながら、いらっしゃいませと目の前に立った客に声を掛けた。
「この店にこれないの?」
敬語も使わず、ずいっと差し出された端末には日用品が映し出されていた。雑貨屋にそんなものは置いていない。むしろ向かいのドラッグストアを利用して欲しいくらいだ。
しかし、何となく気分の良かった彼女は普段よりも丁寧に、そして笑顔で質問に答えた。
「その商品ならこの店にはないですね。多分あっちのドラッグストアに……」
「いやそっちにもないって言われたんだよね」
「でしたら、違うお店に行って頂ければ」
「どこ?」
心底面倒くさいと言った顔で、尋ねられ思わず彼女の眉間にしわが寄る。彼女は何とか平常心を保ち、思いつく限りの店名を上げた。正直、そんなものは自分が手にしているスマートフォンで調べて欲しい。
客も納得したのか、それ以上彼女に聞いてくることはなかった。彼女は作業に戻ろうとするが、再び同じ客が声を掛けてきた。まだ何かあるのかよ、と彼女はまた眉間にしわを寄せる。くるりと振り返ったときには、いつも通りの笑顔を見せて、声をかけた。
「何でしょうか?」
「お姉さんさ、この辺に住んでるの?」
本当に聞きたかったのはこっちか。
彼女は出来る限り、笑顔を崩さないまま「そういった個人情報はお伝え出来ません」と返事をする。しかし、食い下がる気配のない客は、さらに質問を続けた。突然彼女が答えることはなく、のらりくらりと躱しているのだが、客も一向に引く気配がない。あまりにもしつこい客の姿勢に、彼女も喧嘩腰になる。彼女の反応がに気に食わなかったのか、客が大声を上げそうになった瞬間、トントンと後ろから肩を叩かれた。
「りおんさん、代わるよー」
「え? 代わるって」
「いいから、いいからー」
彼女の肩を叩いたのは、想楽だった。彼は彼女の居たレジ前に立つと、客の前でにっこりと笑う。その顔は何だか不気味なようにも思えた。
「困ってるの分かりません?」
怖。彼女は、咄嗟に口から出そうになった言葉を飲み込み、想楽の顔を見上げた。すると、視線に気付いた彼が、ふっと表情を和らげ、彼女の肩を掴んだ。そして、くるりと方向転換させ、レジ奥へと押し込む。
「喧嘩しようとしちゃダメでしょー」
「え、私が悪いんですか?」
「威勢がいいのはいいけど、殴られたりしたらどうするのー……」
想楽は思わず、彼女の答えに呆れた顔を見せる。彼はとにかく変な人に当たったら、誰かにちゃんと言うんだよ、とまるで保護者のように彼女に釘を刺した。
「北村さん、お兄ちゃんみたいですね」
「僕、弟なんだけどなー」