花巻貴大×夏×「倒れる前に言って」みつ




 ジリジリと地上を灼く太陽と、ジリジリと朝からうるさい蝉の声。アスファルトに視線を落とせばくっきりと切り取られた二人分の影が揺れている。
「……あっちぃな」
「……そうね」
 待ち合わせをした十時頃は幾分マシだった暑さも、十二時を超えれば最高潮。近場のファミレスで昼食をとって外に出ると、クーラーが効いていた店内とのギャップに眩暈がする。
 ちらりと横目で貴大を見れば代謝が良い彼は私なんかよりずっと汗をかいていて、今も一筋の汗が彼のこめかみから頬を伝ってぽたりと落ちた。
「貴大、汗すごい」
「今日暑すぎんだよ……またどっか店はいるか?」
「えー、今出てきたばかりなのに? お腹いっぱいだし……」
 それに加え今は夏休み。商業施設はどこもかしこも学生で溢れ、いつもよりずっと混雑していた。できれば人込みは避けたいが、この時期にそれは無理な話だろう。こうしている間にもじわじわと汗が吹き出し、体はぺたぺたするし、ファミレスのトイレで直した化粧も既に崩れている気がする。
「じゃあ、どっちかの家いこーぜー」
 ぐったりとした声で提案されたそれに、私もぐったりとした声で同意した。
「そーだねぇ。ここからだとうちの方が近いかな」
 特に目的があるわけでもなく会う約束をして、適当にぶらぶら歩いて、なんとなくどこかの店に立ち寄るのが私達定番のデートで、例にもれず今日もそれだった。外に居ずとも不都合はない。
「じゃあおばさんにお土産買って行こうぜー」
「えー、いいよお土産なんて。もうお腹いっぱい!」
「お前にじゃねーの。おばさんに買っていくの。ほら行くぞ」
 貴大は呆れ顔で言うと私の手を握って歩き出す。その手は私の母が玄関で出迎えた時も離されることはなくて、私は彼のそういうところがとても好きなのにそれを彼に言えたことがない。
「こんちわ! お邪魔しまーす!」
「まぁまぁ、貴大くん久しぶりじゃない! また背が高くなって男前になったんじゃない?」
 母の台詞に、つい先月も会ったばかりなのにそんな変わるもんか、と思うがそれは口に出さないでおく。とにかく母は貴大がお気に入りなのだ。
「やだなぁ、おばさんたら褒め上手なんだから! これお土産っす!」
「あら嬉しい!」
「ほんとは俺お勧めのシュークリームにしようかと思ったんすけどねぇ、なまえがさっきパフェ食べたからクリームは食べたくないって言うもんだから」
「まぁ、貴大くんのお勧めスイーツはずれがないからいつも楽しみにしてるのに、残念ねぇ」
「でもこのゼリーも美味しいんすよ!」
「じゃあ楽しみだわぁ!」
 放っておいたらいつまでも玄関先で話していそうな二人だが、私はさっさと涼みたいのだ。いつまでも生ぬるい玄関にいるつもりはない。
「ちょっとお母さん。玄関暑いからそろそろ部屋に行きたいんだけど」
 無理やり会話に割って入れば母からはぞんざいな返事が返って来る。
「はいはい。それよりあなたすごい汗だくじゃない。さっとシャワーだけ浴びてきなさいよ」
「わかってるよ」
「貴大くんも良かったらシャワー使ってね! 着替えはお兄ちゃんがうちに残していった服出しておくから。脱いだ服は洗濯機に入れておいてくれれば帰るまでには乾かしておくわ」
「そんな、いつもすみません」
「いいのよー」
 母は嬉しそうにニコニコ笑って、私は心の中でため息をつく。ほんと、貴大がお気に入りなんだから。貴大と母が話し始めるといつも長い。
「ほら貴大、取り敢えず先にシャワー浴びてきなよ。部屋で待ってるね」
 それだけ言って一人階段を上る。中学生の頃からの付き合いである貴大に我が家の勝手を説明するまでもない。
 二階にある自分の部屋の扉を開けるとむっとした空気がまとわりついてきて、私はクーラーの電源を入れると弱から強に切り替えた。
 それから待つこと十五分程、貴大がお盆にグラスを二つ乗せて部屋に入ってきた。
「おー涼しー!」
「おかえり」
「これ、おばさんが麦茶入れてくれた。あと、この後買い物行くけど何か買ってくる物はないかってさ」
「わかった。私もシャワー行ってくる」
「この前の漫画の続きは?」
「あー、あれかなり古いやつだから続きはクローゼットの中探さないとないかも。適当に探して勝手に読んでていいよ」
「はいよ」
 言うや否や貴大はクローゼットの中を物色し始めていて、この遠慮の無さも付き合いが長いが故だろう。
 母に特に買ってきて欲しい物は無い旨を伝えてシャワーを済ませ、部屋に戻ったのは三十分後程度経った頃だったと思う。部屋に戻ると、その三十分で随分と様子が変わっていた。
「は? なにこれ」
「ちょ、そこ気を付けろよ」
 扉を開けると貴大が真剣な顔で床に這いつくばっていた。その目の前にはドミノが小さな列を成している。
「これ、どうしたの?」
「クローゼットの中にあった」
「あー……小学生の時くらいに買ってもらったかも」
 私の声は届いているのかいないのか、貴大は小さなドミノの列を伸ばしていくのに夢中だ。
――全く、集中すると人の話聞かないんだから。
 私は呆れながらもドミノの列を避け、ベッドまで辿り着くとそのふちに腰かける。貴大の真剣な表情を見る限りしばらく相手はしてもらえなさそうだ。私は手近にあった漫画に手を伸ばした。
 それからどれくらいの時間が経っただろう。手に取った漫画も読み終わってしまい、ふと顔を上げる。
――まだやってるし!
 時計を見れば私が漫画を読み始めてから二十分。ドミノの列はかなり長くなっていて、いつの間にやら本を重ねて階段まで作られていた。私の恋人は今まさに真剣な表情で本の階段にドミノを並べている。
――その本、ちゃんと後で片付けてくれるんでしょうね……。
 今は言っても聞かないだろうから心の中に留める。
 夏休み、昼下がり、窓から差し込む強い日の光とクーラーが効いた部屋。本の階段の天辺から下るようにドミノを並べていく貴大と、それを眺める私。
――なんだ、この状況。
 おかしい。今日はデートのはずだった。確かにいつもぐだぐだなデートだが、未だかつてこんなにも解せない気持ちになるデートはあっただろうか。目の前で懐かしのおもちゃに夢中な恋人に文句の一つでも言ってやりたい。しかし、あまりに真剣な表情にそれが躊躇われる。
 それからさらに十分程経っただろうか。私をほったらかしておもちゃに夢中な恋人は、先程よりも高く作った本の階段に小さな板を慎重に並べていた。文句も言えないままその様子を眺めているしかない私だったが、しばらくそれを眺めているとなかなか悪くない気さえしてくるから不思議だ。子供みたいに夢中になっている姿もかわいい、なんて馬鹿みたいだけど。
――あ。
 ぼんやりと長いドミノの道を眺めていると、本の階段の天辺に並べられた数枚が目に付いた。
――あー、これは……。
 そう思った瞬間“カコン”と軽い音がして次から次へとドミノがお辞儀し始めた。
「えっ、あっ、あー!!」
 貴大の悲痛な叫びをよそに、ドミノはカコカコと軽快な音を立てて倒れていく。そしてあっという間に、ついには端まで倒れてしまった。
「あーあ。階段の上の、クーラーの風で揺れてたから倒れそうだなとは思ったんだよねー」
「倒れる前に言って!!」
 私の言葉に貴大はまたも悲痛な叫びを上げたが、知った事か。
「そんなこと言われても。そもそも、何も言わず大人しくしてあげたんだから感謝してほしいくらいだよ」
「あーもー、せっかくここまで頑張ったのに……」
「聞けよ」
 まったくもって失礼だ。恋人に放置され、それでも大人しく見守ってあげたのにこの仕打ちは酷いんじゃないだろうか。憤慨する私をよそに、貴大はよろよろとこちらに来ると力なくベッドに倒れた。
 それと同時に、軽いノックの音がして扉が開く。
「なまえー、入るわよー。これから買い物行くけどホントに何もいらないのー? あら、随分と懐かしい遊びしてるのねぇ」
「貴大が頑張ってたんだけど、今倒れちゃったとこ」
「あらぁ、それで貴大くん元気ないの?」
 力なくベッドに沈む貴大を見て母がくすりと笑う。
「元気でるようにシュークリームでも買ってきてあげて」
「はいはい。じゃあ行ってくるわねー」
「行ってらっしゃい」
 母を見送り、後ろで力なく倒れている貴大を見る。
「貴大、シュークリーム買ってきてくれるって」
「……おう」
 小さく返ってきたのは拗ねたような返事。正直、私の方が拗ねたいくらいだ。
「もー元気だしなよ。ドミノくらいで!」
「がんばったのに……」
「はいはい」
「なまえが慰めてくれないと元気でない」
「はぁ? ここまで放置しといてよく言うよ」
 さっき言えなかった文句を言えば、腕を引かれてベッドに倒される。
「うっわ! びっくりするなぁ! もう!」
「慰めて」
「馬鹿じゃないの」
「ひどい」
「ひどいのはそっちでしょ」
「ごめんね」
「いや」
 馬鹿みたい。馬鹿みたいなのにこんな形でも構ってもらえたら嬉しいのだから仕方がない。私に覆いかぶさるようにした貴大の顔がゆっくりと近づいて来て、二人の距離がゼロになる。何度も何度も、たくさんのものを埋めるように。柔らかな感触と熱い吐息に、私の中がゆるゆると満たされていく。
「……ちょっと、どこさわってんの」
「だめ?」
 どさくさに紛れて素肌を撫でる手を咎めても、それが止まることはない。
「だめ。せっかくシャワーも浴びてすっきりしたのにまた汗かいちゃう。汗かきたくなくて涼しいとこ来たのに意味ないでしょ」
「炬燵でアイスって贅沢だよな」
「なに言ってんの」
「涼しいとこでアツいことすんのも贅沢じゃね?」
「馬鹿じゃないの」
 私の暴言なんて気にもしないで、いつもの笑みで私の口を塞ぐ。
「なまえ」
 ただ一言、甘く名前を呼ばれるだけで許す私も大概だ。優しく素肌を撫でる彼の熱を感じながら、私は今日も甘い日常に甘やかされていく。

2017.08.01 みつ