五色工×お祭り×「それって俺のため?」みつ




「じゃあ八月四日は十八時に神社集合ね!」
 夏休み前の最後の登校日、クラスは納涼祭の話で盛り上がっていた。俺はそれを遠くで聞きながら、手早く教科書やノートをエナメルバッグに放り込む。
――今日こそ、牛島さんに勝つ!
 夏休みよりも納涼祭よりも、俺にはこっちの方が大事だ。そう意気込んだところで、良く通る声に呼び止められた。
「五色!」
 振り向いた先にいた顔に、思わず「げ……」と声が漏れた。
「げ、とは何よー」
「お前と絡むと碌なことないから……」
「失礼だなぁ!」
 みょうじは憤慨しているが、本当の事だ。碌なことがないと言うより、手玉に取られていると言った方が正しいか。みょうじと関わると自分が自分の思い通りにならなくて、なんだかどっと疲れてしまうのだ。
「俺、部活あるから。じゃ」
「待ちなさいって!」
 後ろからエナメルバッグを掴まれぐいっと上体がのけぞる。
「あ、あぶな……!」
「だって五色が話聞いてくれないからー」
「あーもー、なんだよ!」
「納涼祭、来る?」
 納涼祭。さっき遠くで盛り上がっていたクラスの集まりの事だろうか。
「行かないけど」
 そんな暇があるなら牛島さんに勝つ為に時間を使いたいし、どちらにしても土曜日は部活だ。
「なんで? 部活?」
「そう」
「何時まで?」
「土曜は十八時まで」
 さっき聞こえてきた話では十八時が集合時刻だ。どう頑張っても間に合わない。
「多少遅れてもいいから来なよ」
「えー」
「来なよぉー」
――食い下がるな……。
 どうやって切り抜けようか。部活後にわざわざ支度をして神社まで行ってクラスの集まりに参加するなんて億劫だ。それなら自主練習をしたい。
 必死に断り文句を考えていると控えめにジャージを引かれ、宙を彷徨っていた視線をみょうじに向ける。
「ねぇ、来てよ」
 しょんぼりと下がった眉、見上げて来る黒い瞳、窺うように傾げられた頭と、それによって肩からさらりと流れた髪。
「行く」
「やったー!」
「はっ! 俺は何を……!」
――行かないつもりだったのに! 口が勝手に!
 こういう事がしょっちゅうあるのだ。普段は飄々としていて掴みどころがないくせに、不意にあんな表情をして俺を操る。だからみょうじは苦手だ。
「じゃあ神社に着いたら連絡ちょうだい! 鳥居のとこまで迎えに行くから」
「や、やっぱり俺行かな……」
「牛島さんに勝つ秘策も教えてあげるから!」
「行く」
「じゃあ夏休みにねー」
「はっ! また口が勝手に!」
 みょうじは軽やかな足取りで教室を出て行き、後には今回もしてやられた俺と、まだ納涼祭の話題で盛り上がっているクラスメイト達だけが残った。

 八月四日、土曜日。
 複雑な気持ちのまま神社までの道のりを歩く。
――牛島さんは、今日も部活後自主練してたのに……。
 こんな事ではいつまでたっても王者・牛島若利に勝つことなんて出来ないのではないか。そんな後ろ向きな考えが頭をよぎる。
 
 今日の練習が終わり、タオルと一緒に放り出していた携帯を確認するとみょうじからメッセージが届いていた。ちかちかと点滅するライト。
――やっぱり、今日のお祭りは断ろうかな……。
「工、今日もスパイク練してくのか?」
 メッセージを開いたところでかけられた声に振り向けば、獅音さんがドリンクを差し出してくれていた。
「あ、すみません! ありがとうございます」
 獅音さんの後ろでは、牛島さんが早くも自主練を始めていた。圧倒的な力の差。依然として縮まらない距離。
――お祭りなんて、行ってる場合じゃない!
 「なんかこの前クラスの集まりがあるとか言ってたけど、友達が待ってるなら早く行った方がいいぞ」
 いえ、行きません、俺はあの人を超える為に今日もここで自主練をします!そう言うつもりだった。そう言うつもりでぐっと拳を握った。その時、さっき開いたままのメッセージが目に入った。
『もう練習終わった? 十八時半には鳥居で待ってるね。今日は頑張って浴衣着てきちゃった!』
「行きます」
「おう、行ってらっしゃい」
「は! また口が! 思っても無い事を!」
「何を言ってるんだ? とりあえず、早く行ってやれよ。おつかれー」

 そうして複雑な気持ちのまま着替え、ざわざわとうるさい心に苛立ちながら神社に向かっている次第。
 何故こうもみょうじの言いなりになってしまうのか。徐々に近くなる祭囃子を聞きながら考える。
――幻術? いや、魔術の類か……? 妖術の可能性も……?
「あ、五色!」
 少し先、鳥居の前で控えめに手を振るみょうじ。白地に藍の花の浴衣、帯とまとめ上げた髪に揺れる簪の玉飾りは鮮やかな赤。
「くっそ……! やはり妖術……!」
「は? 何言ってんの?」
 だってそうだろう。見た瞬間息苦しさと動悸が酷くなるなんて、妖術か、はたまた魔術か。思わず言いなりになってしまう事といい、みょうじは魔女か妖怪かもしれない。
「あ、悪霊退散!」
「しっつれいだなぁもう!」
 みょうじは怒りながらも「とにかく、皆が集まってるとこ行こう」と歩き出す。
「五色、まだ何も食べてないよね」
「え、あぁ。食べてないけど」
 練習後でとてもお腹が空いている。今も屋台から漂ってくる香ばしい匂いに腹の虫が情けない声をあげた。
「ふふ、ではお待ちかねの牛島さんに勝つ秘策をお教えします!」
「は?」
「え? だってそれ知るのが目的で来てくれたんでしょ?」
「え!? あぁ! まぁな!」
 みょうじは俺の返事に少し怪訝そうな顔をしたが、特に気に留めることも無く話を再開した。
「五色はね、細すぎるんだよ!」
「ほそい?」
「そう! 牛島さんと五色のプロフィールを調べましたが牛島さんと五色の身長差は八センチ! そして体重差はなんと約十五キロ!」
「な、なんと……! って待て! なんでみょうじがそんな事知ってるんだよ!」
「あ、私保健委員だから。この前の身体測定の結果をね。ちょっとね」
「職権乱用!?」
「もぉ、細かい事は気にしないの。それでね、身長差に対して体重差が大きいと思わない?」
「た、確かに……」
 俺が同意するとみょうじは神妙な顔で続けた。
「きみ達バレー部に余分な脂肪がついているとは思えない。つまりこれは、筋肉量の差!」
「そ、そうか……!」
「筋肉をつけるにはまずしっかり食べないと! 五色はもっと食べた方がいいよ!」
「これでも食ってるけどなぁ……」
 学食や寮の食事は食べ盛りの男子高校生に合わせているのか、どれも通常の一・五倍はある。それをしっかり三食とってるし、おやつにパンも食べている。
 しかしみょうじは小首を傾げながら言った。
「でも、牛島さんはすごい量食べるんでしょう?」
 その言葉に、眉間にぎゅっと力が入る。
「お、俺も! こう見えて結構食べるから! 学食のハヤシライス二つ食べた事あるし!」
 その後ちょっとした事件になったことは秘密だが。
「でも牛島さんは学食のハヤシライスを食べた後にチキンカツ定食とおにぎり一つを余裕で平らげたって聞いたけど」
「うっ……」
 それは真実だ。真実なのだが、何故みょうじはそんなことを知っているのだろう。さっきのプロフィールの事といい、バレー部に関係の無いみょうじが牛島さんに詳しい理由。考えれば考える程、頭の中がぐちゃぐちゃと濁って気持ち悪い。
――りゆう……みょうじは、牛島さんのことが……
「だから五色!」
 みょうじの声にはっとする。ぐちゃぐちゃの思考から引っ張り上げられ、横を見れば満面の笑み。
「いっぱい食べる練習しようよ! 目標は屋台十種類!」
「え!? で、でもこの前、獅音さんに無理して食い過ぎるなって言われてるし……」
 六月のハヤシライス事件が頭をよぎる。
「だいじょーぶ! だから私も手伝ってあげる。じゃ、早速お好み焼きからいってみよー!」
 背中をぐいぐい押されお好み焼きの列に並ばされながら何か違うような気がしたが、ぐぅと空腹を訴える腹の虫に他のことは追いやられてしまった。
 五百円玉と引き換えに渡されたほかほかのお好み焼きと二膳のお箸。長椅子に座りそれを頬張ると、じわりと幸福感が広がる。
「んんーっうまい!」
 練習後で空っぽだった腹に染み渡る。
――幸せだー。
 しかし、ばくばくと半分ほど食べ進めたところで、思いもよらぬ事を言われた。
「私にもちょーだい」
「え、え?」
 差し出された手に戸惑っていると急かされる。
「ほら、私も手伝ってあげるって言ったでしょ? 五色一人で最初から屋台十種類達成できる?」
 もう一膳のお箸を構えながら言うみょうじ。言われるまま食べかけのお好み焼きを差し出せば、それを美味しそうに口に運ぶ。
――また動悸が……!
「おいしー! あ、五色! あそこにじゃがバターあるよ! 次はあれ食べたーい!」
 みょうじは俺の息苦しさや動機なんてお構いなしにそんな事を言う。けれど俺はまたその妖術を前に頷いてしまうのだった。
「じゃがバターも美味しかったねー。あ、五色は甘いのも平気? 次はベビーカステラとかどう?」
「別にいいけど」
「まだ二種類だからね! がんばろうね!」
「お、おう」
 その後もみょうじの言うまま、焼きそば、かき氷、唐揚げ、たこ焼き、さつまスティック、牛串、今川焼……。
「はー美味しい! 一人じゃこんなに何種類も食べられないし、五色の特訓様様!」
「ねぇ、ほんとにそれって俺のため!?」
「ふぇ?」
 みょうじがもごもごと今川焼を頬張りながら振り向く。
「どう見てもみょうじが色んな物を食べたかっただけだろ!」
「えーそんな事ないよぉ? 五色の為を思ってのことなのにー。だっていきなり全部は食べられないでしょー?」
「そうだけど……」
「それに五色だって色んな物をちょっとずつ食べられたら楽しいでしょー?」
「そ、そうだけど……!」
 どう反論していいか分からず口籠ってしまう。けれど絶対、確実に、最初の目的からは外れている気がする。外れているはずだ。
 俺がぐるぐると大して良くない頭をフル回転させている間に、みょうじは厳ついオヤジの屋台で可愛らしい色のいちご飴を購入し、それをカリっとかじった。
「まぁ、全部が五色の為って言ったら嘘になるけど」
「ほ、ほら! ほらな! やっぱり!」
 俺はいつもみょうじに踊らされてばかりだ。
「くそー! 毎回人で遊びやがって!」
「でも五色にしか出来ないことだからなー」
「何がだよ!」
 悔しさで思わず声が大きくなる。
「んー?」
 曖昧な返事をしたみょうじはカラコロと境内の隅っこに行ってしゃがみ込むと手招きをした。その顔はいつも通りの笑顔で、俺は渋々ながらもそれに従う。
「なんだよ」
「えっとね」
 向かい合った膝がくっつきそうな程近い距離。香る甘い匂い。
――熱い。
 ドクン、ドクン。祭囃子でうるさい境内で、やけに自分の鼓動が大きく聞こえる。
 添えられた白い手と一緒に甘い匂いがふわりと近づいてきて、みょうじが内緒話でもするように耳元に唇を寄せた。
「あのね、私ね、五色と半分こがしたかったの」
「……っ!」
 みっともなくついた尻もち。思わず押さえた自分の耳が熱い。目の前がちかちかする。そのせいか目の前のみょうじまできらきらして見える。
 みょうじはいつもみたいに掴みどころの無い悪戯な笑みを浮かべて、でもその顔は薄桃に染まっていて、それがなんだかとても――
「はい、いちご飴。これで目標の十種類達成だね」
 ほうけた俺の口に放り込まれた半分のいちご飴はびっくりするほど甘い。
「か、かわいすぎだろ……」
 俺の口はまた勝手な言葉を紡ぐが、それは他でもない俺が思ったことなので、つまりはそういうことなのだろう。

2017.08.14 みつ