黒尾×火遊び×「キスしても良いですか?」斎藤




 カチカチと手元で音を鳴らしている男は「あれ?」と首を傾げている。どうやら火が付かないらしい。おかげで私の手にある花火は光を放つことなくぼんやり揺れている。

「ライターとか持ってないの?」
「あー煙草吸わねぇからな」

 そうなんだ。ヘビースモーカーですと言われても違和感のない見た目をしているのに。
 今日出会ったばかりの彼の新しい情報を頭の中のメモに刻む。
 鉄朗くん。21歳。バレーをしている。非喫煙者。
それ以外のことは知らないけど、顔は割と好みだ。大学の友人とやってきた海水浴場で、バーベキューをしていた鉄朗くんたちに声を掛けられた。いわゆるナンパである。ちょうどお腹を空かしたころに「肉買いすぎたから一緒に食いません?」と言われてついノってしまったのだ。

「それにしてもチャッカマンって」
「だって火起こすのに持ってこいっつーから」
「でもガスバーナーあったよね?」
「それな。裏切られたわ」

 お肉も十分すぎるほどにごちそうになって、海でも一緒に遊んで、一日本当に楽しかった。暗くなる前に着替えや片づけを済ませて、そろそろ解散かというときに「花火もあるよ」と準備のいい彼らから提案をされたが、もちろん断るわけもなく今に至っている。
 断らなかった理由をつけるなら「楽しかったから」だ。適度に軽くてノリもよくて、夏の一日を一緒に過ごす相手としては十分だったから。遊んでいるうちに自然と距離を縮めてきた男の子が好みだったから。そんなところだ。
 そしてその好みの彼は、点かないチャッカマンを諦めて仲間の下へ行ってしまった。火を借りに行ったのだと分かっているが、今日ずっと隣にあった熱がなくなると少し寂しい。

 私も友人たちもこんな風にナンパにノることなんて基本的にありえないし、今日は本当に気まぐれだ。
 鉄朗くんとその部活仲間だという彼らはみんな背が高く体も鍛えられていて、そういうところがプラスに働いたというのは正直ある。でもこうして暗くなってまで付き合っているのは、今日一日ずっと鉄朗くんがそれなりの好意を透かしながら接してくれているからかもしれない。
 バーベキューをしている時は焼けたお肉を取り分けてくれたし、海で遊んでる時もなんとなくペアに別れたりしたけど隣にいたのは鉄朗くんだった。バレー部なんだったらビーチバレーしよう、とチーム分けした時も、「じゃあ俺なまえちゃんとね」と肩を奪われた。
 それくらいには分かりやすい好意は、友人たちにだって伝わるわけで、女子だけでトイレに行けば「鉄朗くん絶対なまえのこと狙ってるじゃん」という話にもなる。それが嫌じゃないのは、やっぱり相手が鉄朗くんだからだ。ラッシュガードを着ていても分かる鍛えられた体に、すらりと高い身長。けしてイケメンというわけではないのにどこか目を奪われる容姿も私の好みで、ほどよく近づいてでもベタベタするわけでもないその距離の取り方だってとても心地のいいものだった。

「ライター借りてきた」
「ありがとう」

 今だってそうだ。鉄朗くんに誘われるがまま、花火を振り回している仲間たちから少し離れたところで二人並んで砂浜に腰を下ろしている。傍から見ればカップルに見えるだろう。
 夜の海を眺めながら、騒がしい声も波の音に掻き消されていく。こんな雰囲気の中でパチパチと二人並んで花火に火をつける。期待しないわけがない。

「あいつらバカやってんな」
「ほんと元気だね。木兎くん」
「あいつはほんと元気だけが取り柄だから」
「えー? じゃあ鉄朗くんは何が取り柄なんですか?」
「俺? なんだろーな」

 手元との花火は一気に燃えてすぐに消えてしまった。さっきまで花火に照らされていた鉄朗くんの横顔も、今は鉄朗くんの肩越しに見える仲間たちが放つ火が逆光になってあまり見えない。目を凝らしてじっと見ていると黒尾くんの顔もこちらを向く。でもやっぱり見えにくい。目が慣れたころにようやくその瞳と見つめあってしまっていることに気づき、ドキリと胸が跳ねた。
 どこの大学かもわからない。家だって近いかも遠いかも知らない。連絡先だって聞かれてない。
 知ってることなんて本当に限られているからこそ、明日以降会うことがあるかも分からない相手にこんな気持ちになっていいのかなという不安はある。
 鉄朗くんは何を考えているんだろう。目を逸らすことなくそんなことばかり考えていると、鉄朗くんが薄い唇をゆっくり開く。

「なまえちゃん」
「なに?」
「キスしても良いですか?」

 どうして敬語なのって少し笑いそうになったけど、返事を口にする前に瞼を閉じた。私からは逆光でも、鉄朗くんからは見えるでしょう?
 瞼を透かす光がゆっくりと遮られていく。騒ぎ声も波の音ももう何も聞こえない。
 今日だけ、たった一度だけかもしれない感触を、忘れないように味わう。鉄朗くんの記憶にもしっかり残ればいいと願いながら。

 離れた唇を名残惜しげに見つめる。その唇が緩やかに弧を描いたかと思うと、今度は少し開いたままもう一度近づいてきた。
 舌を差し出し、全てを委ねながら、彼の首の後ろに手を回す。
 ねぇ、これが終わったら連絡先聞いてもいいかな。付き合ってもない、出会ったばかりなのにこんなことする女嫌じゃない? 私? 私は鉄朗くんならいいよ。

2017.09.04 斎藤