▼ ▼ ▼

 男ばかりのこの学校で修学旅行なんて、と思っていたが、実際来てみれば楽しいもので。男ばかりだからこそ気を遣うこともなく騒ぎ回って怒られてと繰り返していれば、疲労もかなりのものだが、いまだ元気な高校生はホテルに着いてもまだワイワイ騒いでいた。
 ホテルの部屋で話すことはもうしょーもないことばかりで、数少ない女子の品定めやら彼女のいる男から聞く体験談やら修学旅行というイベントに浮かれて付き合いだしたやつらのことやら、まぁ想像できるだけのくだらない話をしたと思ってもらっていい。
 さすがにちょっと疲れたところで部屋を抜け出して、自販機に向かう。喉も乾いたし、俺はそんなに喋るネタもねぇし、バレーしてぇし、まぁあの場から離れる口実だ。

「あれ、鎌ちじゃーん」
「おー……ミョウジ?」

 自販機でどれにしようか悩みながら、休憩がてら時間をつぶしていると、同じクラスのミョウジと思われる女がやってきた。
 俺の疑問形な呼びかけが不満だったららしいミョウジは、頬を膨らませながら「ひどくない?」と怒っている。いや、だって普段濃いくらいの化粧をしてるやつのすっぴんなんてちょっと自信なくても仕方ねぇだろ。
 もうとっくに風呂も入ってる時間で、だからこそ部屋で自由に喋っていたわけだが、女子も似たようなものだろう。その手には財布が握られている。

「ミョウジなににすんの?」
「えー決めてない。鎌ちは?」
「悩んでるから聞いてんだっつの」

 けして広くはないホテルの自販機スペースにぽつんと置いてあるベンチに腰掛けると、ミョウジも隣に腰を下ろした。その瞬間、ふわりと漂ったのはおそらく女の物のシャンプーの匂い。分かってたのに、改めてこいつが風呂上がりなんだってことを認識させられる。
 ミョウジは、その見た目もそうだが、口調も態度も、まぁ男子受けするようなタイプではない。部屋で行われていたクソしょうもない品評会でも、残念ながら早々に「ミョウジ? ねーだろ」と切り捨てられていた。
 しかし、これはどうだ。すっぴんなんて初めて見たけど、いつもキツそうな目も意外と丸っこくて幼いし、こいつ化粧しなかったら品評会でも上位に入ったんじゃねぇか。制服ではない薄いグレーのTシャツは、ゆったりと体を包んでいるもののいつもよりはそのラインがよく分かる。つまり、普段意識したことなかったけど、こいつも女なんだなって思われてしまった。
 ……いやいや、ないない。ミョウジだぞ。俺みてぇなやつにも平気で話しかけてくるような女、意識してどうすんだよ。
 アホみたいな考えを振り切るために自販機を睨みつけていると、隣のミョウジがいきなり立ち上がる。買うものを決めたらしい。

「何にすんだ?」
「紅茶にする! 鎌ちは?」
「俺はもうちょっと悩むわ一人になりてーし」
「え? 大丈夫? いじめられてるの?」
「てめぇ……顔が笑ってんだよ」

 言葉とは裏腹に俺をからかう気満々なミョウジを睨んだが、こいつは何も気にすることなくお金を投入し、紅茶のボタンを押した。数秒後、ガコンと音を立てて取り出し口に落ちてきたものを拾うためにその場に座り込む。その間、すること見るものもねぇし、さっさとどっか行ってくれねぇかなと思いながら、その背中を眺めていた。

「……お前さ、」
「え? 何?」
「いや、なんでもねぇ」

 取り出し口へ向かって前のめりに屈んだ背中は、Tシャツの皺一つないほど伸びている。覆っていた髪も前に垂れ、隠すものがなくなった背中を見ていれば、ある事実に気づいてしまった。
 風呂上がりだし、そりゃあそういうものかもしれないけど、こんな誰に会うかも分からない場所にノーブラで来るやつがあるかよ。もし俺じゃなくて、外部の酔っぱらった旅行客だったりしたらどうなってたか分かんねぇぞ。そう思ったところで、指摘するほどの勇気もねぇけど。
 本来、肩甲骨の下あたりや肩に向かって見えるはずの線が何もない背中を恨めしく睨みながらため息を吐いた。

「お前この後部屋戻んのか?」
「えー? うん、そうだね。なに、寂しい?」
「んなこと言ってねーよ!」

 人の気も知らないでケラケラ笑うミョウジに、苛立ちに似た焦りみたいなものが募る。目の毒っつーか心の毒っつーかなんつーか、とにかく早くどっか行って欲しいんだっての。気づいてしまったからには正面からなんて見ることもできそうにない男心を分かってくれ。

「あれ、鎌先部屋にいねぇと思ったらこんなとこいたのかよ」

 ふと呼ばれた名前に顔を上げると、さっきまで部屋でくだらねぇ話をしていたやつの一人がそこにいた。聞けば、部屋のトイレを誰かが占領しているらしく、我慢できずに他の部屋に借りに行くところらしい。
 俺は何故かそいつからミョウジが見えないように立ち上がり、適当に喋って追い払おうとした。しかしまぁ完全に隠せるわけもなく「え? なに? 誰?」と聞かれてしまう。

「あーミョウジだけど、なんか具合悪ぃらしい」
「えー? 大丈夫?」
「ちょっと休めば大丈夫だろ。つーかお前トイレは?」
「あ、やべぇ! 漏れる漏れる! じゃあな!」

 我ながら適当すぎる嘘も尿意には勝てないらしく、さっさと立ち去ってくれた。よかった、と思いながら振り返ると、座ったままのミョウジが眉を顰めて俺を見上げている。……そりゃそうだわ。誰が具合悪いって?

「鎌ち頭どーかしたの?」
「あぁ!? ……いや、そうかもな」
「は? ほんとにどうしたの? 大丈夫?」

 ミョウジが女に見えて緊張してるなんて、確かにどうかしてる。ついでに俺を心配して立ち上がり一歩近づいてきたミョウジを直視できない、なんて。
 思わず顔を背けた俺を不思議に思ったんだろう。名字は手を上げ、俺の顔の前で振ってみせた。そうすることでさらに露わになる胸元なんて気にもせずに。

「お前がっ、んな格好でうろついてるからだろ!」
「……え?」
「あーー他のやつに見られないようにさっさと部屋戻れよな!」

 ミョウジの手を払い、やけくそで自販機に金を突っ込みボタンを押す。すぐに落ちてきた飲み物とおつりを取る前に、未だ動きのないミョウジをちらりと見ると、思っても見ないような表情で俺を見ていた。バカみてぇに真っ赤な顔で、うるんだ瞳には、ぎゅっと力が入っている。

「な、なんだよ」
「か、鎌ち以外には、見せないし」
「は?」
「ていうか鎌ちにだって見られたくなかったもん」
「……は?」

 怒っているのかと思いきや、とんでもないことを言いだしてんじゃねぇよ。つーか違ぇ! 俺が言いたいのは顔じゃねぇんだって!
 顔を隠すように両手で覆えば、肘で自然に寄せられるものが目に入り、頭を抱える。柔らかそう……じゃねぇよマジで! どうにかしてくれ、こいつ!

「分かった、分かったから部屋に戻れ」
「な、なによそれ……ほんとに意味分かってる?」
「は? だから他のやつに見られんなって、」

 とにかく人目につく前に部屋へ戻そうと思ったが、涙目のミョウジに見上げられて、ようやく理解した。
あれ、そういえばこいつ、さっき「俺以外には見せない」つった? しかも「俺にだって見られたくなかった」って、真っ赤な顔で。
 状況を理解した途端、急激に顔に熱が集まる。やべぇ、これじゃ人のこと言えねぇじゃねぇか。

「ミョウジ、あのさ、」
「……ごめん。なんでもない、忘れて」
「あー待て待て」

 上手く言葉が出てこない俺から顔を背け、俯いたまま立ち去ろうとしたミョウジの手首を掴む。混乱している頭を冷やす時間くらいくれたっていいだろう。今の間は、そういう意味なんだって。

「俺バカだからはっきり言ってくんねぇと分かんねぇんだけど」
「……だからっ、」
「でもそれはまた今度聞くから、今はマジで勘弁してくれ」
「は?」
「つーか、あー……ちゃんと下着着けてる時にしてくれ」
「……は!?」

 俺の言葉にようやく気付いたらしく、バッと胸の前で腕を組み隠した。遅いわ。あークッソ、こっちが恥ずかしいっつーの。「鎌ちサイッテー」じゃねぇよバカ。

「お前明日誰かと約束してんの?」
「え?」
「自由行動一緒に回んねぇ?」
「……え?」

 聞いたものの、約束はしているだろう。数少ない女子たちは女子同士でそれなりに仲良いみたいだし、固まって行動すんだろうな。
 真っ赤な顔のまま俯き、しばらく考え込んだミョウジを見ていれば、断られることも覚悟した。しかし顔を上げたミョウジは、やっぱり赤いままの顔を縦に振る。

「じゃ、じゃあ、また明日」
「おーじゃあな」

 不自然に腕を組んだまま、でも控えめに手を振って立ち去った背中を見送る。
 部屋に入ったのを確認して、ようやく思い出した自販機の存在に買ったものを取り出すと、バカみてぇに甘そうな紅茶が出てきた。どうすんだよこれ。ああ、でも、部屋の冷蔵庫で冷やしておいて、明日あいつにやればいっか。

 修学旅行はまだ続く。明日の夜には、俺のことがネタになるのだろう。
 なんでミョウジって言われんだろうな。まーいっか。あいつが意外と可愛らしいことなんて、俺だけが知ってりゃいいことだ。
鎌先とノーブラ対面
甘やかな忘れもの

20170807 斎藤